<#016-33>「カウンセラーを代えたい」
<Q>
「カウンセラーを代えたい」
これは今受けているカウンセラーから他のカウンセラーへ移りたいといった内容の問い合わせを含んでいます。
<状況と背景>
さまざまなパターンがあります。私から他のカウンセラーへ移りたいという例もあれば、他のカウンセラーから私の方へ移りたいというもの、さらには他から他へ移りたいというものまでさまざまであります。その各々について述べることにしたいと思います。
<A>
基本的にカウンセラーを選ぶのはクライアントの方なので、クライアントの好きにすればいいと私は考えています。ただし、カウンセラーを変更したことに伴う負担や責任、リスクはクライアント自身が負うことになります。
<補足と説明>
まず、私のクライアントが私から他のカウンセラーへ移ったという例もきっとあるでしょう。私自身はいちいち追跡調査などしないので、クライアントたちが他のカウンセラーへ移ったかどうかまでは知りません。
他のカウンセラーさんのところへ通っていた方が私のところに移りたいと希望する人もおられます。
大抵の場合、私は事前にそのことを知らされていません。面接を実施する中で、クライアントが以前は他所で受けていたということをおっしゃって、そこで初めて知ることになるのです。
一方、私のところで予約を取る際に、今受けているカウンセラーの方は止めて、ウチに代えようと思うと打ち明ける方もおられます。そういう例では、私は「もう一度そのカウンセラーさんとやってみることをお勧めします」と伝えるようにしています。それでもダメだというならウチに来たらよろしいと伝えるようにしています。詳しくは後に譲ることにしましょう。
カウンセラーを代える理由にもさまざまあります。
まず、カウンセラー側の要因があります。カウンセラーが転勤となり、遠方に行くことになったので通えなくなったなどといった例もけっこう耳にします。また、稀ではありますが、そのカウンセラーさんが死去されたり、あるいは大きな病気に罹患したといった理由で継続できなくなったという例もありました。
その他、クライアント側の要因として、かつて受けていたカウンセラーさんが、スクールカウンセラーさんだったり、産業カウンセラーさんだったりする例があります。クライアントがそのカウンセラーさんと継続したくとも、学校を卒業していたり、その会社を退職していたりして、受けることができなくなったといった例もありました。
クライアントが引っ越しをしたといった例もありました。以前住んでいた地域のカウンセラーさんとは会うことができなくなったので、引っ越し先の地域でカウンセラーを探さなければならなくなったわけであります。
これらの例は、ある程度までは不可抗力であり、カウンセラーを代える理由として納得のいくものであります。不可抗力性が「ある程度」というのは、もし深読みをすれば、必ずしも不可抗力と言えない部分が見られるからであります。
その他、カウンセラーを代える理由が曖昧であるという人もあります。いささか問題の多い例であります。
これらの例に含まれるものとして、カウンセラーを転々とする人があります。一人のカウンセラーと安定した関係が築けないという人もあります。また、こっちのカウンセラーが良さそうだと感じればこっちのカウンセラーで受け、あっちのカウンセラーが良さそうだと感じられればあっちのカウンセラーで受け、というように、カウンセラーから受け取る印象で動かされるといった感じの人もあります。また、苦しくなった時に衝動的にカウンセラーを探して、直近で予約の取れるカウンセラーを渡り歩くといった人もいました。これらはすべてクライアントの抱える問題の一環を成しているものと考えることができます。
問題の多い例として、以前のカウンセラーや病院から「拒否」されてしまった人もあります。あちらで拒否されたので、こちらで受けたいということなのですが、やはり問題の多い人なので、しばらくすると「拒否」されることになるようでした。私の方でもお断りすることになった人たちであります。
なぜこの人たちが「拒否」されるのかということですが、「枠組み」を平気で破るからであります。約束の時間に来ない、予約の時間外にいきなり訪れる、面接時間が終了しても帰らない、料金を払わない、面接中に暴れたり大声を出したりして他の人の迷惑になるような行為をする、クリニックの玄関先でいつまでも居座る、等々の行為が見られるからであります。
彼らは拒否されることに憤慨するのですが、そこまで枠組みを破るのであれば、治療など受けても意味がないのであります。だから私の方でもお断りする次第であります。無駄な治療に終わるのであれば、こちらも最初から引き受ける気もしないのであります。
さて、カウンセラーを他所からウチに代えたということをクライアントはどのタイミングで言うのでしょうか。
予約を取る際に言う場合、すでに述べたように、私はそのカウンセラーさんともう一度やってみることを勧めています。
予約を取り、面接を開始してから打ち明ける場合、初回面接時にそれを言う人も多いのです。以前はこういうところで受けていましたということを打ち明けるのであります。それはいいのでありますが、私としては、なぜ以前のカウンセラーさんとの関係が終わったのかをよく聞くようにしています。というのは、同じ理由で私とのカウンセリングも終わる可能性があるからであります。
次に、カウンセリングを継続して、かなり後になってから打ち明ける人もあります。なぜ早い段階でそれを言わない(言えない)のかは、人それぞれの理由があることでしょう。ある人は私に気を使って言わなかったと述べましたし、別の人は無断でカウンセラーを代えたことで罪悪感のようなものがあったと述べました。
初回面接時に打ち明ける人と、もっと後で打ち明ける人と、その大きな違いはクライアントが体験している安心感の度合いによるものと私は考えています。安心感の程度が低いほど何かを打ち明けることに抵抗感が生まれ、時間がかかることが多いのであります。
さて、私から他所へ移るケースに関しては、私はそこまで知らないので、述べることがなく、他所から私に移るケースに関して述べてきました。他所から他所へ移るケースというものもあるので、それを取り上げておこうと思います。
なかなかこちらもビックリするような体験をするものです。カウンセラーAからカウンセラーBへ代えようと思うということを、カウンセラーAともBとも面識のない私に、しかもクライアントでもない一面識もない人から尋ねられるのであります。要するに私はまったく無関係の関係性の話に引き入れられるのであります。私にとっては謎であります。どうしてこの人はこういうことができるのだろうか、と。
どうして私にそれを尋ねるのですかと、相手に尋ねてみます。すると、例えば、カウンセラーBの評判を私が知っていると思い込んでいたり、カウンセラーAについての情報を私が有していると判断していたりすることが明らかになるのです。もちろん、相手の一方的な思い込みであり、判断であります。私はカウンセラーAさんともBさんともなんらつながりはないのでありますが、その人の中では何かつながっていたのでしょう。こういうのはいささか「妄想的」解釈であるように私には思われるのであります。
解釈は別としても、この人の中では葛藤があるわけです。カウンセラーAで続けるか、カウンセラーBに代えるか、という葛藤があることが分かります。この葛藤に対してこの人は無力であることが伺われます。なぜ葛藤に対して無力になるのか、そこまでは判明しませんが、この人はこの葛藤を第三者に委ねようとしているのであります。もちろん、私がAさんで続けなさいとか、Bさんに代えた方がいいとか、そういうことは言わないとしても、私に意見を伺うという形で、この人はその葛藤を自ら処理することを幾分回避しているのであります。では、何を回避することになるのでしょうか。それはAさんとの関係を切ることでAさんから恨みを買ってしまう恐れであるかもしれないし、Bさんに変更することに伴う負担やリスクであるかもしれません。何かがその人にとって耐えられないのでありましょう。その耐えられないものを、いわば私に肩代わりしてもらいたがっているようにも思われてきます。
そのようなわけで、カウンセラーAからカウンセラーBに代えたいと思うのですが、どうしたらいいですか、などと問われても、私は「そんなこと私は知りません」としか答えられないのであります。
さて、最後に私がもっとも重要だと考えているところのものを綴って本項を閉じようと思います。
カウンセラーを代えることは別に悪いことでもないし、不可抗力的に発生することもであります。私も3人のカウンセラーからカウンセリングを受けた経験があります。そのうちの一人は私のスーパーバイザーでありました。三者三様のカウンセリングがあり、それぞれ私としては学ぶところも多かったのであります。ただし、この三者が時期的に重なることはありませんでした。一人目のカウンセラーさんと別れてから、二人目のカウンセラーさんとのカウンセリングをはじめ、その後、さらに時間を置いて三人目のカウンセラーさんにお世話になったのでした。偶然そういう流れになったのであります。これに関しては非常に幸運であったと自分でも思うのですが、同時に三人のカウンセリングを受けていたら負担が大きくなっただろうと思っています。
この負担というのは、経済的、時間的な意味の負担だけでなく、精神的な意味での負担であります。私に対して、三者三様の見方がなされるわけであり、私は同時にそれを吸収することになるかと思うと、相当な負担になっていただろうと思う次第であります。
カウンセラーを転々としてきたという人とも何人か私はお会いしました。この人たちに共通するのは、転々とすればするほど却って「悪くなっている」という印象であります。最初のカウンセラーさんで続けておいた方がその人にとって良かっただろうにと思われる例もけっこうあるのです。
なぜ「悪くなる」のかですが、結局、あちこちでカウンセラーさんの「解釈」をその人は受け取ることになるからです。それらの解釈を総合したり、消化したり、そういうことがこの人たちには困難なのです(だから転々としてしまうことになるのです)。つまり、あっちではああ言われ、こっちではこう言われ、またそっちではそう言われ、それらの解釈を総合できず、それぞれの解釈に応じて自己を分断せざるを得なくなるので、却って「悪くなる」のであります。
他所から私のところへ移ろうと打ち明ける人に対して、私はそのカウンセラーさんのところへ一旦は戻りなさいと伝えるようにしているのも、このような人が現れてしまう可能性を防ぎたいからであります。その人が今受けているカウンセラーさんも、その人がかつては信用していた人であるはずであります。なんらかの理由でその信用が揺らいでしまっているのかもしれませんが、もう一度信用してみることを私はお勧めしているわけであります。それでやってみて、どうしても無理だということであれば、私のところへ移っていただいても構わないのですが、それでも、私との間で同じことが生じないとは断言できないことだけは了承いただきたく思います。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)