<#015-8>初回面接~解説編(5) 

 

 S氏の初回面接を概説してきました。ここでは総論としていくつかの要点を押さえておきたいと思います。 

 

 ①抑制的傾向 

 まず、彼は非常に抑制的に話されていました。私の記述ではそこはあまり伝わらないかもしれませんが、話したくないけれど話さなければならないとか、そういった葛藤しながら話す感じ、心の中で格闘しながら話す感じがありました。 

 自分を解放できず、抑制しながら話すのであれば、カウンセリングはかなり苦痛な場面になると思います。だから、あまり抑制が強い人は継続しない傾向があるのです。S氏の場合も、初回面接の時点では、継続が見込めない感じがありました。 

 

 ②不在の第三者 

 S氏が抑制的になってしまうのは、不在の第三者の存在が大きいからであることが伺われます。これはつまり妻と義母ということであります。彼は彼女たちを過剰に意識しながら面接を受けているのであります。 

 第三者の存在がクライアントの意識を占めてしまうので、カウンセリングは一対一で行わなければならないと私は考えています。第三者が不在であってもクライアントは影響を受けるのであります。もし、この第三者が同席したとすれば、クライアントはさらにこの人物に意識が占められることになるでしょう。 

 この第三者、つまり妻と義母ですが、彼女たちは彼に何をしたでしょうか。カウンセリングの前夜に彼に文書を持たせ、私に会ったらすぐに手渡して読んでもらうようにと指示しています。彼はこれに抵抗を示しています。その文書を手渡すのさえかなり躊躇していたように思われるのです。 

 また、当日になって妻たちが付き添うとまで言いだしました。カウンセリングの場に同席するとまで彼女たちが言いださなかったのは、彼女たちが私を回避したいからでありましょう。付き添うというのは、彼女たちなりの妥協案だったのだと思います。しかし、彼はこの申し出を断っています。仕事場から直接向かうからというのが彼の言い分でしたが、はっきり拒絶できないところに彼の立場が見える思いがします。 

 いずれにしても、妻と義母の存在が大きく、この面接でもS氏自身のことよりも、義母のことがよく理解できるように思われるほどであります。 

 

 ③第三者の問題としているところを話す 

 S氏のような立場のクライアントの場合、彼が自分の抱えている問題と、彼らが彼の問題としてみなしているところのものとの区別をしていかなければならないのであります。 

 彼の場合どうだったでしょう。問題はDVであり、彼は加害者であり、人格障害であるというのは、妻・義母が彼の問題とみなしているところのものであります。もし、彼が妻・義母に迎合して、完全に言いなりになっているとすれば、彼は進んでそのような話をすることでしょう。 

 言いなりになるということは、彼の主体が失われていることを意味します。もし、彼の主体が回復してくれば、彼はそれに抵抗、反抗するような動きを示すことでしょう。ただし、抵抗とか反抗とかいった意識が当人にあるわけではなく、第三者にはそのように映るということであります。 

 S氏においては、主体は圧倒されているところも感じられるのですが、それでも主体としての機能を喪失しているわけではないという印象を私は受けます。義母たちに迎合しつつも、自分の信念や主張も垣間見られるのです。 

 義母たちは彼にDVを専門に扱っている相談機関を受けるように求めていました。このDV専門家は義母たちの期待に応えてくれるように見えるのでしょう。彼は、そこではなく、私の面接を受けに来ました。義母たちには反抗的に見えることと思います。しかし、これは単に、義母たちが問題とみなしているものと、彼が自分の問題として意識していることの相違によるものであるだけなのです。 

 

 ④DVを語らない 

 さて、彼はDVの問題を相談しに来ました。しかしながら、面接を見ても分かるように、彼はDVに関する話を一切しませんでした。 

 彼がカウンセリングを受けて、DV問題を話し合うということは義母たちの求めているものであります。彼の中ではそれに抵抗したい気持ちもあったのかもしれません。 

 私も面接中は非常に困惑したものです。DVのことに触れるかどうか、DV場面のことを取り上げるかどうかで迷ったのを覚えています。もし、カウンセラーがそれを取り上げたとしたら、このカウンセラーは義母たちの味方として彼には映るかもしれません。それも避けたい思いが私にはあり、そのため、私も葛藤しながら彼と関わっていたのであります。結果的に、以後の経緯を見れば、ここでDV問題を取り上げなかったことが良かったのであります。 

 

 ⑤自己関与度の低さ 

 さて、義母たちの存在が大きく、このカウンセリングも義母たちの思惑が入り込んできて、彼としては窮屈な思いをしたことだろうと思います。彼自身のことではなく、義母たちが彼の問題としてみなしているものを話さなければならなくなっているので、どうしても彼の話は自己関与度の低いものとなってしまうのです。 

 クライアントの話が自己関与度の低いものであればあるほど、このクライアントはカウンセリングで恩恵を得られなくなります。その話し合いが自分自身のためのものではなくなっていくからであります。 

 自己関与度というのは、例えば、他者のことばかり話すよりかは、自分に関することを話す方が自己関与度が高いと言えるのです。また、自分の考えを述べるよりかは、自分の体験したことを話す方が自己関与度が高いと言えるのです。さらに、自分の話したことそのものへのかかわり(つまり、カウンセリングへの参加度)が見られるほど関与度は高いと言えるのです。 

 初回面接はどうしてもクライアントの自己関与度が低下する傾向が生じてしまうものであります。というのは、クライアントは自分に関することや関係する他者のことなど、さまざまなことを「説明」しなければならない場面が多くなるからであります。 

 S氏の場合、私のHPに関する話(42)~(48)辺りは幾分自己関与度が高まっています。(48)で「こんなことばかり話していいのかな」と彼が言うのは、自分のことを話していることの後ろめたさの表れであるかもしれません。次に、仕事に関する部分(76)~(78)辺りでも一時的に自己関与度が高まったように思います。 

 

 ⑥回避的または逃避的傾向 

 S氏は妻と義母に対して回避的または逃避的な傾向が見られるように思います。特に義母に対しての感情が強く、「できるだけ関わりたくない」(88)というのが彼の本音であるようです。 

 クライアントが回避的あるいは逃避的である場合、急場しのぎを考える場面が多くなると私は思うのです。この面接でも、妻たちにカウンセリングのことを訊かれたらどうするかとか、次回をどう実現させるかといったことが取り上げられています。 

 急場しのぎを考えることが悪いわけではないのですが、そればかりやっていると発展していかない傾向が強まるように私は思うので、クライアントの置かれている現状はそのままになるように思うのであります。 

  

 ⑦人格障害について 

 これは義母たちが問題としているところのものであって、基本的には彼の抱えている問題や悩みとは無縁のものであるはずなのです。ただ、どういうわけか彼はこれを非常に気にしているのであります。そのため少しだけ取り上げることにします。 

 まず、人格障害と診断されるような人は、基本的には「健常者」と違いはないのであります。心の中のバランスが取れている時は健常者とまったく違わないのであります。心の中のバランスが崩れたときに、「症状」とみなされるさまざまな言動をするのです。これらの言動は、症状という観点だけではなく、バランスを回復する試みとして見ることができます。ただし、かなり効率の悪い試みであると言えるのです。 

 さて、ストレスフルな状況においては、健康な人でも心のバランスが崩れることがあります。人格障害というのは、このバランスが容易に崩れると言えるのです。つまり、脆いということであります。 

 そして、バランスが崩れると一気に崩壊するのであります。一部崩壊とか半壊に留まらず、全壊してしまうようなところが見られるのです。つまり、崩れ始めると歯止めが効かないという傾向があるわけです。 

 最後に、一旦崩れてしまうと、回復までに相当な時間がかかるという傾向も認めることができるように思います。 

 人格障害にはそのような傾向が見られると私は考えています。その他に関しては「健常者」と異なるわけではないと考えています。 

 さて、S氏に目を転じましょう。S氏は私のクライアントなので、彼に対して好意的に評価しているという印象を与えてしまっているかもしれません。でも、そうではなく、人格障害と評価できるようなものが彼に見られないのであります。むしろ、その逆の証拠が見られるのであります。人格障害ならここでこういう反応をするだろうとか、こういう状態に陥るだろうとかいった場面で、それが彼に見られないということであります。 

 S氏を人格障害とみなすことはできないのです。むしろ義母たちのほうにそれが見られるのであります。それは追々述べていくことになるでしょう。 

 

 さて、⑦は別としても、①から⑥までの諸傾向が見られるので、S氏の継続は見込めない思いがしていました。二回目の面接が実現するとすれば、よほど状況などに変化が生じない限り無理であるだろうと思っていました。事実そうだったのですが、幸運にもS氏の二回目のカウンセリングが実現したのです。私たちは二回目面接の考察へと進みたいと思います。 

 

文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

PAGE TOP