<#014-01>依存症問題に寄せて(1)
(はじめに)
「ギャンブル依存の心理と生」などというタイトルを付しているけれど、ここで述べていることは基本的には「パチンコ依存」のことであります。それでも、広く依存症問題に関して私が述べることのできることがあれば綴っていこうと思っています。
まず、はじめに「依存症」とは何かというところから、私の見解を述べたいと思います。
(依存症の構成要素)
一口に「依存症」と言っても、そこには多種多様の「依存症」が知られています。それぞれの依存症にはそれ独自の心理が働いているのかもしれませんが、何か共通するものが抽象できれば私たちの理解も深まるのではないかとも思うのです。
各種の依存症に共通するものがあると仮定するなら、依存症の下位概念を考察する必要があります。つまり、依存症を構成している要素であります。それらのうち、各種の依存症に共通してみられる要素があるかどうか、あるとすればどういうものであるか、という観点で考えてみたいと思います。私はそれを以下の4点に求めています。
まず、依存症にはその対象があります。その対象に対して依存行為が現れます。
パチンコ依存であれば、パチンコが依存対象ということになり、現実にパチンコを打つという行為が依存行為に該当するわけであります。アルコール依存であれば、アルコール飲料が依存対象になり、飲酒行動が依存行為に当たるわけであります。
その他、買い物依存であっても、商品が対象となり、購買行動が依存行為になると考えられます。セックス依存といったものでも、性的交渉の相手が対象となり、実際の性行為が依存行為に該当すると考えることができるのです。
依存症には、①依存対象と、その対象に対しての②依存行為が認められるということになるわけであります。
次に、依存行為に付随する行動があります。これを③副次的行為と呼んでおくことにします。依存症問題においては、依存行為だけでなく、副次的行為もまた問題となっていることが見られるのであります。
副次的行為とはどういうことかと言いますと、パチンコ依存ではパチンコの資金のために借金を重ねるとか、会社のお金を使い込んでしまうなどといった行為であります。また、パチンコは止めたとか、やったのにやってないと言ったりという虚言も含まれるものであります。
アルコール依存の場合、二日酔いで仕事を休んだとか、酔ってケンカしたとか、醜態をさらしたとかなどが認められるのです。大切な約束を破ったとか、使ってはいけないお金を使ってしまったといった行為もあります。店でお酒を盗んだとか、その他、公衆道徳に反するようなことをしたといったこともこれに含まれます。上述のパチンコ依存と同じように、飲んでるのに飲んでいないなどといった虚言が見られることもあります。
買い物依存でも、買い物のために借金をするとか、虚言を吐くとかいった行為が認められるのであります。
セックス依存のような問題では、恋人や配偶者への価値下げをはじめ、ケンカが生じたり、人間関係でも信用を失ったり、さまざまなトラブルを起こすこともあり、それらは副次的な行為と認めてもよいだろうと私は考えています。
最後に④「変身」を挙げようと思います。これは「現実の自分ではない自分を生きている」という意味であります。私はこれが依存症の本質であると考えています。その依存行為をしている間、その人は現実のその人ではなく、現実のその人ではない人間を生きていると私は考えています。依存症と非依存症の違いはこの部分にあると私は考えています。
パチンコ依存の場合、現実のその人は大きなことを決断することもできない小心者であるのに、パチンコを打っている間はいっぱしの勝負師のような自分を生きていたりするわけであります。現実には生活が困窮しているのに、パチンコを打っている時は裕福で気前のいい人間を生きているといった例もあります。
アルコール依存では変身がより分かりやすいのです。普段は小心者なのに酔っぱらうと気が大きくなるという人、普段は無口なのに酔うと饒舌になるといった人がよくいるのですが、これは現実のその人ではなく、別の誰かになっているに等しいわけであります。
私の個人的な例も挙げておきましょう。私は酔うと思考が速くなるのか、いろんなことを考えたり思いついたりするのです。頭の回転の速い人間(現実の僕はとてもそんな人間ではない)を私は体験しているのであります。でも、頭の回転の速い私を再体験したくて、あるいはそういう私がここにいてほしいといった場合には、やはりお酒を求めてしまうのであります。
買い物依存のような問題でも、実際に私が見聞した例を挙げますと、現実には貧困で借金苦の生活を送っているのに、買い物している時だけは富裕層の、セレブな自分を生きているという人もいました。その依存行為をしている間、この人も現実の自分を生きなくなっていて、別の人間を生きているということになります。
セックス依存のような問題でも、私の見聞した例では、現実のその人は誰からも愛されていないし、その人自身人を愛することを積極的にしない人なのでありますが、セックスしている最中は愛される自分を生き、愛を与える自分を生きられるようでありました。
これらの現実の自分ではない他の人格を生きることを私は「変身」と呼んでいるわけであります。当初、「変身」はアルコール依存にだけ見られるものと私は考えていたのですが、いろんな人の話を伺っていると、どうもそうではないように思われてきたのでした。今では「変身」が依存症の本質体験であると考えており、こう言ってよければ、すべての依存症は「変身依存」なのだとさえ考えているのであります。
以上、依存症を構成する4要素を想定しました。さらに詳しく見ていきたいと思います。
①の依存対象と②の依存行為が一般的には依存症とみなされるものであります。
しかし、依存症の定義に関しては、②と③が主に取り上げられます。依存行為をすること、並びにそれに付随して発生する行為が診断項目に挙げられることになるわけであります。
④に関しては、その人の主観的体験になるので、外部からは観察できないものであります。そのために診断項目などに含まれることがないのですが、私は個人的には④が一番重要であると考えています。
それぞれを具体的に見ていきたいと思うのですが、分量の関係もあって、続きは次項へ
引き継ぐことにします。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)