<#002-1>私を知ってもらうこと

 

(三本柱のHP)

 このHPは高槻カウンセリングセンターの4代目のHPです。過去のHPそれぞれに方針みたいなものもあったのですが、4代目にも私なりの方針あります。今回のHPでは三つの柱を設けることにしております。

 一つはこのHPの「本論」とも言える部分であります。カウンセリングや心の問題などに関してのページであります。これはさらに大雑把な分類ですが、「総論」と「各論」とに分けようと考えています。

 二つ目は各種の「トピックス」のパートであります。ここには本論から洩れるテーマ、あるいは本論では分類できないテーマなどを取り上げようと思います。また、過去の原稿などもこちらに掲載しようと思います。

 三つ目は「ブログ」のパートです。個人的にはブログの方を読んでほしいと思うのですが、ユーザーはまず本論に関する事柄で検索することが圧倒的に多いのであります。本論やトピックスと併せて目を通していただければと思います。

 幾人かのクライアントから伺ったところでは、本論の方の私は「厳しい人」のように見えるらしいです。確かに、「本論」では私は専門家の立場で書こうとしているので、どこか厳しいところが表れるかもしれないとも思うのです。

 一方、ブログの方はと言いますと、彼らによると、こちらに普段の私が表れているようであります。本論だけを見てこられたクライアントは、その人の抱いていたイメージと現実の私との間にギャップを感じられることも多いようであります。そういう人でも、ブログの方を閲覧するようになると、現実の私がそこに表れているのをお感じになられるようであります。ブログも読んでほしいと願うのは、生身の私がそこに表れているからであります。

 

(私を知ってもらうこと)

 さて、このHPの一番の目的は私を知ってもらうことにあります。これは第2版ないしは第3版のHPから切に願っていることであります。

 そもそも、クライアントはどのようにして自分のカウンセラーを探すのでしょうか。何を手掛かりとしてカウンセラーを選んでいるのでしょうか。私には疑問であります。

 私の若いころの経験を申しますと、当時は新聞とか電話帳に掲載されている広告くらいしか手段がありませんでした。わずかなスペースの広告から自分のカウンセラーを選んだので、どういうカウンセラーに当たるかは、ほとんど運しだいと言ってもよかったと思います。それが今から30年ほど前の状況でした。

 現在はインターネットのおかげで、カウンセラー側もさまざまな情報を発信でき、ユーザーも自由にその情報を享受することができます。カウンセラーを選ぶのにも運任せにせずに済むようになったのであります。ただ、それにも利点もあれば欠点もあるようです。というのは、いくら情報が得られても、人が自分のカウンセラーを選ぶことの困難さは軽減されていないように思われるからであります。この辺りのことは後に取り上げようと思います。

 本題に戻りますが、私を選んでもらうためには私を知ってもらわなければなりません。私を知ってもらうためには、私は私に関するさまざまな情報を提供しなければなりません。カウンセラーがそういうことをしないと、どの人も自分のカウンセラーを選ぶということが難しくなると私は思うのであります。

 ただ、矛盾したことを言うようでありますが、それでもこのHPは集客ということに重みをおいていないのであります。集客ということは目的としては4番目くらいのところにあります。来てくれる人が現れるとありがたいし、私を選んでくれる人が増えると幸せに感じるのでありますが、それでも私は集客を1番の目的にはしないのであります。このことは私には重要なことですので、別に取り上げて述べたいと思います。

 繰り返しますが、このHPの一番の目的は私を知ってもらうことにあります。何を知ってもらうかということですが、私の考え方、物の見方、その他、私の姿勢とかパーソナリティとかも知ってもらえたらと思います。そのために私は私自身を提供していくのでありますが、それをどう受け取るか、どう評価するかは受け取り手の領域に属することであります。この区別もまた重要であります

 

(私が書く理由)

 私のことを知ってもらうためには、私は私自身を表現していかなければならないのです。要するに私の見解や思想を文章にして書いていかなければならないのであります。それも、できるだけすべてを書かなければならないのであります。

 すべてを書かなければならないというのは、私が無所属な人間であるからです。例えば、私が「精神分析学会」に所属しているとしましょう。その時、私が「精神分析学会員」と私の肩書きに書けば、それだけで私が精神分析をやっていることが伝わるわけであります。所属している団体は、その人の立場をかなり代弁してくれるのではないかと思います。無所属の人は、代弁してくれるものがないので、その分どうしても多くを語り、伝える必要が出てくると思うのであります。

 どこにも属さず一人で仕事をするというのはあまり成熟した働き方ではないのでありますが、団体や学会に属するのも煩わしいと思い、いつしかこうなってしまったのであります。一人で仕事をしているが故に書かなければならないという気持ちもあるのです。文章ばかりの殺風景なサイトであると、時々IT屋から批判を受けるのでありますが、私にはそうして書く理由があるということもご理解していただければ幸いに思います。

 

(読む際の注意点)

 私がさまざまなことを書くとしても、それをすべて読む必要などありません。気になったところだけを読まれて結構であります。

 ただ、読むところはきちんと読んでほしいと願っております。流し読みとか瞥見で済まさないようにお願いしたいのであります。そして、さらに贅沢を言えば、読むときは正確に読んでほしいと願うのであります。

 私の記述にも難があるのは確かですが、クライアントはしばしば読み違えるのであります。書いてあることを歪曲して理解していたりするのであります。なぜそういうことが起きるのかということは別の機会に譲るとして、読むときは書いてあることを正確に読むように務めてほしいのであります。このことは非常に重要なので、特に強調しておきたいと思います。

 というのは、宗教系のカウンセリングで生じることであり、おそらくスピリチュアル系のカウンセリングでも生じていると思われるのでありますが、そういう領域ではカウンセラーとクライアントとが同じものを信奉している方が上手くいくと言われています。カウンセラーの見解とクライアントの見解とが相似している方が、まったく異なるよりカウンセリングが上手くいくのであります。余談ですが、治らない人はそういうところに無頓着であります。

 従って、私はこういう意味のことを書いているのに、クライアントがああいう意味のことが書いてあると誤読してしまうと、この不一致がカウンセリングの不成功に近寄ってしまうことが考えられるのであります。この不一致がそのまま成功か失敗かを決定づけるものではないとしても、できればお互いの間でそうした齟齬が生じないようにしたいのであります。

 私の思想に賛同するも反対するも読み手の自由でありますが、読むときは正確に読んでほしいと願うのは上記の理由によるところであります。

 

文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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