<テーマ128> 追い込まれる「加害者」(2) 

 

(128―1)事例続き~カウンセリングまでの経緯 

(128―2)夫の人柄 

(128―3)姿を現さない妻 

(128―4)同じことが繰り返されてしまう 

 

(128―1)事例続き~カウンセリングまでの経緯 

 前項に引き続いて、DVの「加害者」と見做された夫のケースを述べていくことにします。話を先に進める前に、彼がカウンセリングを受けることになるまでの経緯をもう一度辿りなおしておきたいと思います。どうも前項で抜け落ちた部分もあったように思うので、そういう点も整理しながら記述し、読んで下さる方への理解の一助となればと思います。 

 まず、DVの発端は、夫がヒステリックになった妻を鎮めようとしてでした。これは夫の言い分であります。しかし、このDVはこの時になって始まったものとは思えないのです。それまでの夫婦関係の間で形成されてきたことが、この一件によって表面化されたものと考える方が妥当なのです。 

 妻は頭を打ったということで病院に行きました。診断名ももらっています。妻はこれを親に話します。親以外にも隣近所や友人たちにも妻はこの件を報告しています。警察にも通報しました。これらの行為は夫にある種のプレッシャーを与えることになりました。 

 報告を受けた妻の両親は激怒し、夫を呼び出し、事情を説明させました。それだけに納まらず、夫の両親にも連絡し、その責任を彼らにも求めたのです。 

 夫の親も謝り、息子(夫)の監督をきちんとするよう妻の親から求められます。夫の親は、息子が手を上げたという事実のために相手に言い返すこともできず、これを受諾するしかありませんでした。 

 妻の方はこの件を警察沙汰にしています。さらに弁護士を間に挟んで、今後このようなことはしないという念書を夫に書かせています。 

 さらに妻は夫には性格的に問題があると見做しています。今後一緒に生活するためには夫がカウンセリング等を受けて、この性格の問題を解決することを条件付けました。夫はそれを承諾するしかありませんでした。そして妻はいろんな施設やカウンセリング機関、精神科医などを探し始めます。そうして私の所を発見して、夫にここに行くようにと求めたのでした。 

 彼がカウンセリングを訪れたのはそのような経緯を経てでした。妻は夫に要求し、夫はそれを承諾するしかなく、尚且つ、夫の両親でさえ、悪いのは息子の方だからと言って、妻側の言い分に従うように彼に求めたのでした。この関係は、この夫婦、この事例において特に重要なので覚えておいていただければと思います。 

 カウンセラーは妻が選び、妻が決めたのでした。彼のカウンセリングに最も熱心だったのは、夫自身ではなく、この妻の方であると言うこともできるのです。妻にとってはそうでなくてはならなかったのです。このことはまた後ほど取り上げることにしましょう。こうして彼はカウンセリングを受けることになり、私は彼と出会ったのでした。 

 

(128―2)夫の人柄 

 DVの「加害者」というとどのような人をイメージされるでしょうか。とても暴力的な人で、怒ると何をするか分からないというような人を思い浮かべるかもしれません。確かにそういう「加害者」もおられるかもしれませんが、カウンセリングを受けに来た「加害者」に関する限り、あまりそのようなイメージとはそぐわない印象を私は有しています。 

 確かに男っぽい人、熱血漢というか精悍な人が多かったように思います。時に強引になったり一方的になったりして、人間関係で摩擦を起こすこともあるようでしたが、それは必ずしも暴力的であるという意味ではありません。でも、その一方で、傷つきやすさや繊細な面も持っていらっしゃる方々でした。 

 仕事に関しては、不安定な人もありましたが、適応は良く、大部分の場面において善良な人たちであります。人間関係においても、それほど敵を持っているわけではなく、あるタイプの人からは非常に信頼を置かれていたりするのです。 

 こういう人たちの「治療」というのは、彼らのそうした良さが回復し、適切に活用できるようになることであり、それを援助することを、私は一番に考えています。夫婦関係の改善はその後でも構わないとさえ考えているのです。このことも機会を設けて論じてみたいと思っています。 

 また、このようなタイプの「加害者」の親というのは、父親は昔気質で厳しい一面を持っている、母親は少し影が薄くて父に対して従順であるという傾向が、私の経験した範囲では、よく見られました。しばしば「加害者」は父親との関係が良くなく、父親は恐ろしい存在として映っていたこともよく見られます。 

 カウンセリングを受けに来た彼も、大体そのような傾向を有していました。精悍で、情熱的というか勢いがあり、話す時も声が大きく、はっきりと話す人でした。見る人によってはたいへん好感のもてる青年と映るのではないかと思います。 

 その彼とのカウンセリングが始まりました。これから私と彼がどのような荒波を経験していったかを述べることにしましょう。 

 

(128―3)姿を現さない妻 

 初回の面接で、彼はここに来るまでの経緯を話しました。本項の冒頭で述べたような経緯です。彼がこのカウンセリングを受けに来たのは、いわば、妻に要求されたからだということですが、そのことが彼自身のためにもなるので、彼はこのカウンセリングにはかなり熱心で、真剣に受けようと決意されていました。それには彼の持ち前の情熱も基礎としてあるのでしょう。 

 ここで私は正直に申し上げておかなければなりません。彼は夫婦関係が元に戻ることを望んでいました。私は二人でそのために考えていきましょうと彼に持ちかけたのですが、内心ではこれは見込みが薄いなという予感がしていたのです。 

 DVというのは元々は夫婦の二者間で生じていたことなのです。第三者のいない所で行われてしまうものなのです。理由や経緯はどうであれ、この二者間で収束している内は改善も可能であると私は考えます。しかし、彼らのように周囲を広く巻き込んでいるケースほど、夫婦関係が改善されていく可能性が低くなり、事態の収拾は困難を極めるのです。もちろん、私の個人的な印象であります。なぜそうなのかということは、彼のカウンセリングを追っていくうちに自ずと理解できてくるでしょう。 

 見込みが薄いように私には思われていたとしても、彼が妻との生活、夫婦関係の再建を目指していこうというのであれば、私はそのために援助していくことに決めたのです。 

 ところで、これもおかしな話なのでありますが、彼は従順にも妻の言い分に従っているのです。でも、彼はこのカウンセリングを熱心に受けようと決意されていました。カウンセリングに熱心だったのは妻の方ではなかったかと私には思われるのですが、いつの間にか夫の方が熱心になっているのです。妻はカウンセリングには姿を現しませんし、夫を送りつけてそれで良しとしている感じがしないでもありませんでした。二人のこの有り方もまた彼らに特有の関係様式なのです。 

 私は「妻の方が被害者であり、身体的精神的苦痛を受けているはずなのに、それにも関わらず、なぜ妻の方はカウンセリングを受けようとしないのでしょうね」と夫に尋ねたことがあります。夫はそれに対して、「妻は自分は被害者なのになんでカウンセリングを受けなければならないのか」と言っていると述べたのです。つまり、精神的に「異常」があるのは夫の方であり、何とかしなければならないのは夫の方であるということ、自分は何も「異常」ではなく、「異常」である夫のためにこうなっているだけだということを妻は主張しているかのようです。妻という人がどういう人間であるかということが、私にはよく分かるのです。これはあるタイプの人たちが典型的に主張することなのです。 

 この妻のことを聞いて、私は彼の望みが達成できる見込みがますます薄くなっていくように感じました。つまり、この夫婦が関係を改善していくということは、夫が妻にとって納得できる人間になるということを意味しているのです。「異常」なのは夫の方だ、わたしとやり直したいのであれば「正常」になって出直して来い、「正常」になったかどうかはわたしが判断すると妻は言っているようなものです。 

つまり、改善できたかどうかは妻の判断次第ということになるのですが、その妻自身は一言も発しないで奥に隠れているのです。 

私はこの妻のために仕事をする気にはなれませんでした。妻の気に入るように夫を改善しようなどとは、私には考えたくもないことでした。だからこのカウンセリングは、私にとっては非常に腹立たしいものだったのです。 

 でも、なぜ彼を引き受けたのかと言うと、そこにはそれ以上のものが感じられたからでした。彼には既に一人の味方もありませんでした。彼の両親でさえ、悪いのは彼の方だから妻側の処分を受け入れるように彼に求めていたくらいでした。彼には弁明する場所すら与えられませんでした。私は彼の味方になりたかったのです。 

 

(128―4)同じことが繰り返されてしまう 

 彼がカウンセリングに来た時、彼は「とにかく今後そういうことさえしなければ問題はない」と考えていました。そして、「カッとならない方法をここで学びたい」などと言っていたのです。「それを一緒に考えていきましょう」と私は提案したのでしたが、先述の通り、私は彼ほど楽観的にはこの事態を眺めていませんでした。 

 「同じこと」が繰り返されなければそれでいいというのは確かです。何とか自分や関係を改善しようと努める「加害者」はそう考えるものです。でも、ここで言う「同じこと」と言うのは彼から見て、「加害者」から見てという意味なのです。 

私の受ける印象では、「加害者」はしばしば次のことを見落とすのです。現実には同じことではないこと、つまり「加害者」から見て同じことではないけれども、「被害者」から見て「それは同じことだ」と見做されてしまうということが起きるのです。 

 その証拠に、彼らの間で、DVはその後も4,5回発生したのです。しかし、彼自身は妻に暴力を振るっていないと主張します。彼自身は一回目にしたようなことは決してしていないと言うのです。でも、妻の方は、夫が同じことを繰り返していると主張し、騒ぐのです。その一例を挙げましょう。 

 ある時、このようなことが起きたそうです。彼らはその後も一つ屋根の下で生活していましたが、たまたま彼が部屋に入った時、ドアの近くに妻が居たというのです。妻からすると不意に目の前のドアが開いて、夫に近寄られたというように体験したのでしょう。その瞬間、妻は悲鳴を上げ、かつてのようなヒステリーを起こしたのでした。妻は「DVだ、DVだ」と繰り返します。 

 彼は「お前には指一本触れていない」と主張しても、妻の言い分はこうでした。「あんなに怖い目に遭ったのだから、わたしが敏感になっているのがわかるでしょう」と。だから夫が不意に近寄るのは「DVだ」ということになったということです。当然、妻はこれを親に報告します。 

 これをDVと見做してよいかどうかということは意見が分かれるかもしれません。私はDVというよりも、妻の過剰反応と捉えています。妻を驚愕させるために機会を窺っていたとか、そういうことを彼はしないだろうと私は思うのです。彼はそういうことができるほど執念深いタイプとは思えないのでした。彼がドアを開けたら、たまたまドアのすぐ向こうに妻がいたという状況だっただけで、そこに妻がいるということを彼は知らなかっただけなのだと思うのです。 

ほとんど偶然のいたずらと言えるような出来事でありますが、妻はこれをDVと主張し、それを再度親に報告したのです。親は彼がDVを繰り返していると見做し、以前と同じく彼に説明を求めるのでした。そして夫の親に対しても、息子をどのように監督しているのだと責任を追及していくのでした。 

後になって、彼は、同じことを繰り返さなければそれでいいと考えていたのが間違いだったと気づき始めたようです。現実に、彼は同じことを繰り返していないのです。一回目のDV騒ぎの時は、彼は妻のパニックを鎮めるために頬をぶったということを認めており、現実にそういう出来事が生じていました。それ以後、彼は同じことを繰り返さないようにしていましたし、実際、妻に手を上げたりはしていないのです。それにも関わらず、彼の周囲で同じ事態が繰り返されているのです。妻の方がそれ繰り返しているのです。 

 妻が騒ぐ。両親に報告する。両親が夫に説明を求める、夫の親にも連絡する。両家間で悶着する。その都度、彼は「悪者」と見做され、追い詰められるのでした。最初の一回目の「DV」以降、関係者全員でこれを繰り返していたのでした。 

彼は同じことを繰り返してはいませんでした。しかし、彼が望まなくても、この流れが一方的に繰り返されていったのです。換言すると、彼の「行為」は繰り返されてなく、この「パターン」が繰り返されていると言うこともできるでしょう。そして繰り返すのは妻の方であり、妻が最初に繰り返し始めると、この夫婦の場合には、言うことができるのです。 

 事例の記述はまだ続きますので、ここで項を改めたいと思います。次項では、この「DV騒ぎ」についての考察と、このためにクライアントである彼がどのように追い詰められていったかを述べたいと思います。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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