<#015-4>初回面接~解説編(1)
S氏の初回面接を記載しました。カウンセリングというものは外部から見る限り何をやっているのかよく分からないものであります。当事者にとっては意味のあるやりとりであっても、第三者にはなかなかその意味が読み取れないこともあるのです。煩雑になるとは思うのですが、もう一度初回面接の個々のやり取りを再録ながら説明をしていくことにします。
(1)T:では、気を楽にして、どこからでもどうぞ。
(2)S:(背もたれに体をもたせかける。横柄感が増した感じ)話すのですか(T:ええ、どうぞ)。話すと言っても、何を話していいのか・・・
(解説)最初に「どこからでもどうぞ」という形で私が誘い掛けます。
「気を楽にして」に従ったのか、S氏は背もたれに体をもたせかけます。横柄感が増したという感じがしたのですが、これは同時に私との距離を取ることにもなっています。
「話すのですか」という言葉は、S氏の防衛の硬さを表していると思われます。言い換えれば警戒心の現れであるようです。
続いて「何を話していいのか」と困惑されるのです。彼の中でなんらかの葛藤があることを示しています。
(3)T:ここへ来ることになった事柄から話されてみてはいかがですか。
(4)S:そうですね・・・(考えている様子)・・・僕がここへ来たのは、その、DVの問題なんです・・・
(解説)私の経験では、「ご自由にどうぞ」とか「どこからでもどうぞ」といった自由度の高い働きかけに困惑してしまう人でも、「ここへ来ることになった事柄から話してみては」というように制限してあげると話すことのできる人も多いのです。彼が困惑しているのであれば、この制限が救いとなって話し始めるであろうと思われるのです。
しかしながら、制限がかかっても彼は躊躇しながら話すのです。従って、彼の困惑はカウンセリングの場がもたらしているというよりも、彼の心の中の葛藤に基づくものであることがより確かになるのです。
カウンセリングを受けることになったことを「DVの問題なんです」と彼は言います。これは主体を欠いた表現であります。他人事のように話しているのです。このような表現を取ってしまうのは、その人の主体性が欠如している場合があるのですが、もう一つ、「それは自分の問題ではない」と信じている人にも見られるものであります。
(5)T:ほう、そうですか。で、どちらの方?(S氏、キョトンとする)。つまり、暴力を振るう側か振るわれる側か、ということなのですが
(6)S:ああ、そういうことですか、つまり僕はDVの「加害者」だということで・・・
(解説)彼がDV問題で来談したというので、私はどちらの立場なのかを尋ねています。S氏は最初はその意味が分からないのです。そこで加害者側か被害者側かとさらに私が尋ねたわけであります。DVのような問題では、暴力・暴言をしたとか受けたとかいうことを言う人が多いのですが、それを認めたくないとか、抵抗したい気持ちが強い人の場合、そこを明確に言うのを避ける傾向があると思います。
(6)でS氏は初めて気づいたように、自分は「加害者」であると言います。これも主体を欠く表現であります。相手に手を上げたとか、ひどいことを言ったとか、そういう主体の行為で表現せず、いわば「レッテル」を述べているのです。次の私の発話につながるのですが、これは本人が認めているものではないだろうと思われるのです。
(7)T:「加害者」というのは、誰がそう言っているのですか。
(8)S:妻です。
(解説)ここで初めて妻の存在が出てくるのです。妻は彼を「加害者」だと言い、彼はそれを否応なしに認めているという関係性が浮き彫りになってきます。妻に対してどこか無力になっていることが伺われるのです。
(9)T:で、Sさんはどう思っているのですか。
(10)S:妻に暴力をふるったので「加害者」なのだと思います。
(解説)妻は彼を加害者と見ています。そこでS氏自身はどう思うのかを尋ねているのですが、それに対する彼の答えは自己不関与性の高いものであります。彼はあたかも他人事のように述べているのです。いずれにしても、妻がそういうのだからそうなのだろうといった感じの無力さが伝わってきます。
(11)T:なるほど、あなたもそのようにお考えになられているということですか
(12)S:(笑って)違うんですか。
(解説)私の(11)の発言はいささか皮肉がこめられていたものでした。それに対して憤慨して本音を喋る人もおられるのですが、S氏はそうではなかったのです。彼は笑って「違うんですか」と答えます。どこまでも他人事のようであります。彼はひどく身構え(防衛が硬い)、私やその話題から距離を取ろうとしているように感じられてきます。
(13)T:「被害者」が暴力をふるうことだってありますしね。
(14)S:そうか・・・
(15) T:Sさんは暴力を振るった。そのこととSさんが「加害者」であることとはつながらないかもしれませんね。
(16) S:確かに・・・(何か迷っている様子)・・・(おもむろにカバンを開いて、A4用紙3枚にびっしり書き込まれた文書を取り出し、手渡す)
(解説)私の(13)の発言は彼の防衛を幾分和らげることになりました。
(14)は彼の中で何か腑に落ちている感じがします。あるいはどこか納得したような感じがあります。
(15)では私はもう一押しして彼の防衛を和らげようと試みています。
(16)で彼は妻たちの作成した文書を取り出します。ここで初めて彼を悩ませているものが出てきたのです。彼はこの文書を出すことを躊躇していたようです。というのは、もし、そうでなければ彼は躊躇なく最初から文書を差し出したことでしょう。だから、彼はそれを見せることを拒否したかったのだと思います。おそらく、そこには彼にとって具合の悪いことが書いてあるからなのでしょう。
彼の心に重く圧し掛かっていたそれを差し出したということは、彼の防衛が緩和してきたことを示しており、私に対しての信頼が増したことを表しています。つまり、それを見せるかどうかで葛藤があった(と仮定している)のを、ここで彼は自分から見せたのです。それはその葛藤が処理されているからであります。加えて、それを見せても大丈夫だと思えるほどの信頼感が生まれていることが伺われるわけであります。
(17) T:(私は受け取り)何です、これは?
(18) S:妻が書いたもので、僕では上手く伝えられないだろうからと、昨夜、妻が作成したものです。真っ先にこれをカウンセラーに読んでもらうようにって。
(19) T:こんなもの要りません(文書をS氏に突き返す)。
(20) S:いや、それでは困るんです。読んでもらわないと。
(解説)S氏に限らず、カウンセリングの場で書いてきたものを読むということを私はしないのです。本人が書いたものでも読まないことにしています。ここでは詳述しないのですが、それは反「治療的」であると思うからであります。
さて、S氏の言うところでは、妻がそれを書いており、真っ先にカウンセラーに渡すようにと言伝ています。彼がそれを渡すことに躊躇していたのは、同時に、妻に対して反抗していることになります。
おそらく彼にとって悪い内容のことが書いてあるのです。だから私はそれを彼に突き返すのです。そして彼は困る(20)のです。この困惑した表現をする彼には最初の横柄な感じは微塵も見られないのです。だんだんと構えが取れてきたことが伝わってきます。この困惑した彼が今の本来の彼なのだと思われるのです。
(21)T:ふむ、それじゃあ、預かるだけ預かっときましょう。後で読みます(本当は読むつもりなぞない)。Sさんにこんなもの持たせてね、私もアタマにきますね。
(22) S:そうなんですか(ちょっと驚いた風)。
(23) T:そういうのは私は不愉快なんですよ。奥さんが言いたいことがあるなら、奥さんが来て言えばいいのにね(S:そうですよ)。なんだか遠隔操作されている気分になるよ。
(24)S:(笑う)ほんと、そんな気分になるんですよ。でも、読んでくれなかったとしたら、妻たちになんと言えばいいのか
(解説)S氏が困るというので、私は預かっておきましょうと応じています。後で読むというのも、彼が妻にそう言えるように言っているだけです。
アタマに来るというのは私の本音でもあります。これは私が怒りを表明していることになるのです。尚且つ、彼の妻に対しての怒り、妻が要求するものに対しての怒りでもあります。もし、彼が妻に対して怒りを覚えていて、それを過度に抑圧しているということであれば、私の怒りの表明に安心感を覚えるか、同調してくる(つまり、怒りとか否定的な感情体験が話しやすくなる)か、なんらかの反応を示すはずであります。
では、彼の反応は何か。驚愕でした(22)。私が怒りを表明したことに彼は驚いているのです。ちなみに、カウンセリングの場で驚きを体験することは望ましい場合が多いと私は考えています。
そこで私は私の怒りをより具体化します(23)。これも本音の部分でありまして、妻の書いたものを読まされるというのは、妻に遠隔操作されているような気分になるのであります。
(24)で、彼が笑うのはどこか安心感を覚えたからではないかと思います。そして、そんな気分に自分もなる、と言うことで同調しています。さらに、彼がこういうことを言えるのは、彼が妻に屈していないことを表しています。もし、彼が妻に屈していたら、つまり妻のやることがすべて正しいなどと信じ込んでいたりしていたら、妻の行為を弁護するようなことを言うでしょうし、妻の行為に怒りを表明するカウンセラーに不快感を示すだろうと思われるのです。
ただし、彼は新しい不安を述べます。妻の要求にカウンセラーが応じなかったということをどう伝えたらいいのかと彼は言います。まず、不安や心配事をそのまま言えるまで彼はカウンセリングの場に安心感を持つことができています。そこを押さえておきたいと思います。そして、この不安は彼の気持ちが、妻の側にではなく、カウンセラーの側に傾いていることも示しています。と言うのは、妻の要求を断ったカウンセラーを悪者にしてしまえば済む話なのです。あのカウンセラーは妻の文書を読まないひどい奴だったよ、と妻に報告すれば済むわけです。カウンセラーを「悪者」にできないのは、カウンセラーに対しての信頼感や安心感などがあるからであると思われるわけであります。
(25)T:どうとでも言っていいですよ。ところで妻たちというのは?
(26)S:妻と母親、僕からすれば義母ということになりますが、この二人です。それ(文書)も妻が書いたものだけれど、義母のアイデアでもあったようです。
(27)T:その義母はあなたがた夫婦にどう関係しているのでしょうか。
(28)S:妻は何かあるとすぐ義母に報告する。そして義母が僕を呼び出したりしたこともあるんです。
(解説)「どうとでも言っていいですよ」というのはS氏をいささか突き放した感じを受けてしまうかもしれません。そういう意味ではなく、何を言おうと妻には通用しないかもしれないので、どう言っても構わないということであります。
それよりも(24)で新しい情報が出てきたので、そちらに注意がそそがれたのです。「妻たち」と複数で述べているところです。
ここで義母の存在が初めて語られます。文書を書いてカウンセラーに読ませるというのは義母のアイデアであったようです。すると、私の怒りはこの義母の要求に対してのものであったということになります。しかしながら、彼の中ではあまり妻と義母とが区別されていないのかもしれません。つまり、妻と義母をセットのように見ているのかもしれません。
義母はどう関係しているのかを問う(27)と、妻と彼との間に介入してくるようであります。詳しい場面をS氏は話していないのでこの時点ではなんとも言えないのですが、妻は義母を頼り切り、義母の方が何かと動くような感じがしてきます。端的に言えば、母と娘の癒着が強いという印象を受けたのでした。
(29)T:Sさんも不愉快な思いをされたことでしょう。
(30)S:(要約:妻と義母の話になる。義母は離婚して一人娘を引き取り、以来、母娘だけで生きてきたこと。娘がS氏と結婚後、義母は一人暮らしをしているが、妻がしょっちゅう義母を訪れ、義母もまた彼ら夫婦のところへ頻繁にやってくるという。妻は何か困ると義母に頼る)
(31)T:なんだかSさんと妻と義母と、三人で生活しているみたい?
(32)S:そんな気がしてくる時がある。義母の存在が大きい。
(解説)義母が彼を呼び出したりするというので、彼は不愉快な思いをしただろうと私は推測しています(29)。いささかS氏の感情表現を先回りして述べている感じもするのですが、多少はそれをしないとS氏の語りが進展しないようにも思うのです。
彼が不愉快な思いを体験しているのであれば、私の問いかけに対して、何か不愉快なエピソードでも語られるだろうと思われます。しかし、彼は自分の不愉快な体験を話しませんでした。代わりに、彼は妻と義母のことを話します。彼の中で何か不愉快な場面が思い浮かんでいたかもしれませんが、彼はそこから目を背けています。
続く(31)では、もう一度、彼が不愉快な体験をしていないか、そこに焦点を当てようと試みています。
(32)の彼の返答も、いささか直面化を避けるところがあるように私は思います。つまり、「本当にそうなんですよ」とか、「いや、そんなふうには思わない」とか、そういう明確な表現を取らず、「そんな気がしてくる時がある」といった婉曲的な言い回しをしているからであります。そして、義母の存在が大きいということで、視点を、自分にではなく、義母に注いでいます。彼は自分の不快な感情体験を語ることをどこかで避けているような印象を私は受けます。
(33)T:奥さんもSさんを頼りにせず、義母を頼りにしているといった感じですか。
(34)S:そういうわけでもないけれど・・・妻は僕に背中を押してほしいとよく言います。僕も妻の要望に答えて、励ましたり、勇気づけたり、一押ししたりとやってるつもりなんですが、妻は僕では役不足だと言うんです。義母はその役を果たしてるようで、それで僕に頼るよりも義母に頼るようです。
(35)T:そうですか、奥さんはSさんに背中を押してほしいと願っているわけですね。なるほど。でも、背中を押しているのは義母の方なんですね。
(36)S:そうですね。だから妻からすると、僕は役に立たないように見えているのではないかと思う。
(解説)続く(33)では、妻の方に焦点を当てています。義母の存在が大きいのであるから、義母の話をしてもらっても構わなかったのかもしれないのですが、妻との間でどういうことが起きているのかを私は知りたいと思っていました。
(30)では、彼は義母の話をしています。そこでは彼はよく話していました。視点が妻の方に移行した後の(34)の発話は、どこか言いにくそうであります。義母の存在は大きいけれど、妻の方に言いにくい何かがあるといった印象を私は受けるのです。
さて、この(34)では後々重要になることが語られています。妻が彼に求める関係性が述べられています。妻は背中を押してほしいと願っており、夫との関係でそれを求めているというわけです。
一見すると、妻は支えを必要としている人であるように思われます。確かにそうでしょう。援助や支えを要する人であるのでしょう。でも、前に立ってリードしてほしいというのではなく、横並びで歩んでほしいという関係性でもなく、後ろから押してほしいという関係性を妻という人は求めているのです。
これはどういう関係性でしょうか。私が思うに、それは背中を押してくれる人が視界に入らない関係であります。後押ししてくれる人と向き合ったりすることのない関係性であると私は考えています。加えて、暴走しても背中を押す人には止められないという関係性でもあるように思うのです。
義母はそれに成功し、彼はそれに失敗していることが伺われます。上記のような関係性を仮定すればそれぞれどういうことになるでしょうか。義母がそれに成功しているのであれば、妻は義母と対面しなくてもいい関係を築いており、尚且つそれは暴走しても止められることがない関係であります。S氏はそれに失敗しているので、妻からすると、いちいち夫が視界に入り、対面してしまい、暴走できず妨害されているような体験をしているのかもしれません。個人的には、それに失敗する方が妻のためになると思うのです。本当は、義母よりも、S氏の方が、妻に対して望ましいことをやっているように私には思われるのです。
ところが、妻は自分が求めている関係性を夫が与えてくれないということでS氏が役に立たないと考えているようであります(36)。
面接はまだまだ続くのでありますが、分量が多くなったので、ここで項を改めることにします。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)