<#016-22>「考えてみます」 

 

Q 

 「考えてみます」 

 カウンセリングを受けるかどうか、あるいは続けるかどうか、その選択に迫られた時に「考えてみます」とお答えになられる方々であります。 

 

<状況と背景> 

 カウンセリングに関して問い合わせをした人の一部が最後に述べる一言です。あるいは、初回面接を受けて継続を勧めた後で返ってくる言葉であります。大抵、「考えてみます」とおっしゃってから電話を切る(またはお帰りになられる)のです。 

 

A 

 私の回答は、「お考えになるのであれば、どうぞ」というものであります。ただし、そこで考えるという選択肢を採ったことに関する責任は質問者の方にあるということを明記しておきます。 

 

<補足と説明> 

 昔はこれを言われたら、「どういうことをお考えになるのでしょうか」とか「考えるお手伝いをさせていただきませんか」などと、あるいは「一度受けてみてから、考えてみられてはいかがですか」などと、私はさらに食い下がったものです。 

 年々、横着になるのか親切心が薄れてくるのか、今ではそういうことをしなくなり、「考えるのであればどうぞご自由にお考えになられたらよろしい」と思うようになっています。 

  

 確かに、カウンセリングを受けるとなると、お金もかかるし時間もかかります。事前にお考えになられることはけっこうではあります。 

 少しだけ追加させていただくと、何を考えるべきかに関しては、私と質問者との間には差異があります。当人は「受けるか受けないか」を考えるのですが、私はその「抵抗感」を考えるべきだと思うのです。 

 つまり、その場合、私の回答はこうであります。「お考えになられるのでしたら、それはそれでけっこうです。でも、考えるのであれば、『考えてみます』と言わせている背後にあるものについて考える必要があるのではないでしょうか」というものです。 

 

 ところで、「考えてみます」とは、私もしばしば用います。業者や営業の提案に対してしばしば用います。私が、自分で感じている限りでは、この言葉を使う時は以下の4つの場面であることが多いように感じています。 

1・本当に検討してみたい場合 

 本当に考えてみる時、あるいは決断がきかねるので、少し時間をいただきたい場合などであります。 

 

2・相手との衝突を避ける場合 

 これは相手とケンカする前に終わりにしようという気持ちが生じた場面のことです。困ったことに、これ以上交渉を続けると私の機嫌が悪くなってしまうという悪癖が私にはありまして、爆発する前に私の方から打ち切りを持ちかける際にこの言葉を使います。 

 

3・それへの興味が失せる場合 

 提案してきたサービスなどに、初めは興味を持って窺っていたのだけれど、次第に興味が失せた場合、最初に食いついたのが私の方であるという負い目から、無下に断ることができなくなった場合などです。最初から興味を惹かない場合は最初から断るのですが、少し興味を持ってしまった場合であります。 

 

4・時間稼ぎ 

 時間稼ぎと言えば聞こえが悪いのですが、要は、その件は後にしてほしいということであります。1の時間稼ぎほど積極的な意味合いを持たないものであります。 

 

 こうして見てみると、前向きなのは1くらいなもので、234などは明らかに断ることを前提にして「考えてみます」などと言っていることに気づきます。「要りません」をやんわりと言い換えると「考えてみます」になるかのようにも見えてきます。 

 問い合わせした人が「考えてみます」と言った時、私が以前のようにそれからさらに食い下がらないようにしたのは、私の中ではそれは断りの言葉として響いているからなのです。実際、「考えてみます」と言った人で、その後、本当に足を運んできてくれた人はごくわずかだと思います。 

 

 以上のことから分かるように、「考えてみます」は断りの返事であると私は思い込んでいます。いささか極端すぎるかもしれません。でも、本当に考えたい人は、どう言っていいのか、もっと迷いであったり、あるいは真剣さが感じられたりすることもけっこうあると私は感じています。そういうものが見られない人の場合、やはり断りの意味合いが強いように感じるのであります。 

 では、なぜ断るのか。クライアントはたいていアンビバレントな感情を抱いているものであります。カウンセリングとか治療に関して、いわば肯定的な感情と否定的な感情との両方を有しているものであります。抵抗なく受けることができるというのは、肯定的な感情の方が否定的な感情よりも強いからである、ということもできるでしょう。断るというのは、最初は肯定的な感情が優位であったのに、どこかでそれが逆転して、否定的な感情が肯定的な感情を凌駕してしまったのでしょう。そのように考えることもできるということでありますが、一体、何がこの逆転をもたらしたのかは、私には知る由もなく、その当人にしか分からない(もしくは当人も分からない)ものであると思います。そこを考えてみた方が見えてくるものがあるだろうと私は思う次第であります。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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