#11-4>キレる配偶者~瞬間型 

 

 配偶者がキレるということで来談するクライアントたちの話を伺っていると、キレるということの中身も人によってさまざまであるように思われてきます。ここではそれを私なりに分類して整理することを試みております。 

 すでに私たちは「例外」パターンと「引き下がり」パターンを見てきました。この両者は明確に区別できないかもしれません、その中間と呼べる人たちもたくさんおられるかもしれません。ただし、これから述べるパターンとその二つとは一線を画することができると私は考えています。 

 次に述べるのは「瞬間型」と呼べるもので、これをさらに(C)「言語化」パターンと(D)「行動化」パターンとに分けることにします。 

 

 話を進める前に「瞬間型」という概念について押さえておくことにします。 

 例外タイプや引き下がりタイプでは、その人はキレる前に、キレないようにしようとしている段階を認めることができます。内面から込み上げてくる衝動に対して抵抗しようとされるのであります。そして、最後までけっこう粘るのであります。そういう試みを読み取ることができるのであります。 

 瞬間型というのは、その中間段階が欠落しているようなパターンであります。その人の平常の状態からキレる状態まで、中間段階を挟まずに、一気に飛躍してしまうという感じの人たちであります。込み上げてくる衝動に対して抵抗したり、キレないようにと粘ったりということが見られず、内的衝動に無抵抗に身を任せてしまうという人たちがこのタイプに属するわけであります。 

 ただし、これは本当のところはどうなのか分からないのであります。キレる当人が中間段階にあるものを表現しないからであります。だからその人の外見からそう判断しているに過ぎないのかもしれません。表面には現れないけれど、当人の中では中間の段階が存在している可能性も否定できないのであります。 

 私は個人的には、キレる人にこの中間段階が見られた方が希望が持てる感じがするのであります。従って、本当にその人が瞬間型に属する人なのかどうかということをもっと確かめたい気持ちに襲われるのであります。以下、順を追って述べたいと思います。 

 まず、この人たちが瞬間的にキレるというのは、キレられる側であるクライアントの報告に基づいています。その人がキレるということに関して、「急に」とか、「いきなり」とか、「突然に」などの形容詞が付くのであります。 

 こうした形容詞が頻繁に付くということであれば、そのキレる人は瞬間型に属する人のように思えてきます。しかし、クライアント(キレられる側)がきちんと観察できているとも限らないのであります。例えば、キレられる側は自分のことに集中しすぎてパートナーがキレる前の姿がきちんと見えていないということもあり得るわけであります。つまり相手からキレられて冷静に相手を観察することなどできず、自分身を守ることしか考えられなくなるなどといったことが生じるわけであります。そこで、クライアント(キレられる側)に、パートナーがキレた時のことをよく観察してほしいとお願いするのであります。 

 その後、カウンセリングを継続期間中に、大抵の夫婦で相手が2,3度キレる場面が生まれるのであります。クライアントにはよく観察するようにお願いしており、相手がキレた後にもう一度振り返ってもらうようお願いするのであります。 

 そうして観察してもらって、それでも「急に」「いきなり」「突然に」の形容詞が変わらないということであれば、私はその人(キレる側)を瞬間型に属する人として考えていくことにするのです。 

 

 キレるその人が瞬間型に属するかどうかということはクライアント(キレられる人)の報告とか観察に基づくのでありますが、それ以外の手がかりもあります。それでもクライアントの報告に基づくことに違いはないのでありますが。 

 平常の状態からキレる状態までの中間段階の有無ということが焦点になっているのですが、この有無の違いは自我機能の違いによるものであると私は考えています。中間段階があるということは、この人はその場に適応しようと(その場を壊さないようにしようと)しているのであり、自分を律して、自分を維持しようと試みておられることになるのですが、それはその人の自我が機能しようとしていると理解することが可能であります。中間段階が欠落しているということは、その人の自我が機能しないとか、速やかに機能低下に陥るといったことを表していると考えることができるのであります。 

 もし自我がよく機能するということであれば、その人はさまざまな場面で適応が容易でありましょう。新奇な場面であっても、自我が機能して、その場面への適応を促すのであります。少々困難な場面などであっても、自我が機能するので、その場面に適応しようと当人は自分を律して、その場面や周囲の人並びに自分自身を維持していこうとされるでしょう。 

 もし、ある人の自我が十分に機能しないということであれば、その人は不適応の場面が多くなるでしょう。うまく適応していても、かなり無理して適応しているということもあるでしょう。従って、自我が十分に機能している人と比較すれば、その人は上手くいかないことが多いのであります。人生上のさまざまな場面でうまく適応できないのであります。しんどい人生を歩んでおられるのであります。 

 上記の見解に基づけば、瞬間型の人は自我が十分に機能していないので、その傾向がその他の場面でも認められるということになります。その人の人生が上手くいっていないことと、瞬間的にキレるということと、共通の根を持っているということになるわけであります。 

 クライアント(キレられる側)はキレるパートナーのことを話します。パートナーとのさまざまな場面のことを話します。さまざまな場面でのパートナーの適応様式を見ていけば、自我が十分に機能する人であるのかどうかといった見立てが立てられるのであります。瞬間的にキレるという人は、社会的場面であれ、家庭場面であれ、適応困難のエピソードがよく聞かれるのであります。そうした情報も踏まえて、この人は瞬間型に属する人のようであると見立てているわけであります。 

 ところで、これは余談ですが、私は<#11-1>にてストレスは何の説明にもならないということ、ストレスは副次的なものであることと述べました。瞬間型においては特にそうであります。自我が十分に機能していないということであれば、この人はストレスのかかる状況に適応(対処)することが困難になるでしょう。そして、困難な場面が多くなるほど、この人にはストレスがかかってくるでしょう。つまり、ストレスに圧倒されて、ストレスに弱くなることと、ストレスを新たに作り出していくことと、この人はこの両方を同時にやっているようなことになるのです。従って、瞬間的にキレる人が「ストレスのせいでキレた」といった説明をしたとしても、当人はそう信じているとしても、それは正しくないと私は考えています。 

 

 ところで、キレるとはこういう瞬間型の人に対してのみ使用したいと私は考えています。「キレる」を広義に解釈すると「例外」や「引き下がり」に属する人たちもこの範疇に入ってくるのでありますが、狭義に解釈すればキレるとは「瞬間型」の人にのみ該当するものであると私は考えています。 

 この瞬間型には「言語化」パターンと「行動化」パターンという下位分類を設けているのですが、次項では「言語化」パターンを取り上げたいと思います。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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