#016-24宗教とは違うのですか 

 

<Q> 

 これは、つまり、私のカウンセリングが宗教であるか否かを問うているものであります。「お宅のところは宗教(団体)ですか」といった穏やかな問いかけから、「お前んところは宗教やろ」とケンカ口調で来る人まである。 

 

<状況と背景> 

 ハッキリ言って、分かりません。電話に出たらいきなりそういうことを言われるので。もっとも、開業当初はこういう問い合わせがいくつかあったものでした。現在では、私がサイトでウダウダ書き綴っているのを読んでくれるおかげか、宗教関係のところではないということが分かってもらえているようです。今はこういう問い合わせを受けることはありません。 

 

<A> 

 ウチは宗教ではありません。信仰する対象もなければ、拠って立つ経典もありません。面接の時間と料金は明記してありますし、既定の料金以外のもの(お布施など)をいただくこともありません。 

 

<補足と説明> 

 ところで、質問者のいう「宗教」をどのように理解するかで、答えが変わってくると思います。 

 私の考えでは、科学は一つの宗教だと捉えております。例えば、私の目の前にある物質は、すべて原子の集合体であって、の目にはそうは見えないのだけれど、実際は隙間だらけの物だということを科学は言っているわけであります。このことと「空即是色」(色のあるもの、つまり物質はすべて空であるという考え方)ということにどれほどの差があるのでしょうか、私には疑問なのであります。 

 また、これもの個人的な考え方なのですが、ケータイやネットも一つの「宗教」になり得ると捉えております。「カリスマ○○」というような人に追従するのも、やはり「宗教」だと私は捉えているのです。このように「宗教」を広い意味で捉えれば、カウンセリングも一つの「宗教」になってしまうだろうということであります。 

 

 しかし、「宗教」を、私たちが一般にイメージするところのものに限定すれば、カウンセリングは宗教ではないということになります。なぜなら、カウンセリングには帰依したり信仰したりする神仏を持たないし、経典も何もないのであります(こういうものがある方がどれほど楽なことか)。宗教的な行事や儀式もなく、お布施や寄付も受け付けないのであります。 

 カウンセリングをある人が受け始めると、その周囲の人が変な宗教に凝り始めたのではないかと心配されるという例を私はよく耳にしたものでした(つまり、周囲の人が過剰に感情的反応を起こしているわけであり、その人がカウンセリングを受けるということがその人たちには脅威となっているようだ)が、少なくとも、私のカウンセリングはそのような宗教ではないということを申し上げておきます。 

 

 それと、よく心配されるのは、寄付や高額の品物を買わされるのではないかということであります。私は規定の面接料以外の金額を受け取ったことはありません。それに、私には売りつける品物もないのであります。 

 ざっくばらんに申し上げましょう。クライアントに品物を買ってもらうより、面接料だけに絞った方が、実は利益が上がるのであります。壺だの数珠だの印鑑だの、そうした品物は、それに法外な値段を付けない限り利益にならないものであります。と言うのは、その品物を制作したり注文したりして、そこに経費がかかる上に、その品物を維持、管理するのにも経費がかかるからであります。さらに、この品物のために私の雑務も増えるわけであり、それも価格に反映させなければやってられないということになる。だから品物を売りつける方が、の場合は損失が大きいのであります。 

 時々、リラックスのグッズだの、アロマセラピーのセットなどを置かせてくれと業者が頼んで来たりすることがあるのですが、私はすべて追い返しております。その手の営業マンを追い返して、二度と来るなと言わんばかりに塩を撒いたりするのであります。いつでも撒けるように入り口の所に塩を用意してあるのです。それを怒りに任せてばら撒いてしまうのであります。後で、撒いた塩を掃除機で吸い取っている時に、少しばかり恥ずかしい自分を経験するのでありますが、それくらいクライアントに対して物を売るということに抵抗している人間なのであります。 

 もしクライアントにお願いすれば、買ってくれる人もいるだろうと思います。でも、それは私に頼まれたから買ってくれたというだけのことなのであります。買ってくれるのは、私に対しての信頼があるからでしょう。でも、買ってくれたとしても儲かるのは業者だけで、私の方はその分クライアントからの信頼を犠牲にしているのであります(クライアントから信頼されることがどれほどたいへんなことか)。だから、こんなバカなことはしたくないのであります。 

 

 結論を申しますと、私のカウンセリングは宗教ではないということであります。規定の面接料だけを受け取ります。寄付や布施もなければ、何かを買わされることもないということであります。ですので、そのような心配は不要なのであります。 

 

 さて、私のカウンセリングが(狭い意味での)宗教ではないということを示してきたのですが、そうではなく、私が個人的に何かの宗教を信仰しているか、どこかの宗教団体に属しているか、そういうことを心配する人もあるかもしれません。それについても私はお答えするのですが、私個人は特定の宗教を信仰しているわけではなく、いかなる宗教団体にも属していません(集団に属するというのがどうもイヤであります)。 

 

 確かに、カウンセリングとか心理療法とかいった分野は宗教との関連性が高い分野であるかもしれません。臨床心理学者や精神科医が扱っている諸テーマは、かつては宗教の領域で取り上げられていたものでした。歴史的に見ても、宗教で「悪」とされていた領域に精神医学は踏み込んでいったのであります。個人の生き辛さ、生の苦悩を臨床心理学者は取り上げるようになったのです。かつて宗教で扱われていた諸問題を、臨床心理学者や精神科医たちが取り上げているので、その辺りで両者の同一視が生まれてしまうのかもしれません。 

 だから、と言っていいのか、宗教家がカウンセリングをすることもあります。宗教カウンセリングなどと呼ばれるのでありますが、宗教家が行うカウンセリングは、やはり宗教であるという印象を私は受けるのであります。別にそれが悪いとは思わないし、そういうカウンセリングがあってもいいと思うのですが、私はそういう方向を目指さないのです。 

 

文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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