<#11-8>キレる配偶者~反省感情の有無(2)
ある人がキレて、その後に罪悪感、後悔、恥などといった反省感情が生まれるかどうかということにここでは注目しています。
反省感情は改善の動機づけになるだけでなく、その人が適応障害圏にある人であることを思わせるのであります。反省感情が欠落している、またはその他の感情が生起しているという場合では、改善の動機づけが低下するだけでなく、その人が人格障害圏にある人であることを思わせるのであります。
なぜ、反省感情が生まれないことの方が病理が深いのか、私の見解を述べることにします。尚、本項では話を分かりやすくするためにいささか極端な例で述べております。現実には人によってさまざまな程度の違いがあるのでありますが、そのような差異にまで言及すると際限なく記述していかなければならなくなるので、ここではそれは省略し、極端な場合のみを記述しておきます。
(自己の連続性の喪失)
私たちは時間的に連続して自分を経験しています。心の病の一つの兆候として、この連続性が失われるということが挙げられます。自分自身を断片的に経験するというわけであります。あの時の自分と今の自分とがつながらないのであります。
自分を反省するという行為は、あの時の私を今の私が省みるということでありますので、そこではあの時の自分と今の自分とがつながっていることが前提になるのであります。加えて、過去の自分との連続性だけでなく、将来の自分との連続性も私たちは有しています。従って、反省して、次はこうしようとか、あるいは相手にこういうふうに謝ろうとかいった将来の展望も開くことができるのでありあす。
連続性を失うとは、過去の自分とも切り離され、将来の展望を生むこともなくなるのであります。そこでは「今この瞬間」だけしか存在しないのであります。従って、今苦しいということであれば、今それが解消されなければならなくなるのであり、いつか解消されるという展望を持って取り組むことが困難になるのであります。今苦しいのであれば、今ラクにならなければならなくなるのです。だからこういう人は衝動的であったり切迫的であったりする印象を受けるのであります。何か困難に遭遇すると、即座にすべてを「リセット」するというようなこともするのであります。少しずつ改善を目指すという展望を持つことが難しいためであると私は考えています。
こうした連続性の喪失は、今現在のその人がしっかりしていないために生じることが多いと私は考えています。もちろん、それだけで生じるというわけではなく、その他の要因もここに加わってくるのでありますが、現在の自分がしっかり確立できていないのであります。
(切り替えが早いのではない)
もし、ブチギレした人が次の瞬間にはケロっとしていたとすれば、もうその瞬間(ブチギレしたこと)が現在から切り離されてしまっているのであります。他の場面でもそういう傾向が確認できる人もあります。そういう人は切り替えが早いというふうに見えるかもしれませんが、必ずしもそうとも言えないのであります。
ちなみに、切り替えが早いことと連続性を失うこととは、決して同一ではないと私は考えています。その中身で異なる部分があると私は考えています。切り替えが早い人というのは、自分を速やかに時間軸に置くことのできる人であると私は考えています。過去経験や将来の展望がその人を速やかに助けるのであります。そこが大きく異なると私は考えています。
(過去から学べない)
自己の連続性を失っているという人は、将来の展望を持つことができないだけでなく、過去経験から学ぶということができないのであります。過去経験が今のその人を助けるということもなく、過去経験を活用することもなくなるのであります。その過去経験は現在のその人からは切り離されていて、接点をもつことがないからであります。だから過去の自分から学ぶということは望めないのであります。過去経験から学べないということは、これは結局反省が無いということになってしまうのですが、その人には進展がなくなるのであります。
(進展がなくなる)
進展がなくなるので「リセット」のようなことをするのであると私は思うのであります。例えば仕事がうまくいかないという状況に直面した時に、どうすれば上手くいくだろうかと考え、過去経験なども参照したりして、自分が仕事をできるようになっていくという方向には進まないのであります。このような人にとっては、今この瞬間しか存在しないので、今この瞬間において上手くいくか上手くいかないかということが最重要になってしまうのです。そこで、今この瞬間に上手くいかないのであれば止めた方がいいという発想に至るのだと思います。続ければ上手くできるようになるという発想が生まれないのであります。私はそのように思うのであります。だからこういう人は衝動的であるように見えることが多いのであります。
そして、もしある人に、一つの状況に留まって、その状況において前に進んでいこうという傾向が減少して、手っ取り早く状況をすべて刷新した方がいいということになってしまうと、パートナーがそれに振り回されることになるわけであります。
(ケース)
話をキレるというテーマに限定しましょう。
その人がキレて、パートナーに謝罪させたという場面があるとしましょう。これは現実にあるケースなのですが、パートナーはそこで謝罪したからその件はそれで終わるだろうと期待するのす。しかし、数日後にはまた同じことで謝罪を強要されてしまうのです。パートナーは、それに関しては自分に非があることを認めているので、謝る分にはいいのだけれど、いつまでも同じことで謝罪しなければならないことに辟易していたのです。この人は相手との関係を改善したいと欲していたので、次の段階に進みたいと願っていたようなのですが、それが実現しないのでした。
このケースでは、キレる側は、こう言ってよければ、パートナーが謝罪する前日を毎日繰り返し生きているようなものであります。その人の中では時間が流れていかないのであります。パートナーがいくら謝罪しても、その人の中でその経験がつながっていないのであります。
(技術以前)
また、キレるパートナーにアンガーマネージメントのようなものを身に着けさせたらどうかということを訴える人もおられるのですが、自己の連続性を失っている場合には無意味であります。今、それを身に着けたとしても、将来においてこの体験とつながらないのであれば意味がないということになるからです。その人がキレそうになる時に、そういえば以前アンガーマネージメントでこういうことを学んだな、今それを活かそう、などというふうにはならないということであります。過去経験が切り離されているようであれば、何を学んだとしてもそれを参照したり活用したりすることがなくなるのであります。その人は、技術の習得よりも先に、自己の連続性を回復しなければならないのであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)