<#016-27>「考え方を変えるにはどうすればいい」
<Q>
「どうやったら考え方が変わりますか」とか「考え方を変えるために何をしたらいいですか」とか、そういう類の質問です。
<状況と背景>
これは、自分の問題が「思考」にあると判断しているクライアントたちが発するものであります。自分の考え方に問題があって、その他のところの問題ではないと自分で信じている人たちだと思います。
<A>
私の回答は、「まず、その考えを捨てなさい」であります。
<補足と説明>
まず、簡潔に述べよう。ある人の考え方が変わったとしたら、そこには新しい個人の誕生があるということであります。考え方が変わるとは新しい人間が生まれることに匹敵するのであります。従って、考えを変えるとは、新しい自分の創出なのであります。
思考様式というのは、単独でそれだけで切り離せるものではなく、その個人全体と結びついているのであります。つまり、悲観的な考え方をする人がいるとしましょう。その人は思考が悲観的であるのではなく、その人自身が悲観的な人間なのであります。悲観的な人間が悲観的な思考をするのでありますから、その人にとっては、その思考はなんら違和感をもたらさないのであります。その人が悲観的な人間ではなくなったとき、初めてその思考が人格と調和しなくなるのであります。彼は自分の思考がおかしいと体験するようになるかもしれません。考え方が変わるのはその時であると私は思うのです。
従って、自分はそのままで考え方だけ変えようという思考は、こういってよければ、虫が良すぎるのであります。そんな都合のいい話はないものと思っていただきたいので、その考えを捨てなさいという回答が出てくるわけであります。
人間の思考に関して私は非常に興味があるので、いつかこのサイト上でそのテーマで綴りたいと思っています。詳細はそこに譲ることにしたいと思います。と言うのは、とてもこの1ページには収まら切らない内容を綴らなければならなくなるからであります。
以下、いくつかのことを述べて、お茶を濁して、本ページを終えようと思います。
まず、考え方を変える前に、考えることをした方がいいと思える人たちがけっこうおられるのであります。考えるということが分かっていないと思われるような人たちもおられるのであります。
確かに、思考にはさまざまなものがあり、彼らは彼らで思考していることもあるのですが、欠落している思考もあるということであります。
比較的最近、ちょっと面白い例を耳にしました。ある母娘のエピソードなのですが、分かりやすいのでちょっと拝借させてもらいましょう。あくまでもエピソードだけを拝借するのでありまして、母親と娘の個人的事柄、パーソナリティに関する事柄には触れないことにします。
母親は、毎日ではないにしても、仕事を持っていて、日によっては朝早く出勤することもあります。そういう時は、掃除とか洗濯といった家事も前倒しでやります。
娘は、いくぶんひきこもりのような生活を送っていて、朝起きるのが遅いのであります。母の出勤が早い日は、母が家事をしているときは娘はまだ布団の中であります。娘はその音がうるさいと母親に訴えるのであります。
娘が言うには、母が考えることとは、何時に家を出るから、何時までに洗濯をして、何分で掃除機をかけて、とそういうことばかりであるとのこと。母は確かに自分はそういう風に考えていると首肯します。娘に言わせると、母は考えていないということになるそうです。
娘の言い分はこうであります。今、娘が寝ているから、この時間に掃除機をかけていいかどうか、そこを考えることが考えることなのだというのであります。
母は自分のスケジュールを考え、娘は自分への気遣いを考えろと言っていることになるわけです。確かにこれらも思考と言えば言えるかもしれませんが、私から見ると、母も娘も考えることをしていないのであります。
では、何を考えるのかということですが、娘の睡眠の邪魔をせず、母が家事を行うためにはどうすればいいかということであります。母の都合と娘の都合と、一方が完全にガマンするのではなく、どこで折り合いをつけていくか、そのために何ができるのか、そこを考えていかなければならないのであります。
分かりやすく言えば、娘の言うとおりにすると、母は家事をするかしないかという二択しかなくなるわけであります。そうではなく、第三の選択肢、第三の方法論を考えることなのであります。考えるとはそういうことであると私は考えています。思考は課題解決のためになされ、第三の方向性を創造するところに、また、そのための方法や妥協点を産出していくところに、思考の本質があると私は考えている次第であります。
この場合、お互いの欲求を完全に封印することなく、それでいてお互いの欲求をある程度まで満たすために、どういうことができるのか、母と娘で協議し、お互いにとって良い方法を手探りで構築し、二人で弁証法的に思考を重ねていかれると良いだろうと私は思うのです。
次に、考え方を変えることによって何を目指すのかという点にも注目しておきたいと思います。さまざまなパターンがあるとは思うのですが、ここでは二点に絞りたいと思います。
まず、考え方を変えることによって、環境に対して違った働きかけをしようという方向があります。次に、考え方を変えることによって、環境に順応していこうという方向性があります。前者は環境の方を変え、後者は自分の心の持ちようを変えると言えるでしょうか。
考え方を変えるとラクに生きられるといった俗説が流布しているように私は思うのですが、その説を唱えている人たちはどちらを目指しているのでしょうか、私にはそこは分からないのであります。
もし、ラクに生きたいのであれば、何も考えない方がいい、それが正解であるように私には思われるのですが、どうもそうではないようです。だから、何を目指して考え方を変えるのか明記する必要があると私は思うのであります。
ちなみに、論理療法や認知療法はけっこう前者の方向性が強いと私は考えています。思考を変えることで、クライアントの環境や状況への関わり方を積極的に変えていくという姿勢が強いように私は感じています。ただ、日本人が(と言ったら言い過ぎでしょうか)論理療法や認知療法を求める時は、後者を目指している人がけっこう多いという印象を私は受けています。だから日本人には(これも言い過ぎでしょう)認知療法は無理だとさえ私は思っている次第であります。
他にも綴りたいことはたくさんあるのですが、本ページはここまでにしておきましょう。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)