<T6-20>自殺について問う
(事例)
死のうとしたことはありますか。私はE氏に問いました。彼は死にたい気分に襲われることはあるけれど、死のうとしたことはないと答えました。過去にも自殺を試みたことは一度もないと彼は断言しました。
私はそれはそれで良いことだと確認し、彼と自殺をしないという約束をしてもらい、死にたい気分についてもここでもっと話してもいいと彼に伝えたのです。
(解説)
「うつ病」において、特に問題になるのは自殺であります。「うつ病」そのものは人命に関わるような「病」ではないのですが、それに行動化が加わると自殺や自傷が生じるのです。
「うつ病」者の家族や友人は、しばしば自殺について当人に尋ねることを控える傾向があるようです。自殺について質問すると、却って刺激してしまうのではないか、自殺を思い出させてしまうのではないかといった危惧をされていることが多いようであります。
また、「うつ病」者当人がそういった質問に正直に答えてくれないということもあります。周囲に心配をかけたくないからとか、ダメな人間だと思われたくないからとかいう理由で、本当は自殺願望があるにも関わらず、嘘をついてしまうというような例であります。だから、それを尋ねることはあまり意味がないと考えてしまう人もおられることでしょう。
私も初期の頃は、それこそ「うつ病」者を刺激したくないという理由から、自殺に関して直接的に尋ねるということをしませんでした。その代り、クライアントの話の中に自殺願望を匂わせる事柄が含まれていないかを注意して傾聴していたのです。今では考え方が変わり、少なくとも「うつ病」と診断されたクライアントにおいては、早い段階で自殺のことを話題にするようになったのです。
これはなぜかと言いますと、ある事柄を回避するということは、その事柄に関してタブー意識が生じてしまうのです。そのタブー意識は却ってその事柄に対しての関心を高めてしまうからなのです。
それに「うつ病」者は彼なりの配慮で嘘をつくかもしれません。嘘をつくならそれはそれで構わないことなのです。それ以上深く追求する必要もないのです。あまり追及しすぎると、関係にヒビが入ることもありますし、クライアントをさらに追い詰めることになりかねないからであります。
そのことよりも、「うつ病」の「治療」過程のどこかで自殺について話し合ったという事実の方が大事なのです。そういう経験を「うつ病」者がしているということの方が大事だということであり、これが後々、本当に自殺の問題が生じてきた時に非常に助けになることもあるのです。
従って、臨床家も家族や友人たちも、「うつ病」と診断された人に対しては、自殺について率直に話し合っておいた方がいいと私は考えています。当人と自殺をしないという約束を交わすこともいいでしょうし、自殺したくなった時にしてあげられることを明確にして伝えるのもいいでしょう。その話題を避けない方がいいと私は考えているのです。
E氏は自殺願望はないし、自殺企図も一度もなかったと述べています。死にたい気分に襲われることがあると話されたのは望ましいことでした。彼は否定的な感情を正直に打ち明けてくれているわけなのです。私はE氏のその話はそのまま信用していいと判断しました。
この判断のもう一つの背景は、前に示した彼のリソースによるものです。その人の生を支えてくれるリソースがあるかないかということを前節で述べました。E氏の場合、上司や妻が第一のリソースであり、子供や他の社員、友人たち、当時彼が通っていた精神科の医師やスタッフ、彼のカウンセラーである私もまた広い意味でリソースになっているのです。こうした人たちとのつながりが維持されている限り、現実に自殺が行われる可能性は、少なくとも、今のところ低いだろうと思われたのです。
繰り返しますが、臨床家はもちろんのことですが、家族の方々も「うつ病」者当人と自殺については話し合った方がいいということです。意外に思われるかもしれませんが、「うつ病」者からすると、こういう話し合いをしてくれる方が安心感を覚えるということも多く、そういう事柄を尋ねてくれる人に対してより信頼が増すのです。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)