<#012-1>DV概説
本章(#012)ではDV問題について取り上げます。私が経験した範囲内で、私が考えているところのものを綴っていくことになると思います。
本項ではDV問題に関しての概説をしておきたいと思います。
(定義)
まずDVとは夫婦間並びにパートナー間における暴力問題として定義できます。暴力の内容は身体的、性的、心的な暴力が含まれます。
当事者はそれをDVと認めていることもありますが、中には認めないという人もおられます。その場合、一方がそれをDVと評価して、他方がそれを否認するという形を取ります。その際に、それがDVであると定義しているのは「被害者」立場の人であることが多いようであります。
(加害者・被害者)
すでに使用しましたが、「加害者」「被害者」という言葉を使用します。これらの言葉はその場面における両人の立場を単に示しているだけであり、人格的な意味は含まないものとします。
つまり、問題となる場面(DV場面)において、暴力をふるった側を「加害者」と呼び、暴力を振るわれた側を「被害者」と称しているだけであり、それ以上の意味は含めないことにします。
私の経験範囲では、夫婦の場合、夫が加害者立場であり、妻が被害者立場であることが多いのであります。しかしながら逆の場合も少なからずあります。
(DV関係)
私の見解では、DVという問題は暴力を中心にして理解してはいけなくて、その関係性を中心にして理解した方が望ましいと考えています。正式な名称ではないのですが、私はその関係性を「DV関係」と呼んでいます。
DV関係とは、加害者と被害者とがその都度役割を交代しながら進行していく関係であり、決して対等にならない関係であります。
このDV関係が形成されているところにDVという問題が発生するというのが私の基本的な見解であります。
(私のDV問題歴)
さて、私は暴力的な話は苦手であります。開業したころはDVのような問題は、例えば司法方面の臨床家に持ち込まれるものであって、私のところには来ないだろうと思い込んでいました。
どういうわけかDV問題の当事者とご縁があり、この問題について考えることになったのでした。初期のころには「被害者」立場の人の来談が目立っていました。
しかし、これは私の個人的経験なのでありますが、ある時期、私がお付き合いした女性がDV「被害者」の女性でありました。10か月ほど交際が続いたのでしたが、私はだんだん彼女に耐えられない思いをするようになっていったのです。誓って言うのでありますが、私は一度も女性を叩いたことはありません(叩かれたことはあるけど)。その私が彼女に耐えられなくて、本当に手を上げそうになったことが幾度かあったのです。手を上げてしまう前に彼女とは別れることにしたのですが。DVってこうして発生するのだなと改めて実感しました。
先ほど、加害者・被害者といった言葉に人格的意味合いを含めないと申しましたが、それには私の経験にも基づいているのであります。加害者という人間がいるのではなく、被害者との関係で加害者の立場に追い込まれる人たちがいるのだと思うようになりました。同じように、被害者という人が存在するのではなく、相手との関係で被害者役を取ってしまう人がいるのだと思うようになったのであります。
それをDV関係と私は呼ぶようになった次第であります。
彼女と別れて以後、私はむしろ「加害者」側の人を援助したくなったのであります。一時期はそういう加害者とされる人たちとばかりお会いしてきました。
近年、どういうわけか、被害者側の人も来談されるようになり、現在では加害者・被害者を問わずに援助していきたいと思うようになっています。
(同じ心理)
この問題を専門に扱う臨床家たちは、一方をより援助する傾向が強いと私は考えています。被害者専門のカウンセラーであるとか、加害者専門の施設であるとか、どちらか一方の援助に力を入れておられる方々も多いように思います。
それはそれでけっこうなのでありますが、私は少々疑問を覚えるのであります。
被害者は「暴力を振るわれたくない」と思っているのに暴力を振るわれてしまうのであります。一方、加害者側の人も「暴力を振るいたくない」と思っているのに暴力を振るってしまうのであります。これって、同じ心理ではないだろうか、と私はそう思うのであります。
従って、もし加害者側の人も被害者側の人も、同じような心理傾向を持っているのであれば、同じような問題を抱えているのかもしれず、そうであれば加害者・被害者などと区別する必要は全くないことになる、と私は考えるに至っております。
(カウンセリングを受けに来る)
私のところには加害者側の人も被害者側の人も来談されるのです。特に区別を設けておりません。
被害者側の人がカウンセリングや援助を求めるとは必ずしも言えません。少々キツイ言い方をしますが、二人のうち、より「痛めつけられている」(ように体験している)方が来談されるのであります。加害者側の人が来談されるケースでは、けっこう被害者側から追い込まれたりしているようなケースもあるわけであります。
従って、加害者側の人もけっこう痛い思いをされていることもあり、そういう場合では加害者側の人が来談する率が高くなるように思うわけであります。
このような背景があるので、ある場面においては加害者・被害者は容易に区別できるとしても、この関係性においては、本当はどちらが加害者なのか被害者なのかは不明瞭なのであります。私はそのように考えております。
以上、本項ではDV問題に関して概説してきました。要点を抜き出しておくと、DV関係が形成されているところにDV問題が発生するということ、加害者・被害者という区別は本当は存在しないかもしれないこと、両者は同じような問題を抱えているのかもしれないことなどを述べてきました。
以後、この問題に関するさまざまなテーマを展開できればと思います。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)