<#016-7>「大したことじゃないんですが」
<Q>「大したことではないんですが」、「こんなことで」等々
<状況と背景>
これは厳密に言えば質問というわけではないのです。自分の困りごとを話す時に、枕詞のようにこの種の言い回しを前置きに付けるクライアントがけっこうおられるのです。
例えば、「大きな問題ではないんですけど~」とか「大したことじゃないんですけど~」とか「こんな(些細な)ことを言っていいのか~」などなど、さまざまに前置きされるのであります。
中には、「世の中にはもっと苦しんでいる人も大勢いるのに、その人たちからしたらこんなの大した問題じゃないって言われそうで、実際私もそう思うんですけど、その人たちが抱えているものほど大きな問題ではないとは言え、やっぱり気になって~」などと延々と枕詞が続き、その「大したことじゃない」困りごとになかなか入っていかないといった例さえあるのです。
<A>
私はその種の枕詞を信用しません。
クライアントがカウンセリングの場面で話すことは、どれもその人にとっては重大事であるはずだと、アタマから決めてかかっております。
<補足と解説>
この種の枕詞は実にさまざまな場面で発せられるものでありまして、その一つ一つを取り上げていくとなると、膨大な量の記述となってしまいそうなので、ここでは簡単に概観だけしておくことにします。
①まず、自分のその問題は大したものではない、と本人がそう信じたいという願望を表している場合があります。
②これは①と重複するものでもありますが、本当は自分の手に負えない問題なのに、それを大したことではないと評価することで、自分の有能感であるとか、自己愛を保とうとする場合であります。その問題よりも自分の方が強いということを言い表したいわけであり、そのことを自分でも証明したい気持ちが見られる場合もあります。
③それは大したことではないと前置きすることで、カウンセラーがそれに深くかかわってくることを回避したい気持ちを表している場合があります。だから、こういう人は他者と親密な関係を築くことに困難を覚えたりすることも多いのです。
④上記はカウンセラーを回避したいという例でありましたが、少し似ているのですが、その話題を切り抜けるための前置きである例もあるように思います。つまり、「大したことじゃない」と前置きしておくことで、「大したことじゃないので、この辺で切り上げましょう」ということをいつでも言えるようにしておくわけであります。
③はカウンセラーの関わりを回避するものでありましたが、④はそれが話題となることを回避したいわけであります。
⑤「それは大したことじゃない」というのは、単に「そっちの方が言いやすい、話しやすい」という意味である場合もあります。他に言いにくいものがあるのだけれど、それは言えないので、言いやすい方を話すわけであり、その際にそんな前置きを付すわけであります。
⑥これは⑤と重なるところがあるのですが、クライアントは複数の困りごとを抱えているものであります。カウンセリングを受けることになった直接の困りごとを「主訴」とすれば、その他にいくつかの「副主訴」を持っているわけであります。この「副主訴」の方を指して「大したことのない(方の)問題」と表しているわけであります。
当人からすると、副主訴の方は主訴と比べて重要度が低いと評価されているわけであります。⑤は「言いやすい-言いにくい」という観点でありましたが、⑥では「重要度が高い-低い」の違いであります。
こういう人は主訴と副主訴とを切り離して考えることが多いようであります。主訴と副主訴とは別の問題であるというふうに認識されていることが多いわけであります。主訴と副主訴とがどうつながっているのかは見えていないことが多いように思うのです。
そして、副主訴の方が解消されると、それが主訴の解消につながるといった事も生じますので、両者を切り離さない方がいいというだけでなく、「大したことじゃない」という評価はできないものであると私は思います。
⑦それが「大したことではない」というのが他者の評価である場合があります。クライアントがその他者の評価を無条件に受け入れていることもあります。
例えば妻がある問題についてカウンセラーに相談しようと思うと夫に打ち明けたとしましょう。その時に夫から「そんな大したことのない問題で受けるな」などと言われたりするのであります。それが大したことではないというのは、夫の見地からの評価に過ぎないのですが、それを無条件に信じてしまうというわけです。
その妻が、実際にカウンセリングを受けて、その問題を話す時にそうした前置きをする場合、それは夫の評価をそのまま伝えていることになるわけであります。
⑧上述の⑦は特定の他者の評価でありましたが、これは特定の誰かによるものではなく、世間一般の風潮などであります。つまり、世間一般的に「大したことではない」とみなされているから、クライアントもそう言っているだけという場合であります。
その典型として「五月病」というものがあります。なんとなく、それは季節性のものであり、一過性の問題とみなされる風潮があるように私は思うのです。だから「五月病くらいで」などと言う人も現れるのであります。当人がそういう世間的な風潮を信じているわけなのですが、それでも当人にとっては深刻な問題となっていることもあり、「五月病」がより大きな精神症状の前兆である場合もあるのです。
⑨自分のそれが大したことではないと評価しているのは、「他にもっと苦しんでいる人がいる」からである、という場合もあります。もっと苦しい経験をしている人もいるのに、それに比べたら自分のこれは大したことではないなどと思うのかもしれませんが、この場合、その人は自分自身から目を背けたい気持ちがあるのかもしれません。
⑩「大したことではない」ということで、それを否認したい気持ちを表していることもあるでしょう。これは②と似ているのですが、②はそれを大したことではないと言うことで、それよりも自分の方が「強く」て、自分はそれをコントロールできるということを証明したい気持ちを表していたわけですが、こちらはその問題並びにその問題の重要度を否認したいわけであります。②は強がりであり、⑩は過小評価ということになります。
⑪大したことではないと前置きすることで、カウンセラーや周囲の人に迷惑や心配をかけたくないという気持ちを表している人もあります。③と似ているように思われるかもしれませんが、③は介入されることを回避しているのであり、⑪はそこまで介入を拒んでいるわけではなく、周囲に過剰な気遣いをしているわけであります。気遣いしなくてもいい相手(カウンセラーなど)に対しても気遣いをするわけであります。
普段から過剰配慮型の人である場合もあるのですが、しばしば激しい感情を隠蔽していることが多いのです。それがチクチクと感じられる場合もあるのです。
つまり、「これは大したことではないんです。(だから心配しないでください)」という表現の背後に、「この些細な問題でさえ、あなたにはどうすることもできないのだ」という批判が見え隠れするなどの例もあるわけであります。
⑫これは上述の⑪と少し重複するのですが、カウンセラーを「値踏み」する目的で発せられることもあるように思うのです。少々意地悪な見方であるかもしれませんが、「それは大したことではない」と前置きして話すことによって、カウンセラーがどんな反応をするかを見たいという願望であります。
例えば、大したことではないと前置きして言っておくことで、大したことではないからということでカウンセラーが軽視するか、大したことじゃなくてもカウンセラーが真面目に取り上げてくれるか、そうしたことを(本人は半ば無意識的に)評価するわけであります。ある意味ではカウンセラーを「試す」目論見で発せられるわけであります。
まだまだ挙げることはできるかと思うのですが、これくらいにしておきましょう。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)