<#008-2>親カウンセリングの目標

 

(ある母親の言葉)

 「辛くはないです。ただ、今までやってみたことのないことをやりなさいって言われているようで、果たしてそれができるかどうか、心配で…」

 ある母親の言葉です。カウンセリングを終えて、なにか辛そうに見えたのでお尋ねしたところ、上記のような言葉が返ってきたのでした。母親のこの言葉は、私が本章で取り上げたいと思っていることをほとんど述べてくれています。

 この母親は子供のことでカウンセリングを継続されていました。彼女は一つの困難な場面に遭遇しているのであります。一つの分岐点に差し掛かっているのであります。今までのまま生きるか、それとも人生を変えていくかという選択を迫られているのであります。親カウンセリングでは(親以外のカウンセリングでも同様でありますが)、こういう分岐点に差し掛かる時期が訪れるものなのであります。

 私のところへ来る親は、子供のことで長年取り組んできた歴史を有している方々が多いのであります。ある母親は問題に取り組んでいたつもりが現実はそうではなかったということが見えてくる場合があり、また別の母親は子供のことにかかりきりになることで自分の人生を諦めていたことが見えてくる場合があり、母親によってさまざま異なるとはいえ、何かが見えてくるのであります。そうして見えてくるものが意識化されていくと、選択を迫られるようになるのであります。

 ただ、ここで母親が何を選択するかは母親が決めることであります。母親の選択に私は従うことになるのであります。

(家族で一番苦しい思いをしている人が来談する)

 本項は前項の補足的な内容になると思います。

 カウンセリングとは、問題を抱えている人が受けるというイメージが一般的に持たれているように思うのですが、必ずしもそうではないのであります。問題を抱えているとみなされている人の家族や周囲の人が来談する例もかなりあるのであります。ここでは親を、特に母親を取り上げている次第であります。

ちなみに、来談するのが母親であるか父親であるか、その違いは子供の問題の種類とか性質よりも、その家族で起きていることの方に関係が深いと私は考えています。つまり、その家族力動によって違ってくるということです。

端的に言えば、それが母親であろうと父親であろうと、子供の問題で一番苦しんでいる人、もしくは一番痛めつけられている人が来談されるのです。私はそのように捉えています。母親が来談する場合、その家族で母親が一番苦しい思いをしているということであり、家族の中でもっとも生きづらさを体験している人であると私は考えています。ひきこもりをしている子供が生きづらい思いをしているとは、必ずしも言えないのであります。

(親の安心感・安定感)

 では、親カウンセリングで何を一番に目指すかと言えば、親の安心感と安定感の回復にあります。 

 子供が、あるいはその他の家族成員が変わるかどうかということは二の次なのであります。クライアントである親(ここでは母親)自身の安心感と安定感の回復が何よりも目指されるのであります。この視点は特に重要なので強調しておきたいと思います。

 従って、子供をどうにかしてくれると期待する親、あるいは親がどうにかなってくれると期待する子供に対して、その期待は裏切られるということ覚悟していただきたいと思います。それがイヤだということであれば、その期待を満たしてくれる臨床家をお探しになられれば結構であります。私はその期待に応じることはできません。

 母親たちはどの人も非常につらい思いをされていることが多いのであります。子供はひきこもって家族を拒絶していたりします。父親は子供と関わろうとしなかったりします。母親から見ると彼らは自分勝手に映るのではないかという気が私はするのであります。母親はたいへんな気苦労をされていることも多いように思うのであります。

 それに加えて、どうしようもないポンコツの心理学者どもが「子供のひきこもりは母親の育児に原因がある」などという理屈をこねるもので、そういう理屈に影響されてしまう母親も多いのであります。彼女たちは、自分の子育てが間違っていたと思い込み、その心理学者どもがマザコンであるなどとは思わないのが普通であります。こうして、余計な自責の念まで抱え込んでしまうのであります。

 今後、機会があれば述べていきたいと思うのですが、多くのひきこもり(少なくとも私が経験する範囲では)においては、母親に原因があるとは言い切れないケースの方が圧倒的に多いのであります。強いて言えば、母親は複数ある原因のうちの一つに過ぎないのであり、単一の原因にすべてを帰属させようという思想が間違っているのであります。

 さらに加えて、周囲の人もまたヘボ心理学者の打ち出す通説を信奉していることもあり、子供がひきこもっているということで、母親たちは周囲から特殊な目で見られるという体験をしていることもけっこうあるのです。周囲とは隣近所であったり、親戚とか身内とかいった人たちであり、その人たちとの関係において、自分が問題視されていると感じてしまう母親もおられるのであります。

 要するに、母親がカウンセリングを受ける頃には、母親は孤立しており、いくつもの苦悩をかかえ、余計な気苦労まで抱え込み、進退窮まっていたりするのであります。仮に母親に原因があるということを認めるとしても、ここまで母親を痛めつける必要はないだろうと私は思うのであります。まるで犯罪人であるかのように自分自身を捉えている母親もおられるのでありますが、見ていると痛々しい思いをするのであります。

 そういう状態で来られるのであれば、母親に安心感と安定感を取り戻すことはなによりも重要なことになるわけであります。

(家族を捨てたい)

 一部の母親においては、「もう家族を捨てたい」が本音である場合もあります。もちろん、すべての母親がそういう感情を抱いているというわけではないのでありますが、一時的にもそういう感情を抱いた母親もけっこうおられるのではないかと思います。

 不幸にもこれを実現してしまう母親もおられるのであります。よほど人格的に問題のある母親でない限り、子供と家族のことであれこれ尽くしてきた歴史を持つ母親は多いのであります。万策尽きたということでしょうか、すべてを投げ出したくなる気持ちになるのでしょう。母親が抑うつ的な性格傾向が強い場合、あるいは衝動的な性格傾向が強い場合、それを現実にしてしまうことがあるように私は思うのであります。

 そこを踏みとどまることもまた親カウンセリングの目標になるのであります。家族がバラバラになったとしても、本当は母親自身も救われないのであります。子供も生きていけないということになるのであります。父親もまた生きていけなくなる人もおられるのであります。家族のためというよりも、母親自身がそれによって救われないのであれば、その選択肢(家族を捨てること)は実現しない方が望ましいのであります。

 親カウンセリングは、母親の安心感と安定感に回復という目標に加えて、母親が家族に留まるということも目標になるのであります。ただ、両者は個別の目標ではなく、表裏一体のような関係を有することはご理解いただけるでしょうか。

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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