<#016-34>「どれくらい続ける必要がありますか」 

 

<Q> 

 「どれくらい続ける必要がありますか」 

 カウンセリングを継続する場合に、どれくらい続ける必要があるのか、どれくらい通わなければならないのかという意味合いの質問であります。 

 

<状況と背景> 

 このような質問は最初の問い合わせの段階で発せられることが多いのです。つまり、一度もお会いしたことのない人から、その人のカウンセリングにどれくらいの期間が必要かを私は問われるわけであります。当然、お答えできないのであります。 

 

<A> 

 どうしても期間を最初に提示してもらった方がいいというのであれば、少なくとも月に2回以上のペースで、1年は見込んでおいてください。そうとしか私としては言いようがないのであります。 

 基本的に、その人が「真剣に」取り組めば、一年くらいでかなり改善すると私は確信しています。ただし、「真剣に」という条件がつきます。 

 

<補足と説明> 

 上記のように、カウンセリングがまだ始まってもいないのに終結の時期を尋ねられても、私としてはどうともお答えできないのであります。実際にやってみないと、なんらの予測もつかないのであります。だから、こういう問い合わせはけっこう無理難題な問いなのであります。 

 

 でも、なぜ、この人たちは終結のことを最初から聞きたがるのでしょう。私なりに考えているところのものを挙げておこうと思います。 

 

 まず、強迫的な性格の人である場合がけっこうあるという印象を私は受けています。つまり、何かを始める際に、終了のことまで明確になっていないと始めることができないといった感じの人であります。だから、このタイプの人は、いつ終わるのかだけでなく、その間のことも事細かに尋ねてきたりします。事前にすべての過程を完璧に把握しておかなければならないかのようであります。 

 

 また、不安の強い人もおられるように思います。一旦始めたら終わりがないとか、終わらせてくれないとか、一生通わされるとか、そんな「非現実的」な思い込みをされる人もおられるのでありますが、その背景には強い不安が潜んでいるのです。 

 

 それと関係するのですが、展望が持てないという人も中にはおられるようであります。人生に対してなんらの時間的展望が持てないという人は、終わりの時期が決まっていないと動くことができないのかもしれません。 

 今の話はいささか理解しにくいかもしれません。例えば、広大な砂漠を彷徨っている人を想像してみましょう。この人に、「この先に水があるよ」と伝えても彷徨っている人にとっては希望にならないでしょう。おそらく、どのくらい先に水があるか、その距離を明確に伝えないと、この人はそこまで行こうという気持にはならないことでしょう。あとどれだけ歩けばいいのか、あとどれだけ頑張ればいいのか、そこが明確にならないと動く気にならないことだろうと思います。 

 それと同じような心情であります。将来の時間が、構造化されず、無限にあるかのように体験されている人に対して、いくら治療が効果的であるとしても、それが無限時間の中に溶け込んでしまうようでは治療に意欲が湧かなくなるだろうと思います。その人は無限時間の中で治療を構造化し、個別化する必要があるのかもしれません。そうでなければ動けないのかもしれません。 

 

 それと類似の例ですが、一年とか半年くらいの期間でなんとかやってほしいと頼まれることがあります。なぜ一年とか半年なのでしょう。 

 ある人は経済的な理由を挙げます。一年くらいなら通える程の資金は確保できるというわけであります。 

 でも、どちらかと言えば、その人が考えることのできる限界ラインがそれくらいであるという例が多いように私は感じています。つまり、一年とか半年くらいのスパンなら考えることができるけれど、それ以上先のことは考えることができない、それはその人にとって手に余るということであります。その期間はその人の自我が手に負える限界範囲を指しているように思われるのであります。 

 

 カウンセリングが始まってもいないのに、いつ終わるのかを尋ねるというのはどういうことなのでしょう。 

 大抵のクライアントは「受けること」の方に重点を置くもので、「終了」のことはさほど考えていないものなのです。仮に、どれくらい続けたらいいのかと尋ねられても、「あなたが必要と思う限り通ってください」と伝えれば納得されることも多いのであります。 

 あるいは、カウンセリングを継続して、その人の状態がある程度良くなってきた頃に、いつまで続けるかということが初めて話題に上がることも多いのであります。なぜ、最初から、それも始める前から、終結のことをこの質問者たちは決めたがるのでしょう。 

 すでにいくつかの傾向を上に述べたのですが、治療やカウンセリングの否認によるものと思われる例もあるのです。受ける前から受けた後のことを考えるわけなので、それは受けること並びにそこで生じること、経験されることなどを否認していることが窺われるのであります。これから受けて、改善していくまでの過程をすっ飛ばして、いつ終わりますかということを問題にしているというわけでありますので、その中間段階のことがその人の中では否認されていると考えられるわけであります。 

 

 さて、この種の質問をする人それぞれの背景があり、性格もそれぞれあるでしょう。もっと他にも考えられることもあると思うのですが、これくらいにしておきましょう。 

 心理療法には期間を制限するという方法論があります。マンという人が始めたことであり、以降、短期療法家などでもその方法論を採用する臨床家もおられます。私が若いころに在籍していたクリニックでもそうでした。最初から回数を決めて始めるのです。 

 この時間制限方式にはメリットもあればデメリットもあるというのが私の正直な感想であります。 

 メリットとしては、少なくともその回数分なり期間は、カウンセリングが確保されているわけなので、クライアントも安心感が増すことでしょう。カウンセラー側にも余裕が生まれるのです。お互いにとって良好な関係を形成するのに一役買うのであります。その他、先述のような時間展望が失われているような人にとっては、その期間が構造化されるので、それが改善の一助となることもあるでしょう。 

 デメリットとしては、クライアントはその期間なり回数で自分が「治る」という期待を抱いてしまうことが挙げられるでしょう。これはけっこうあることだと私は思います。クライアント側の思い違いであることの方が多いのですが、クライアントはこの期待を現実的に抱いてしまうことがあるように私は思います。従って、その期間なり回数なりを消化して、期待通りにならなかった場合、その人はカウンセラーに対する陰性感情を強化させてしまうでしょう。この人がこの陰性感情に占められてしまうとなれば、それはそれで新たな問題が生まれてしまうこともあるでしょう。 

 また、私はこれを傍観していて感じていたのですが、その回数が終わりに近づくほど、カウンセラーが無理な動きを見せるように思われるのです。カウンセラーもまたその回数に縛られているので、その回数を消化するまでになんらかの進展を見せなければならないと思い込んでしまうのでしょうか。とかく、その期間の終盤になると無理な動きが見られるのです。無理な動きというのは、面接がカウンセラーのペースになってしまったり、カウンセラーが過剰な量の解釈を投与したりなどといったことであります。クライアントの方でも、焦燥感が生まれるのか、過剰に求めることもあるかもしれません。 

 私個人としては、どちらかというとデメリットの方が見えていたので、時間制限、回数を最初から決めるという方法論にはあまり賛同しないのであります。最初からそういうのは厳密に定めない方がいいと考えています。一年くらい通うつもりで、と漠然とした形で伝える方がいいと私は考えています。 

 

 一番の理想は、クライアントがカウンセリングを必要としている限りは継続して受けていただいて、終結に関しても、いつ終えるかということをカウンセラーとクライアント双方で話し合って決めていくことであります。それが一番望ましいと私は考えています。 

 しかし、現実にはそうもいかないのであります。クライアント側の事情で継続できなくなるという例もけっこうあります。また、雛が成長して巣立っていくように、ある日、カウンセリングから巣立っていくような感じで去っていく人もおられるのであります。 

 

 その人のカウンセリングにどれくらい時間がかかるのか、クライアントはどれくらいの回数をこなさなければならないのか、予知能力でも備わっていない限り答えられない質問であり、そのような質問は私の能力を超えているのであります。私はその質問に答えることはできません。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

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