<#016-31>「カウンセラーは話を聴くだけ」
<Q>
「カウンセラーは話を聴くだけで、何もしない」といった意味内容の質問であります。何人もの人からこの種の内容を受け取っています。
文面だけでは伝わりにくいかと思いますが、もっと侮蔑的であったり、挑発的な表現・言い回しをする人もあります。
<状況と背景>
私の経験した範囲では、こういう質問というか苦言はカウンセリングを受ける人からは聞かれないものであります。問い合わせをしてきた人がいきなりこのような内容を言うことが多いのであります。そういう事情があるので、質問者に関する事柄は一切分かりません。
<A>
「その質問自体が症状であります」
<補足と説明>
一体どういう人がこういう質問を投げかけてくるのでしょう。どういう人がこういうことを言いそうなのか、そこを考えてみたいと思います。
まず、この文言に注目してみましょう。
ここには「カウンセラーは何もしない」という内容が含まれていますが、これはカウンセラーに対しての価値下げではないかと私は思うのです。カウンセラーを無能呼ばわりしているように聞こえてしまうのであります。
同じように、クライアントも何もできない人間として想定されているようであり、その意味ではクライアントに対しての価値下げも感じられるのであります。
従って、カウンセラーとクライアントの双方が価値下げされているように私には響くのであります。
次に、カウンセラーは何もしてくれず、クライアントを突き放すとか見捨てるといったニュアンスを読み取ることも可能であります。事実、この種の問い合わせをする人の中には、そういうニュアンスが濃厚である質問者もいたのであります。
もし、そうであるとすれば、この質問者は突き放されるとか見捨てられるとかいった体験に非常に敏感な人であるかもしれません。通常なら「見捨てる」という体験に映らない場面においても、それを見て取ってしまう人であるかもしれません。
さて、「カウンセラーは聞くだけで何もしない」という内容を、少し場面を違えて言い換えてみましょう。私にはこの文言が、「レストランは料理を提供するだけで食べさせてくれない」に等しいと感じられてくるのであります。質問者の言っていることがそのような意味に聞こえてしまうのであります。
仮にそうだとすれば、この質問者は、料理を提供されるだけではなく、食べさせてもらうことまでしてくれないと満足できないということになるでしょう。これはつまり、人生再早期まで心的に退行している状態にある人である可能性が感じられてくるのであります。
今述べたことはまったく根拠がないわけではなく、この質問をする人に私は「では、カウンセラーにどういうことをしてもらいたいと思っているのですか」と尋ねてみたことがあるのです。その人の答えは、簡潔に言えば、すべてをカウンセラーに肩代わりしてもらいたがっているというものでありました。抱えているものをカウンセラーに丸投げして、カウンセラーの方でそれをどうにかしてほしいといった内容の返答だったのであります。
先に述べたことと重複するのですが、これは「全面的依存」であり、その質問者自身がそこまで無力な存在になっていることを示していないでしょうか。そのように仮定すれば、この人は心的には幼児の段階を生きているということになるのであります。
では、どうして「私は苦しいんです。これを抱えられないんです。あなたに丸投げしたい気持ちなんです」などと言わずに、「カウンセラーは話を聴くだけですか」とか「何もしてくれない」などといった表現になるのでしょう。婉曲的で仄めかすような表現になるのはどうしてなのでしょうか。自己表現の拙さが見られるだけでなく、自分の思考や感情、要求を的確に把握できないのかもしれません。自己が希薄であったり、自我機能が低下している可能性も考えられそうであります。
また、その人が「カウンセラーは話を聴くだけで何もしない」と考えるのは自由でありますが、それをどうしてわざわざカウンセラーである私に、しかもまったく面識もない私に伝えなければならないのでしょう。一体、質問者は私から何を引き出したいと思っているのでしょう。
つまり、質問者は自分が何を求めているのかを言わず、なんらかの仄めかしをして、それを私に推測させようとしているようであります。これは質問者の「対人操作」の一つのパターンであるかもしれません。言い換えると、操作的な人間関係を持つタイプの人であるかもしれません。
話を聞いてもらえるというのは、仮にカウンセラーが行動面では何もしなかったとしても、心的に健康な人であれば、それがそんなに有害な体験とはならないものであります。その場面において、他者の存在や関係性が経験できているからであります。それらの経験ができない人がこういう発言をするのかもしれません。
他にもいろいろ考えられるでしょう。それに、この質問をする人にもさまざまな人がおられることでしょう。
でも、すべて仮定の話ではありますが、以上を総合すると、質問者がどういう性質の病理を抱えているかが自ずと見えてくるのであります。だから、この質問が出てくること事態がその人の症状ではないかと私は考える次第であります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)