<T025-17>文献の中のクライアントたち(1 

 

 引き続き、クレペリン『精神分裂病』より、ある程度の分量の記載があるケースを取り上げ、分裂病患者の言葉を取り上げたいと思う。 

 なお、同書は100年以上昔の本である。ケースもすべて当時の患者さんのものである。現在では、精神病の軽症化と医薬品の改良によって、クレペリンが記載したような患者さんはほとんど見られなくなっているという。従って、本項のケースなどを読んで、無批判に患者と同一視することのないようにご注意申し上げたい。つまり、ケースの記述を読んで、自分もそうではないかなどと安易に同一化しないでほしいということである。 

 

 本項収録のクライアントたち 

 (cl7)罪過妄想がある女性の言葉 

 (cl8)迫害妄想の患者の手記 

 

 

 (cl7)罪過妄想がある女性の言葉 

 「お前は泥豚のくせにまた尊いベッドにもぐりこむ。またこれもお前の罪なのだ。そらまた新しい看護婦だの本物の侯爵夫人、皆お前がごちゃごちゃにしているんだ。お前が水にでも飛び込んじゃう勇気さえあればなあ、図々しい豚め、大嵐がやってくるんだ、昨日なら防げたのになあ。でも嵐はやって来て、お前を罰することになっているんだ、豚め。みんな本当にくたばっている。私はとっくに水に飛び込んでいりゃよかったんだ」 

 

 (サディスティックな超自我とマゾヒスティックな自我の葛藤があるように僕には聞こえる。この人は、罪を告発し、断罪する処刑人と同一視し、同時に処刑される側にも同一視していることになる。 

 こういう罪責妄想は、同種のモチーフで延々と繰り返される傾向がある。ミンコフスキーは優れた洞察をしていて、こういう妄想は常に処刑直前の段階に留まっているという。それは時間が止まっているのに等しく、時間によってもたらされる生成や流転が一切生じなくなっているという。僕はその見解がよく分かるように思った。時間が流れず、一点に拘束されてしまうのだ。そこには心の自由がまったく失われているのだ。 

 従って、この罪を宥めたりすることはできたとしても、それは一時しのぎにしかならないことも多いと僕は感じている。本当に必要なのは、生が進展し、展開していくことである。それによって内的な自由を取り戻すことである。 

 罪責妄想は迫害妄想(これは正確に言えば被迫害妄想である)へと発展することがある。迫害妄想の一例を次に取り上げる。 

 

 

 (cl8)迫害妄想の患者の手記 

 (これから提示する手記は、実際は一続きのものであるが、便宜上、文章や内容的まとまりに応じて区分を設けることにする) 

 「私はとてもひどい苦しみに陥っています。たいへん危ないのです。私の命が恐怖の中に終わるのです。(1) 

 この病院全体が時計仕掛けでできていて、正気の頭でなく狂った頭で、歯車が動いているようにどの室も管理されているのです。(2) 

 そして室には蜘蛛の巣のように神経の電線が張ってあって、あっちへこっちへとお喋りが飛び回るようになっていて、(3) 

 その上、廊下にしても一坪一坪どの区切りにもどこからか処刑人が現れてくるのです。監視のためのもあり、暴力をふるうのもあります。その時には湯気や熱気の波が部屋に発生して、恐ろしいくらいへんぴで、残虐で人を金縛りにする暴力が速やかに行われるのです。(4) 

 それに加えて霊媒の出す音や中継の声が絶えず響いて、残酷にも優しい気持ちを忌み嫌って反抗的にするのです。(5) 

 何と言っていいか分からないほど、悪意ある狡猾さで問答が行われて、これはインフルエンザの助けで破壊的に陰険に体から体へ移され、いわゆる気違い病院がいろいろの虐待者やお喋りと結びついているので、実際この世で最も残酷な犯罪者であることの証明となるのです。(6) 

 これをやっつけるには別の所に属する者がするしかなく、事情によっては毒のある指で遠慮会釈なくぎっしりと生命のない塊のように押し潰して別の状態にするしかないのです(7)」 

 

(さて、この手記をどのように理解しようか。 

 まず、(1)において、彼(としておく)が訴えているのは切羽詰まった恐怖感である。この恐怖は存在の根底を揺るがすほどの強度を伴って彼に経験されているようである。こういう恐怖感は、彼をして激しい動揺(パニック)に陥らせることであろう。そのため、若干の支離滅裂が生じるのはやむを得ないが、そこに幻聴や様々な妄覚の類が割り込んでくるので、内容がさらに把握しにくくなる。手記の後の部分になるほど把握しにくさが大きくなる。 

 (2)最初に彼は病院の状況を訴える。病院の規律正しさ、正確さを彼は機械仕掛けとして、しかも狂った頭によってなされているものと体験しているようだ。これはつまり、人間的な世界に彼が置かれていないという経験を言っているのだと思う。言い換えれば疎外の経験を訴えているのだと思う。 

 (3)続いて病室の中のことが綴られている。病室は神経の電線が張り巡らされているということである。彼はここでありとあらゆる声を聴いているのだと思う。それだけの声が聞こえるということは、そこら中に電線が張り巡らされているはずだと考えているのだと思う。この部屋ではもはや落ち着くことができないという訴えであるように思う。 

 (4)部屋だけでなく廊下からも処刑人が現れると言う。これは現実の人間であると思うが、そうであれば病院のスタッフである。スタッフたちが彼には処刑人に見えるということであるようだ。スタッフによる回診や処置などを、彼は監視や暴力として経験しているのだと思う。熱気や熱波がその時には発生するというふうに彼には感じられているのだけど、これは「地獄」のイメージを僕に喚起させる。あたかも地獄で釜茹でにされているかのような経験であるということを彼は訴えているのかもしれない。続いて「暴力」の描写が続くのだけど、彼はここをはっきりと述べることができないでいる。それを見ることが苦しいのか、その時のことをはっきりと覚えていないのかは不明だけど、ひどく曖昧な表現が綴られているように思う。心的に動揺し始めているという印象を僕は受ける。 

 (5)続いて彼に起こることは、霊媒や中継の声が響いてくるということだ。これは彼を反抗的にさせるということであるようだ。彼が抵抗するのも、もはや彼の意志に基づいていないということを意味しているように思う。 

 (6)彼の混乱がさらに激しくなっていて、文章がまとまりを欠き、支離滅裂になっていく。問答は、現実の問診などのこともあるだろうし、幻聴の場合もあるだろうけど、何かひどく悪意のあることが問答されているようである。そして、この問答、並びに、そこで生じた観念は、インフルエンザのように自分に感染し、自分に浸透していく、そのような経験を言っているように思う。こうした問答をする声は病院と結びついている、つまり、声と病院が共謀しているかのように彼には思えるのだと思う。そうして、病院は犯罪者であることの証明にしようと試みる。 

 (7)結論の部分だが、ますます内容的に把握することが難しくなっている。この状態を変えるには、病院に属さない人間の力が不可欠であるということを述べている。その後の文章は目的語の明確さを欠くので、押し潰して別の状態になるのは病院の方であると考えることにする。自分を迫害する病院は「毒のある指」(これはこの人にとって固有の意味を持っているのだと思う)をもってしてでも、解体し、別のものにならなければならないということになるが、同時に自分の無力感をも伝えているように思う。自分はこの現状に対して何もできず、翻弄されるばかりであり、そしておそらくだけど、絶望的な気持ちになっているということを言わんとしているのかもしれない。 

 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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