<#1-8>料金について
面接料金について述べようと思います。
料金の話は、面接時間の話と重なる部分が出てきます。時間で仕事をするから、時間と料金とは切り離して述べることが難しいのであります。基本的には前項<#1-7>と同じことをいうつもりでおります。
60分の面接時間が分割できないのと同じで、料金も分割できないということであります。
面接時間が分割できないのと同じように、料金も分割できないとは、こういうことであります。60分で6000円だから、10分で1000円などといった発想をなさらないようにお願いしたいのであります。
6000円という値段は、平成17年の開業当時から変わっていないものであります。当時、消費税は5%でした。その後、8%になり、10%となっていったのですが、料金は据え置いたままであります。実質値下げしているのと変わらないというのが私の本音なのですが、それはさておくとしましょう。
6000円という設定は、当時の大阪の最低賃金の金額に基づいています。当時、最低時給が800何十円かでした。一日8時間働くとして、一日で6000いくらかになるわけであります。
つまり、カウンセリングを一回受けるのであれば、一日働いて稼いで下さいという思いが込められています。それが一日ではなくても、二、三日にわけてもいいので、とにかく8時間労働すればカウンセリングの料金は賄えるのであります。月に2回受けるという場合でも、一か月に16時間労働すれば賄えるのであります。一か月30日のうち、例えば日雇い労働を2日こなすだけで足りるのであります。
もちろん、個々人の条件とか状況はさまざまでありましょう。今はそういう細かな差異は取り上げないことにします。
しばしば、「治ったら働ける」と信じている人もおられるのですが、それは正しくないと私は考えていて、「働かないから治らない」という一面もあると思っています。
より正確に言えば、治ることと働くこと(この場合)とは同時進行的に実現していくものであると私は考えています。「治らないからできない」ではなく、「しないから治らない」も確かであり、「治る」と「できる」は相乗効果的に働いて、同時進行していくものであるというわけであります。
一方を最初から断念しているような人があるので、これはあまり良くない傾向であると私は考えています。つまり、働くとか活動するとかいう方を最初から断念しているわけであります。労働や活動が「治癒」を促進する部分があるわけですが、この人たちにはその道が最初から閉ざされているということになるのです。
臨床家が最初から断念している場合もあります。この人はまだ働けないなどと評価することもあるわけです。もちろん、そこには医学的な観点があるでしょうし、そのように評価する正当な理由があると思います。ただ、その評価があまり極端になると、その人を無力な人間とみなしているということにならないだろうかとも思うのです。この人は何もできない人であるというふうに臨床家に見えてしまっているのかもしれないと思うのです。
「できない」ということを前提にしてクライアントさんを見ていることになるかもしれなくて、私はそれには賛成できないのであります。私は「できる」を前提としたいと思うのです。ある人がカウンセリングを希望するのであれば、その人はその料金分くらいは働いて稼ぐことができるという前提に私は立っております。
詳細に関しては「枠組み」のページで取り上げることができればと思います。
とりあえず、一回のカウンセリングは60分であり、その60分のカウンセリングで6000円の料金が設定されていること、この時間もこの料金も分割したりこま切れしたりはできないものである、ということをご理解いただければ結構であります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)