<#013-5>浮気の原因を巡って
(原因探求という欺瞞)
夫が愛人と浮気しているという夫婦を仮定しましょう。もちろん、夫と妻を入れ替えても構いませんが、夫に浮気されている妻ということにしましょう。
この妻たちはしばしば次のような問いを立てます。「なぜ夫(男性)は浮気をするのか」
という問いであります。これは浮気の原因を探求する方向に妻を向かわせることになります。
しばしば妻たちはそれをするのであります。夫の浮気の原因を探求するのです。私の経験ではこれは不毛な作業に終わることが多いようであります。なぜなら、浮気の原因というものが特定できないからであります。
原因というものは、それが存在するところでは必ずその結果が生じるという性質のものであります。男性にそれが有る(もしくは欠けている)と必ず浮気をすると見做されるものが原因ということになりますが、そういうものが存在するとは私は思いません。
例えば、親からの愛情が不足している男性は浮気をしやすいなどという説があるとしましょう。この説に該当する男性もいれば該当しない男性もいるでしょう。つまり、親からの愛情不足で育った男性のうち、浮気をする人もあればしない人もあり、そもそも結婚すらしないということもあるわけです。従って、親からの愛情不足は浮気の原因と呼べるものではなく、せいぜい浮気の要因の一つということになります。
そうした要因は、恐らく、無数にあることでしょう。一人の浮気者に一つの要因が働いているとは限らず、複数の要因を抱えているということもあるでしょう。しかし、多数の要因を抱えていながらも浮気をしないという男性もあることでしょう。要因の多寡は決定的ではないかもしれません。
この妻が私のクライアントであれば、原因探求などという無駄な作業はしなくていいと伝えることでしょう。それと同時に、私はこの妻の欺瞞を見てしまうことでしょう。
この妻が本当に問わなければならないことは何でしょうか。「なぜ夫が浮気をするのか」ではなく、「なぜ私たちは本当の夫婦になれないのか」を問う方が建設的であると私は考えています。「なぜお互いの間にパートナーシップを形成することに失敗してしまうのか」といった問いであります。もしくは、「なぜ私は夫に浮気をされなければならないのか」を問う方がまだましであると考えています。
原因探求がなぜ欺瞞なのかと言いますと、それは自分から目を背けたいという欲求の表われであり、自分に目を向けることなく、それでいて何かに熱心に取り組んでいるという錯覚を当人に与えるので欺瞞的な行為であると私は考えています。
(原因と要因)
もう一度繰り返すのですが、浮気に関して、その原因として特定できるものは何もなく、せいぜい複数の要因が確認されるだけであります。また、その要因と認めることのできるものも多数に及ぶものであります。
この要因を一つ一つ並べてみるのも面白い試みであるかと思いますが、おそらく、その作業に終わりはないでしょう。あらゆることが要因として想定できるからであります。例えば、夫婦に子供がいることも浮気の要因になり、夫婦に子供がいないことも要因になります。夫の稼ぎがいいということも要因になれば、夫の稼ぎが悪いということも要因になります。妻の性格がキツイということも要因になれば、妻の性格が優しいということも要因になるでしょう。愛情不足が要因であることもあれば、愛情過多も要因になり得るでしょう。妻が年上であることも要因になれば、妻が年下であることも同じように要因として働くことがあるでしょう。
今挙げた例を少し見てみましょう。夫婦に子供がいると、妻は子供にかかりきりになるので夫の浮気が発生しやすくなるということであり、夫婦に子供がいないと四六時中妻と向き合っていなければならなくなるので夫の浮気が発生するということになります。
夫の稼ぎがいいと浮気をする余裕が生まれるのと同時に、夫の稼ぎが悪いと貢いでくれる女性に惹かれてしまうということが起きることでしょう。
妻の性格がキツイので優しい女性に惹かれてしまうこともあれば、妻が優しすぎるので刺激になる女性に惹かれるということもあるかもしれません。
夫が愛情不足で育ったから愛人の愛情を求めてしまうこともあれば、夫が愛情過多で育ったから愛人からの愛情も求めてしまうということもあり得るかもしれません。
妻が年上であれば年下女性に惹かれるかもしれないし、妻が年下なら年上女性に憧れるということも起きるかもしれません。
要するに、どんなことでも浮気の要因になり得るのであり、その浮気の背景に位置することができるわけであります。要因は限りなくあるものだと思って間違いはないでしょう。
夫婦がきちんと夫婦になれていないこと、真の夫婦になれていないという関係において浮気のような問題が生じると私は考えていますが、この真の夫婦になれないということも浮気の原因ではなく、あくまでも要因の一つであります。
夫婦がきちんと夫婦になれていなかったとしても、それで必ず浮気が発生するわけではなく、DVなどその他の問題を生み出すこともあれば、形式的に夫婦を続ける人たちもあるでしょう。従って、それも要因の一つに過ぎないということであります。
(すべて要因である)
以後、私の見聞した限りで、ケースなどを通じて、私から見て重要と思える要因をいくつか記述することもあるでしょう。その際に、私の述べることを「原因」と評価して欲しくないのであります。すべて要因であります。こういう要因もある、ああいう要因もある、そういう話を展開するものであることをご理解いただきたく思います。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)