<#007-10>臨床日誌(10)~共生と競争

 

 僕たちはお互いに同じ人間どうしなのだから、手を取り合って、助け合って、共に生きていきましょう、こうした考え方がある。これを「共生」の思想とここでは呼んでおこう。

 もう一つ、世の中は厳しくて、生き残るためにはライバルと戦わなければならないといった考え方もある。これを「競争」の思想とここでは呼んでおこう。

 一部のクライアントさんたちはこの両方の思想に矛盾を感じておられるようだ。確かに、パッと見ただけでは正反対の思想のように見える。でも、僕はそうではないと考えていて、両者は共通するものであると考えている。それを理解するためには、「競争」思想の方をもう少し厳密に定義しないといけないと思う。

 

 例えば、ある市にスーパーが一軒しかないとしよう。市民はみなそのスーパーで買い物をすることになる。このスーパーは市場を独占しているようなものなので、たいそう儲かることだろうと、そんなふうに思うかもしれない。でも、恐らくそうはならないだろう。

 もし、一つの市にスーパーが一軒しかないとすれば、その市に住もうと思う人が少なくなっていくだろう。もっと便利な市に住もうということになるだろう。そうすると、その市全体が衰退していくことになる。

 スーパーが複数軒あれば、より便利である。一軒しかない遠方のスーパーまで行かなくても済むし、市民はお店を選べる楽しみも得られる。それぞれのスーパーは自分の店にお客さんを呼びたいので、それぞれ独自の試みをすることだろう。そこに競争が生まれるのであるが、このような競争をすることによって、市全体が栄えるとすれば、それは共生につながるのだ。

 そう、そこには競争と呼べるような要素がないといけない。こっちのスーパーもあっちのスーパーも同じということではいけないのだ。個別化をはかり、他の店ではやっていない特売品やサービスを提供しなければならないわけで、そうなると利用者も今日はあっちのスーパーが安売りだからあっちに行こう、明日はこっちのスーパーがお得だからこっちに行こうなどと選べるのである。

 

 僕の実体験からも言おう。あまりいい例ではないけれど。今でもあるのかどうか、京都駅の北側、七条通りに抜けて小さな呑み屋さんが長屋のようにならんでいるエリアがある。当時、僕はその辺によく行っていたので、そのエリアが気になっていた。ある日、思い切って行ってみることにした。一軒のお店に入り、ビールを注文する。値段を聞くと、中瓶で700円だとのこと。ビール中瓶で700円は少し根が張るなと思い、そのお店ではビール一本飲んで、隣の店に移った。二軒目でビールを注文すると中瓶が出てくる。もしやと思い、値段を訊くと700円だという返答が。ありゃりゃ、ここも中瓶一本700円かとガッカリし、もう一つ隣の店に移動した。ビールを注文すると中瓶で出てくる。もしかして700円かと僕の方から尋ねると、店主はそうだとお答えになる。なんでこのエリアはどこもビール中瓶700円なんだと僕は疑問をぶつける。店主は、このエリアの店の取り決めでそうなっているという御返事だった。

 僕はそこには二度と行かなかった。その一日で十分だ。ビール中瓶700円がいけないわけではなくて、ウチは一本700円で出すけど料理を一品つけますとか、ウチは一本500円で提供するけれどチャージをいただきますとか、ウチはカラオケとセットなら一本400円で出しますとか、ウチは料理の品数が少ない分、お酒を安く提供させていただきますとか、その店ごとの個性がないといけない。お目当てのお店があるということになれば、かならず隣近所にも客が流れるので全体が盛り上がるはずである。どのお店も同じであると、そこへ行こうという気持ちが起きない。そこに飲みに行く動機づけが低下してしまうのだ。

 う~む、あまり適切な例ではなかったかもしれないな。お店が一軒しかないというのも廃れることであるし、複数のお店があってもそれぞれが競合していないとやはり廃れるのではないかと思う。複数店があまり横並び式でもいけないということだ。

 ライバル社とは競争をするけれど、それは全体が潤うためでなければならないのだ。一社が独占したら、顧客は離れてしまうものだと思う。複数社が、ある意味では競い合っているので、その業種全体が生き残ることができるのだ。飲み屋街なんかはいい例である。

 

 さて、競争思想は共生思想につながっていくものである。本当は矛盾はないのである。しかし、矛盾しているように感じられているとすれば、その人の中で競争思想と破壊思想とが混乱しているのだと思う。破壊思想とは、他を潰すために競争するというものである。一部の経営者はこれを間違うと僕は思っている。ライバル社が消えて、自分のところが市場を独占すれば安泰だなどと信じてしまっているのかもしれないが、僕の見解ではそれは顧客が離れていくだけである。

 携帯会社も複数あるからいいのである。これが一社しかなかったら、人はあまり携帯電話を持たなくなるようになるかもしれないのだ。その業界全体が衰退する可能性が生まれるのだ。携帯電話は便利であるからという理由だけではなく、エーユーもドコモも孫のところも、それぞれが個性を打ち出しているので、人々は興味をもつようになるという部分もあると思う。あっちではこれを売り出し、こっちではあれを売り出している、そういうのを見て人は興味を抱くこともあると思うのだ。一社が独占している状況では興味を惹かなくなるだろうと思う。

 

 競争原理は共生原理と矛盾するものではない。その競争原理が破壊原理に基づいていない限り矛盾することはないと僕は考えている。

 

文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

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