<T025-20>文献の中のクライアントたち(20) 

 

 『異常心理学講座より性格異常所収のケースを続けるシュナイダー精神病質概念を理解する一助としてケースを抜粋している。 

 

 本ページ収録クライアントたち 

cl85)K・K 21歳男 情性欠如型と爆発型混合型 

cl86)S・Y 明治24年生まれ 男 意志薄弱 

cl87)Y・Y 43歳 無力性精神病質の主婦の訴え 

 

 

cl85)K・K 21歳男 情性欠如型と爆発型混合型 

 母親が看護師として病院勤務中、患者との間に関係して、私生児として本人は生まれた。実父は、本人出生時には別れてしまっており、母は本人を連れ子として現在の養父のもとに嫁いだ。 

 実父は行方不明。その兄に鉄道自殺した者がある。母の弟に若いころに不良であった者があり、母の父は特に癇癪持ちであった。 

 cl4歳までは、私生児として、母親とその父親に育てられた。 

 継父は製図工であった。 

 cl、幼時の性質は勝気であった。弟がいじめられると仕返しに行ったりもした。小学校での成績は中くらいだった。小学校4年の時に自動車に轢かれて足に外傷を負った。 

 中学校では、商業学校に入り、成績は次第に良くなり、級長になった。しかし、2年生の時に戦災で家も学校も焼けてしまい、学校を中退した。 

 神奈川県に疎開し、地方事務所に給仕として勤務した。cl15歳である。課長がわがままで、遅くに出勤しては仕事が捗らないと従業員に当たるので、課長を難詰したため、辞職させられた。 

 この頃から、本人の異常性が継父に気づかれるようになった。何か継父に注意されると、プイっとなって家出するようになった。この際に、家財を持ち出してしまうことが多かった。この頃から怒り易さが目立つようになった。 

 次にバスの車掌として勤務するようになったが、一年くらいして共産系のビラを撒かせられ、自分はそういうことは嫌いだと助役に言うと、組合の敵だと言われた。また、車掌として売上金をごまかしたと言われ、癪にさわって辞職した。 

 それから魚屋や水産加工店に入ったが、体の具合や、店がダメになったために止めた。 

 次いで入った水産加工店で、仲間と共犯で、前の店にあった品を買って私用に使ったため検挙された。懲役1年、執行猶予3年の刑を言い渡された。この時、cl18歳。 

 次いで、父の勤めている会社に工員として入り、はじめは真面目に働いていたが、約一年くらいで叔父と衝突して、一か月くらい別の工場に行き、そこでも我慢できなくて、また同工場に復帰し、今回の犯罪に至っている。 

 clは幼少のころからしばしば家出を繰り返している。小学校6年の時が最初で、父に叱られたことが動機となっており、以前に父に連れられて行った家の辺りをうろついていた。 

 次は15歳のころで、伯母から本人が父の実子でないことを聞かされて家出。2,3日祖父の家に行っていた。 

 三回目は、バスの車掌を止めた時で、憤慨して家出。列車に乗って名古屋まで行った。 

 四回目は、夜中に父と母が口論している時に、本人の私生児の話が出たので、イヤになったからといって飛び出した。 

 五回目は、今の会社で叔父とケンカした時で、家出して、以前に情交関係にあった未亡人の家や友人の家などを歩いて、会社の近くをうろついている時に同僚に連れ戻された。 

 最後は、会社生活が窮屈でイヤになり、会社の品物を持ち出して、それを売りながら生活し、友人の家などを転々としていた。たまたま工場に立ち寄り、寝泊まりしていた宿直室に行き、雑役夫の男に宿泊を依頼した。しかし、その男から会社の品を盗んだことなどを難詰されたために憤慨して、そばにあった鉄棒で男の頭部を殴打し意識不明に陥らせた。さらに、電熱器のコードを頸部に巻きつけて窒息死させた。そして、被害者のズボンのポケットを探って金を盗り、机の上からも金を盗み、被害者の革鞄を取り中身を自分のものと入れ替え、次に死体を床下に隠して発見されないように後始末をし、翌朝までそこに留まり、立ち去った。 

 継父によると、本人は幼少の頃から感情に冷たいところがあり、ヘビを殺したり、カエルの皮を剥いだりすることが好きで、それを焼いて食べたりした。兎でも小鳥でも平気で殺す。無神経だったと言う。もう一つは怒り易いことである。これは15歳ころからのことで、父が何か注意をするとカーッとなって出て行ってしまう。その時、急に表情が変わり、顔面に痙攣まで起こし、手足を震わせ、何も喋れなくなり口をモグモグするほどの強度の興奮を起こす。しかし、普通は女の子みたいに無口で、大人しい。友人は少なく、孤独である、だから何を考えているか分からない。 

 面接では、平常時では従順で大人しいが、犯罪のことに触れると、冷たくなり、何も話さなくなる。ひねくれたことを言い、殺人に対する悔悟の情などは全然ない。そして、興奮して不機嫌となった。知能は普通である。 

 以上より、本人は情性欠如と爆発性との混合した精神病質人格である。精神分裂病の遺伝負因がないから真の意味のものではないが、広義に解釈すれば分裂病質の複合概念で表現できる特徴を有している。本例では、環境面の望ましくない状況も重要な要因ではあるが、環境のみではすべては理解できない。 

 

 

cl86)S・Y 明治24年生まれ 男 意志薄弱 

 埼玉県の農村に生まれた。父は村で飲食店兼店の女を娼婦として客を取らせていた。大酒家で一升を常習していた、賭博常習者で刑を受けたこともあり、詐欺の前科もあった。 

 cl、小学校は初等科4年を卒業している。すでに幼少のころより盗癖があり、他人の持ち物を窃取し、素行が悪かった。家庭窃盗も多く、家財を持ち出し、家からお金を持ち出して遊んだ。 

 17,8歳ころより、女遊びが激しくなった。16歳ころまでは父の飲食店の手伝いをしていたが、その当時から家の金を持ち出して、家出をして、上京して遊んでいる方が多かった。 

 それから洋服屋に奉公したことがあるが間もなく止め、20歳で現役として軍隊に入った。除隊後は東京で米屋に奉公したり、煙草屋に入ったり、荷物の配達などをやったが、いずれも長続きせず、辞めている。 

 その間、賭博や吉原通いに凝り、ついに初犯に至る。26歳の時、女遊びで金に窮して、空き巣、忍び込み等9件。窃盗罪で懲役1年に服す。 

 出所2か月で第二犯。窃盗で懲役2年。 

 出所後12日で第三犯。懲役3年。 

 出所後3日目で第四犯。懲役5年。 

 その間に大正大震災が発生。逃走して、窃盗をやり、5年の刑を言い渡される。 

 出所後20日目、第六犯。窃盗で懲役2年6か月。 

 出所後15日ほどを経て、第七犯。懲役4年6か月。 

 出所後7日、第八犯。窃盗等。懲役3年と罰金。 

 出所後1か月で第九犯。窃盗並びに未遂。懲役5年。 

 出所後、終戦直後で警察の取り締まりが不十分だったこともあって、第十犯まで10か月の間がある。その間、洋裁工をやっていたと本人は称している。窃盗。刑務所で知り合った二名と共犯。懲役6年(4年6か月に減刑となる) 

 出所時は62歳になっていた。保護会の世話で洋裁をしていたが、止めてしまい、バタ屋をやっているうちに窃盗で第十一犯となる。懲役3年を服役中。 

 面接では物静かで、応答も普通。会ったところでは何の異常な所見も見出せない。63歳になるのに、若々しく、身体的にはまだまだ仕事はよくできそうである。知能はあまりよくなく、限界線の程度と思われる。 

 このような窃盗常習犯はありふれた型であるが、最も多く見られる意志薄弱者で、情性欠如が合併している者である。 

 

 

cl87)Y・Y 43歳 無力性精神病質の主婦の訴え 

 cl「朝起きる時に具合が悪くて、気持ちがさっぱりしないで、体勢が整うまでは起きられないのです。無理に動くと動悸がしだしますから、朝は大体主人が何でもやってくれて、私はちょっと手伝うくらいです」 

 th「本は読みますか」 

 cl「6月16日の前頃は、ずっと調子が良くて読めるようになってきたんです。週刊誌とか新聞もよく読みますし、文藝春秋がおもしろくて、その他、本はたくさんありますから何でも読みますけれど、長たらしい小説なんかは疲れるから読まないのです。ソ連の問題とか、そういった社会問題等を」 

 th「本を読んでいて頭が変になったという時は?」 

 cl「『女の幸福である設計』というアメリカの翻訳ものなんですけれど、面白いんです。精神分析みたいなのを取り入れて、その時は、『主人が新聞なんかを読んでいて、妻が話しかけてもロクに返事をしなくても、愛情のある妻はそれを不満に思うべきではない』というところを読んでいたのです。うちの主人もよく書き物などをしていて、私が話しかけてもウンウンと言っても、後で聞くと、全然聞いていてくれなかったことがあったりして、つまらなく思って文句を言ったりするんですが、それだから、ああこれは悪かったなと思い、また、いい言葉だと思って覚えようと思って四度も五度も同じところを読んだんです。そして、フッと気がついてみると、頭が妙なふうで」 

 th「フッと気が付いたらそうなっていたのですか」 

 cl「ええ、そうだったか、あるいは頭が妙になって、読むのを止してしまったのかどちらかよく覚えていませんが、ちょうど怪我した、しばらく後の時と同じような妙な…。お昼のちょっと前くらいだったと思います。そろそろご飯の支度をしようと思っていたようですから…。もともと仕事をするのは好きですから、体の調子がよくなって喜んでいたんです。そのちょっと前、6月12日にも長男が胸の方で入院していますので、見舞いに行ってきたりして調子が良かったんですけど、いつもメンスの前に具合が悪いので、今度もそのためだと思っていたんです。実際に6月21日からメンスもありました。はじめ怪我をした時、ちょうどメンスだったものですから、それからはメンスの日に外出すると何か起こりそうな気がして、外出しないようにしているんです」 

 th「その本にはその他どんなことがありました?」 

 cl「アメリカの婦人は時間的にも余裕があって幸福であるべきなのに、決してそうではないというようなことが…。私もこれから暇ができて、老後をどう過ごしたらいいだろうかと。嫁(将来結婚するであろう息子の妻)と姑の問題をどうしたら上手く行くか、そういったことについての心構えをどうすべきかを知ろうと思って、読み始めたんです。薬飲んでいた時はずーっと眠くて眠くて、よく眠ったんですけど、自然に飲まないようになると、頭がはっきりしてきて、それからはなかなか寝つけなくて、でも、朝起きてみると、時計の音もわかりませんし、結構寝ているんでしょうけれど…。雨が降ったり曇ったりすると、どうも具合が悪いんです。なんだか不安で、こんなことってあるんでしょうか。今日も主人に送ってもらってきたんです。今まで長男がいる間は一緒に来てくれたんですけど、主人にはそう頼めませんし、心細くて…」 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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