<#015-28>S氏3回目面接~解説編(9)
<抜粋>
(57)T:それでも妻は答えず、出ていこうとするんですね。Sさんは三度目の声をかけていますね。「待て!」と。
(58)S:そうです。本当に「待て!」と言って、ほとんど怒鳴る感じで言ってしまいました。
(59)T:きっと、だんだんと声の調子も強くなっていったんでしょうね。そうして奥さんの方が、「あなたはそうやってすぐ怒る」などと言って、出ていったんですね。
(60)S:そうです。もう、なんて言いますか、妻にメチャクチャ腹が立ってきたけれど、その時には妻と関わろうという気持ちが失せるというのか。
(61)T:きっと、混乱した気持になられたのでしょう。
(62)S:そうですね、なんだか訳が分からなくなるような気持ちです。
(63)T:そうでしょうね。混乱して、訳が分からなくなって、妻には腹が立っているけれど、ある意味では妻のことがどうでもいいような気持にもなって、そのままその場面が終わったという感じなんですね。でも、Sさんの中では不愉快なモヤモヤしたような気持が残ったでしょうね。
(64)S:そうですよ。次の日までけっこう引きずっていたような気がします。それで、問題が起きた場面のことはよく覚えているようにっていう先生の言葉を思い出して、ああ、これがそうなんだと思って、記録にしたためておいたんです。でも、こんなんでいいんですか。
(65)T:こんなんで、っていうのは。
(66)S:つまり、この程度の内容のことでも良かったのかなって。
(67)T:この問題場面は、妻とのやり取りもほとんど無いし、短いものであるけれど、とても重要な内容を含んでいると私は思います(S:本当ですか)。ええ。Sさんは三度、妻に声をかけていますね。ドアを蹴ったなと言った時、質問に答えろと言った時、待てと言った時の三度ですね。三度とも同じ感情であったかどうかは分からないですね。怒りの感情があったとしても、何に対しての怒りであったのか、それぞれ違いがあるかもしれませんね。
(68)S:そうですね。そういうふうに考えたことはなかった。カッとなったことは確かだけれど、それぞれの発言に感情的な違いがあるとは思ってもいなかった。
(69)T:そういうものだと思います。最初は妻がドアを蹴ったことで怒っていたかもしれません。でも、次は妻が質問に答えなかったことに対する怒りであるかもしれません。最後は妻が無視し続けることに対する怒りであったかもしれませんね。いずれにしても、最初の怒り、つまり奥さんがドアを蹴ったということは、どこか背景に退いていってるように私には思えるんです。そうなると、Sさんの方としては、自分が何に対して怒りを感じているのかが見えなくなっているかもしれないとも思うのです。
(70)S:確かにそうですね。訳が分からない感じになっていましたので。
<解説>
ここではS氏の三つ目のアクトとその後に関する部分を抜粋しています。
(57)S氏は妻に三度目の言葉がけをしています。「待て!」と言うのです。すでに見てきたように、「待て!」は最初に来るべき言葉であったかもしれません。彼の反応は状況よりも遅れを取っていると考えてきました。見方を変えると、ここでやっとS氏が状況に追いついたと考えることもできそうであります。
(58)S氏は「待て!」という言葉を「ほとんど怒鳴る感じで」放ったとのことであります。私はS氏が本当に怒鳴ったのだと思っています。これもすでに述べましたが、クライアントはしばしば自分の言動を控え目にしてカウンセラーに伝えることがあるので、きっとS氏は本当に怒鳴ったのだろうと見立てているわけであります。怒鳴っていなかったらこういう文言を付け加えることはないだろうと思うのです。ただ、彼が怒鳴ったとしても、そうしたくなる気持も私なりに理解できるのであり、怒鳴ったこと自体が問題になるわけでもないと思うのです。
(59)私の方は、怒鳴ったとは言わず、だんだん語調がきつくなったことでしょうという形で言い換えています。S氏に対してはどうであったか分からないのですが、こういう言い換えはクライアントをしてその行為を受け入れやすくすることがあります。その後で妻の返答に話題を移しています。彼が怒鳴ったというところにあまり拘らない方が良さそうに思うからであります。
(60)でS氏は矛盾する気持を訴えています。一方では妻に対して相当に腹を立てていながら、他方では妻と関わる気がしないと言います。私が思うに、これは妻の矛盾するメッセージに対する反応であったと思います。妻はS氏の注意を掻き立てておいて、S氏を無視するという矛盾したメッセージを送っていました。その双方に対してS氏が反応しているように思われるわけであります。
私はS氏のその時の感情を「混乱」とみなしています。S氏もそれを認めているようです。私はその混乱そのものに焦点を当てず、その後にモヤモヤしたような気持が残ったであろうという推測を伝えています(63)。その時の混乱した気持から、何か引きずるものがあって、それがモヤモヤした気持として体験されたであろうということなのですが、問題は、そのモヤモヤがどこで解消されたかであります。そこを知りたいと私は願っていました。
(64)彼は翌日までその気分を引きずっていたと言います。その後、話は私の願いとは別の方向に向かうことになりました。彼はこの場面をカウンセリングに持っていこうと思い立つのであります。その決断がモヤモヤ解消に一役買っている可能性もあるとは思うのですが、実際のところどうであったかは不明であります。
彼はそうして実際に問題発生場面をカウンセリングに持参してきたわけでありますが、「こんなんでよかったのか」という感想を付け加えています。(65)はそれに対する私の発言であり、より具体的に話すよう求めていることになります。(66)で、彼が言うには、「この程度の内容でよかったのか」ということを述べています。どうして彼はこのようなことを言うのでしょう。私の経験では3つほどのパターンがあると考えていますので、それは後で述べることにしましょう。
(67)で、私はこの問題発生場面に関して思うところを述べています。いわば私が自己開示しているわけであります。私はこの場面は重要なものを含んでいると考えており、実際、それを伝えているのですが、S氏は「本当ですか」と疑う気持ちがあるようです。私はS氏の中で感情の動きがあったはずであることを押さえています。
(68)S氏はそんなふうに考えたことはなかったと言います。カウンセリングが上手くいくと、クライアントはそのように表現されるのであります。クライアントからすれば、自分の経験に少し違った視点が持ち込まれることになり、これが自分の体験を変容していく過程の発端となることも少なくないのであります。
さて、先ほど先送りした問題に触れておきましょう。S氏は問題発生場面をカウンセリングに持参しました。その問題が発生した翌日に彼はそう思いついたのです。そして、実際にカウンセリングで取り上げてきました。ここに至って、「こんな問題(場面)でよかったのかな」と疑心暗鬼な問いを発しています。どうしてこのような現象が起きるのかということを考えてみたいと思います。
一つは、これがもっとも望ましいパターンでありますが、その問題発生場面がカウンセリングの間に「大したことではなかった」と思えるようになったというものであります。その時は手に負えない状況であったけれど、こうして検討していくと、そんなに手に負えないものではなかったと気づくわけであります。
二つ目は、クライアントの中で罪悪感が芽生え、それが問題発生場面を持参したことに結びつくというものであります。特に、その場面を検討していくうちに、自分の言動に罪悪感を抱いてしまい、それが飛び火して、この問題場面をカウンセリングに持ち込んでしまったことにまで、さらにはそれをした自分に対してまで罪悪感を抱いてしまうわけであります。
三つ目は、これがもっとも望ましくないものであると私は考えているのですが、問題発生場面をカウンセリングに持参したまではよかったものの、それが自分の思っているような結果にならなかったというパターンであります。こうして持参して検討したけれど、結果として失望したといったパターンであります。こんな失望を味わうくらいなら、こんな問題を持参するのではなかったといった後悔の気持が強まるのでしょう。ただ、こういう体験をする人はかなり「病的」な人が多いと、私は個人的にそのような印象を受けています。というのは、この反応を示す人は自分と他とのわずかの差異にも耐えられないことが多いように思うからであります。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)