<#015-31>S氏3回目面接~解説編(12) 

 

 ここまでS氏の3回目面接を解説してきましたが、いくつか述べ足りなかったことなどを補足しておくことにします。 

 いささか事細かに解説を試みたのでありますが、カウンセリングのような作業は表面的には何をやっているのか理解しづらいものであると思います。当事者にとっては意味のあるやりとりであっても、第三者にはそれがなかなか見えないということがけっこうあると思うのです。ましてや、非専門家であれば尚更カウンセリングで何をやっているのかが見えないだろうと思います。従って、カウンセリング(少なくとも私のカウンセリング)を知ってもらうためには、こうした解説が不可欠になると私は考えています。私の悪筆も手伝って、いささか冗長で煩雑な解説となっていると私は自分でも思うのですが、辛抱してお付き合いいただければと願います。 

 

 カウンセリングや精神医学の本は多数あれど、S氏個人について書かれたものなどないのであります。そのため面接をしっかり検討する作業が私には課せられるのであります。解説編として記述していることは、そうした検討作業に基づくものであります。個人的には、面接よりも、こういう検討の作業の方がカウンセラーの仕事としてはウエイトが大きいと考えています。 

 

 さて、この回でS氏は問題発生場面を持参してきました。すでに述べたように、どの人にとっても問題発生場面というのは、その人の「失敗」にかかわる場面であります。それを打ち明けること、検討していくことに対してクライアントの中で抵抗感が生まれてしまうのも頷けるのであります。できればそれを隠したいと思うようなことを、敢えて取り上げて、検討していくことになるわけなので、クライアントには、抵抗感を克服する強さが求められ、その作業をてがける勇気も必要となると私は思います。心理的に脆弱な人はこうした作業に耐えられないことが多いと私は考えています。 

 S氏はそこまで心理的に脆弱ではないのでありますが、最初の段階では多少の抵抗感のようなものがあったことが窺われます。どの辺りからその抵抗感が薄らいでいったのか、明確に規定できないのでありますが、徐々に彼の中で抵抗感が減少していったような印象を私は受けています。では、何がその抵抗感を軽減させるのでしょう。 

 問題発生場面はクライアントが失敗した場面であるので、カウンセラーも真剣に取り組まなければならないのであります。カウンセラーが真剣に考えるほど、クライアントは安心する傾向があるように私は思います。しかしながら、それと同時に、緊張もさらに強まることもあるようです。従って、カウンセラーの真剣さは、一方でクライアントの抵抗感を軽減させることもあれば、人によっては却って抵抗感を強めてしまうこともあるわけであります。それでもカウンセラーの真剣さがクライアントにとって助けとなることの方が多いと私は考えています。 

 それよりも重要なことは、問題発生場面を一緒に検討していく中で、クライアントにとって有意義な何かが得られることであります。それが抵抗感を軽減するのに一番与かることだと私は考えています。 

 その有意義な何かというのは、問題場面に関して、新たな発見があったり、違った見解や思考がクライアントにもたらされたり、自分自身や相手に関しての洞察が深まったりといった体験であります。 

 問題発生場面を検討する中で、クライアントがそうした体験をすると、それを直視することへの抵抗感が薄れるだけでなく、より積極的に取り組むようになり、より細部を話すようになることもあれば、より細部を思い出すことをするのであります。そこでは、もはや、自分の失敗は意識されていないかのようであります。 

 私も上手く言えないのでありますが、そういう時のクライアントを見ていると、失敗を経験した自分が、そのままの自分でいられるようになるという印象を受けるのであります。そういう意味でも、このような作業は治療的意義があると私は考えています。 

 

 次に、クライアントは大抵の場合、「問題」場面しか話さないものであります。その問題場面に至る経緯まで述べることは稀であります。S氏もそうでありました。面接では、問題発生場面よりも前の段階から検討しています。 

 その時、S氏はくつろいでいて、平穏な状態でありました。そこを私も押さえています。面接では、この状態のS氏を基盤にして問題発生場面を検討していることになるわけであります。もし、S氏が仕事や用事に追われていたり、何か気分を害するようなことが起きていたり、心に引っかかっているものがあったりしていたら、また違った風に考えなければならなかったでしょう。 

 問題発生場面の直前のクライアントの状態(特に心的状態)によって、その場面の理解の方向が変わってきたりするわけであります。 

 

 その問題発生場面でありますが、S氏の平穏が打ち破られ、驚愕し、状況に対してタイムラグが感じられるアクションを起こしていると私は考えてきました。端的に言えば、S氏はこの場面に「適応」できていないということになります。より正確に言えば、彼は妻の感情に対して不適応を起こしているということになると私は思います。 

 妻の感情に適応するとは、必ずしも妻の感情を鎮めるという意味ではありませんし、妻の感情に迎合するという意味でもありません。妻の感情を逆なでするようなことが、その場においては、適切な適応となる場合さえあるのです。つまり、妻がドアを蹴って入って、彼を無視する時、「僕はもう寝る。言いたいことがあるなら明日話なさい」と伝えることが適応的であるかもしれないのです。彼は彼でくつろぎを妨害されない権利を有するはずであるからです。あるいは、「今、ドアを蹴って入ったけど、その辺のものを壊したくなったら、実際に壊す前に、医者に見てもらうことをお勧めするよ」が適応的な応答であるかもしれません。 

 私は上述の方がより適応的であると考えている次第なのですが、ここにS氏の抱えている問題があるのかもしれません。S氏は妻をどうにかしようとしすぎているのであります。私にはそう感じられるのであります。そうであるとすれば、その行為の背景には自分は妻をどうにかできるという信念が潜んでいるかもしれません。彼は仕事に関しては非常に有能な人でありました。妻に対しても有能であろうとしすぎるのかもしれません。 

 もしかすると、それは彼の思い上がりに過ぎないのかもしれないし、過剰な自己愛であるかもしれません。面接のこの段階では何とも言えないのでありますが、そうした可能性も考慮する必要があるように私は考えています。 

 いずれにしても、妻のその言動に対して、特に妻の感情に対して、彼が適応的にふるまえないというところに、彼の抱えている問題の核心があると私は仮定していました。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

  

 

 

 

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