<#016-17>「うまく話せるか自信がない」
<Q>
「うまく話せるか自信がない」、「わかってもらえるかどうか」、「きちんと伝わるかどうか」等々で表現される不安であります。
<状況と背景>
初回面接やカウンセリング初期にそうした不安を表明される方が多いのです。話すことそのものに関しての不安と言えます。
もっと後の時期に表明される場合では、何か当人にも上手く言えないようなことを話そうとしているか、これまであまり分かってもらえなかった体験を話そうとしていることが多いように思います。こちらは話す内容に関しての不安と言えます。
<A>
気にせず、思うように話してみたらよろしいです。
<補足と説明>
私がお会いしたクライアントで、自身のことを上手に的確に話された方というのは皆無なのです。
もし、その人が適切に自己表現できているのであれば、その人はクライアントにはなっていなかったはずなのです。
従って、ほとんどすべてのクライアントが、程度の差こそあれ、うまく話せないでいるのです。
カウンセラーはそういうことが分かっている上に、そういう人の話を聴いてきた経験もあるので、クライアントはそのようなことを気にしなくてもいいのであります。
また、最初は上手く話せないのが当たり前なのです。初対面の相手に自分のことを話すというのはなかなか難しいことであると私も思います。クライアントはカウンセリングを重ねるに従って、より適切に自己を表現できるようになる、つまり上手く話せるようになっていくものなのです。
私がクライアントの方々に求めるのは、「上手く話そうとか考えないで、友達に話すような感じで話して下さい」ということなのです。私はこれを初回面接時にはっきり伝えるようにしています。
そして、そんな風に話してくれる方が、その人のより自然な姿が感じられるのです。そのことがとても大事なのです。上手に話すかどうかということはほとんど問題ではなくて、その人が自然に自分自身でいられるということが大切なのです。
従って、上手に話そうと懸命になる人は、それをすることで自分を隠蔽しようとされているのであります。そのように解釈できる例もけっこうあるのです。自然体の自分を隠そうとしている印象を受けるわけであります。
そのように仮定すると、ある人が上手く話そうとすると欲するのは、それによって自然体の自分を隠すことになるわけであり、その人には自然体の自分を隠さなければならない理由があることになります。どのような理由でしょうか。そこには自然体の自分は受け入れてもらえないといった不安が隠れているのかもしれません。
そのような不安の有無を別としても、クライアントは自分を表現することがあまり上手ではないのであります。
なぜクライアントは適切に自己を語ることが下手であり、困難なのかというと、私の考えでは以下の四つの理由があると思います。
一つ目は、クライアントが言語的交流の乏しい環境で生きてこられたという背景によるものです。
クライアントと対話していると、その人の家族がその人にどのように接して来られたのかということが推測できることもよくあります。質問のような内容を訴えるクライアントの多くは、家族内において、会話が不足していたか、不適切な会話をしてきたか、そのどちらかの環境を生きてこられているのです。
このようなクライアントがカウンセリングを受けるとなると、まず「わたしが話すのですか」とか「話してもいいんですか」といった戸惑いを表現されるものなのです。戸惑いながら話されるので、当人としては上手く話せていないという感じが残るかもしれません。でも、多くの場合、当人が思っているほどうまく話せていないというわけではないのです。当人が思っている以上に、多くのことが私には伝わっているのです。
クライアントが上手く話せないということの二つ目の理由は、クライアントのその時の状態によるものです。
クライアントはしばしばカウンセリングを受けに来る時には、事態に圧倒され、幾分混乱されていることもあります。混乱している状態で語るのですから、その語りも影響を受けて混乱することがあるのです。だから自分でも上手く話せていないという感じが残るのかもしれません。
話すことや語ることというのは、その人の状態と密接に関係するもので、その人の状態がその人の語る事柄や語り方に影響するものなのです。だから、心理的に不安定な人の言語表現が不安定なものであったとしても何も不思議なことではないのです。その時、語る当人にしてみれば、上手く話せていないという感じがしているかもしれません。でも、それはその人の状態がそうさせているのであって、必ずしも言語的に交流できないとか、表現技術が備わっていないとか、そういうことを意味するわけではないのです。
三つ目の理由は、クライアントが自分の言語表現を下手だと信じている場合です。相手にきちんと聴いてもらえない場合に、あるいは相手に分かってもらえなかったとか伝わらなかったといった体験をした時に、自分の言語表現が拙かったからだと信じる人も少なからずおられます。本当は相手の理解力不足であったかもしれないのに、自分の方に問題があったと思い込んでしまうわけであります。そうして、自分の語りを当てにできなくなっている、信用できなくなってしまっているという人もおられるのです。
また、強迫的な傾向がある人にもそれがあるのを私は感じます。そういう人は上手く話そうとして、事細かに話して、何度も挿入句を挟んだり、時間順に話さなくてはと何度も行き来したり、九割までは言いたいことが言えているのに後の一割が意に沿わないので初めからやりなおしたりとか、そういうことをされるのです。完全主義的に語ろうとされるわけです。しかし、当人が完全主義的になればなるほど、却って相手に伝わっていないという感じが生まれてくるのです。この感じが残るために、自分は言語表現が下手だと信じてしまったりするのです。私にもその傾向があるので、これはよく理解できるのです。
四つ目の理由としては、クライアントが自分の話を聴いてもらえると信じていない場合であります。なぜその人がそうなったのかという背景はここでは問わないことにします。
この場合、その人は自分の話を非常に小出しにして語るもので、常に何かを隠したり、何か抑制的な力を感じながら話されるようです。つまり、自分をセーブしながら話すわけであります。
そのため、結果的に、相手に伝わりにくい話し方になってしまうのです。話し手自身も、恐らく、話し終えても、上手く話せたという感じはしないでしょうし、十分に聴いてもらったとも、よく通じたとも思えないでしょう。
以上のことを踏まえて、私たちは多かれ少なかれ表現下手なのです。私も自分で下手だと思うことがしょっちゅうあります。でも、不思議なもので、表現下手どうしの二人ですが、下手なりに交流していくと、いろんなものをお互いに伝え合っており、了解し合っているものなのです。私はそれで良いと考えています。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)