<T024-6>高槻カウンセリングセンター便り集(6) 

 

(本ページの内容) 

・高槻カウンセリングセンター便り~16通目:「予防論」 

・高槻カウンセリングセンター便り~17通目:「数ある人格の話」 

・高槻カウンセリングセンター便り~18通目:「中核テーマ」 

・終わりに 

 

 

<高槻カウンセリングセンター便り~16通目:「予防論」> 

 

 身体の病は持続するが、心の病(問題)は反復する。両者の大きな違いの一つがそこにあります。 

 熱が下がるまで発熱は持続する、骨が癒着するまで骨折は持続する。腫れが引くまで腫瘍は持続する。身体に関する傷病はすべて持続することが特徴的であります。 

 心の病は反復するのです。病相期とその間にある「インターバル期」が繰り返されるのです。インターバルの時期においては、その人は健常者とまるで変るところがないのです。 

 

 病相期とインターバル期の長さはまちまちであります。 

 年に一度一か月くらい季節性うつに罹るという人の場合、インターバル期が11か月あり、病相期が1か月ということになります。また、一日の間に両者を複数回繰り返すということもあります。 

 反復するという傾向があるために、心の問題では経過観察の時期が長く持たれることになります。反復が見られるかどうかということが大切な観点になるからです。 

 また、この傾向のために、当人や周囲の人が「治った」と早合点するなども生じるのです。反復するというのはとかく厄介な傾向であります。 

 

 病相期とインターバル期が交互に来るという見解を受け入れるなら、インターバル期が長く続いて、病相期は短くなる方がいいという発想が生まれると思う。病相期がそう易々となくならないのであれば、それができるだけ短くなってくれた方がありがたいと誰もが思うことではないかと私は思います。 

 この観点は、「治療」というよりも、むしろ「予防」に含まれると私は考えています。 

 

 クライアントたちは「治療」を求めてカウンセラーや医師を訪れるけれど、彼らが求めている「治療」とは「予防」であることもけっこう多いことであります。 

 こういう問題が起きないようにしたいとか、そういうことをしないようになりたいとか、そういった訴えはすべて「予防」の範疇に入るのであります。 

 治療を求める彼らは、本当は予防を求めていることになるわけです。私はそれでもいいと思っています。治療とは、もう一つそこを超越していくことなのだけれど、今回はそこは取り上げないでおきましょう。また、クライアントたちもそこまで求めていないことも多いのであります。 

 

 「予防」というと、なんとなく、「治療」よりも価値が低く見られることが多いように私には感じられているのだけれど、決してそんなことはないのです。 

 優れた予防は治療に匹敵するものであります。クライアント並びに一般の人も認識を改める必要があるかもしれないとも思うのであります。。 

(2022.6.20) 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

高槻カウンセリングセンター便り~17通目:「数ある人格の話」 

 

 人にはどれだけの「人格」があるだろうか。私なりに数えてみました。 

 

 まず、①理想の人格がある。こういう人間になりたいと理想として有している人格だ。この理想は実現していないけれど、その萌芽を個人は有していることも多い。 

 

 次に、②願望の人格がある。これは、こういう人間に見られたいという願望として有している人格である。 

 ①と②の違いは、②は見かけさえよければ良しであって、そこには欺瞞が入り込む。 

 僕が髪の毛ふさふさの人間になりたいとしよう。せっせと育毛して、頭皮のケアをしてということをする時、それは①である。そういう人間に見せかけたいと思って、カツラをかぶったり、黒色のパウダーを頭皮に振りかけたりする。これが②である。 

 

 ③社会化された人格がある。これは環境や状況に適応していく中で身に着けていく人格である。義務として身に着けてきた人格である。 

 

 ④ありのままの人格がある。これは普段の僕の人格である。僕が一人で過ごしている時などに現れる人格である。 

 

 以上はいずれも現在の現実に根ざしているが、以下はそれらから遊離している。 

 ⑤過去の人格がある。どの人も大きく性格が変わる時期を経験している。大体は青年期前後にそれを経験する。つまり、これは子供時代の人格である。この人格は、今では存在しないけれど、何らかの形で現在の僕に引き継がれている。 

 

 ⑥空想の人格がある。現実の自分はそうではないのに、空想として思い描いているだけの人格である。空想の上でその人格を楽しんでいるだけのもので、現実にそれを目指すとか、そのように見せかけるといった努力をしないものである。 

 

 もっとあるだろうか。まあ、これくらいにしておこう。 

 6つの人格を述べたけれど、その各々に問題が生まれる、あるいはその人の抱える問題と関係する。 

 ①が欠落している人もある。 

 ②は、悪い意味での「偽りの自己」である。 

 ③は、いい意味での「偽りの自己」であるが、これが強すぎる人もある。 

 ④は、これが曖昧になっている人もある。 

 ⑤は、過去にとらわれ過ぎている人なんかに見られる。 

 ⑥は、依存症問題で見られることが多いと僕は感じている。 

 それぞれにはもっとさまざまな問題があるだろうし、それぞれが組み合わさっていることが普通である。 

 正解があるというわけではないけれど、カウンセリングを通してクライアントたちは、当人も知らず知らずのうちに、それぞれの人格に折り合いをつけていくのであります。 

(2022.6.21) 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

高槻カウンセリングセンター便り~18通目:「中核テーマ」 

 

 心の病と称されるものには多種多様なものがありますが、その中核テーマを見ていくと、案外数は限られているものであります。 

 それはちょうど、山頂は一つなのに複数の登山口、登山ルートがあるのと同様であります。一つのテーマからさまざまな問題や症状が顕現していくのであります。 

 

 中核テーマは葛藤の形で表現されることになります。その方が理解しやすいからであります。 

 いくつかを示すと、自律か依存か、逃避か対決か、分離か結合か、接近か回避か、充実か空虚か、集中か拡散か、未来か過去か等々であります。 

 中核葛藤テーマの観点には、その人の進むべき方向と進むべきではない方向とが示されており、尚且つ、決断が求められる場面があるということが前提として含まれています。加えて、一人の人が複数の葛藤を抱えていることもあります。 

 

 クライアントはさまざまな話をします。初対面のクライアントでも、面接開始15分程度でその人の中核葛藤テーマが見えなければいけないと私は考えています。もし、この中核葛藤テーマがなかなか見えてこないようであれば、それはカウンセラーとしての私の未熟さを表しているのであります。 

 

 それはさておき、この中核葛藤テーマはそれ自体では病的なものではないのであります。人生において人が経験する類の葛藤からかけ離れているものではないのであります。ただ、この中核テーマにその人がどのように関わるか、そこが問われていくことになるのです。 

 この中核テーマにまったく触れることなくカウンセリングをすることも可能であります。そのようなカウンセリングは、クライアントにとってはただ居心地のいいだけの面接であったり、その場限りの満足で終わる面接となると私は考えています。 

 このテーマに触れると、クライアントにとっては少々厳しい体験となるかもしれませんが、一方で何か充実した感じを体験するのであります。私の経験でもそうでありまして、自分にとって本当に重要な何かが取り上げられたという感じが残るのであります。 

 

 また、中核テーマが把握できると、その人の言動に対して、望ましいものとそうでないものとの区別ができてくるのであります。従って、この人はいい方向に進んでいるようだとか、少し悪くなっているようだといった判断ができるようになるわけであります。 

 

 さて、実際のカウンセリングでは、中核テーマが直接取り上げられるわけではなく、クライアントが持ち込んだ相談を通して、そのテーマに触れていくことになるのです。クライアントは自分でも知らないうちにそのテーマに取り組んでいくのであります。いつか書きたいと思っているのですが、治癒や解決・解消などは無意識的である方がいいのであります。 

(2022.6.24) 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

<終わりに> 

 このページでは16通目から18通目までを掲載しています。 

 16通目は、「治療」ではなく、「予防」に関する内容であります。心の病は反復されるという傾向があるので予防的観点が求められることになるわけです。 

 17通目は人格に関する内容です。ここでは6つほど思いつくままに挙げたのでありますが、そのそれぞれに問題が発生することがあるということを伝えたくて綴りました。 

 18通目は中核テーマに関する内容です。クライアントの抱える問題に含まれるより中核的なテーマ(葛藤)が把握できると、その人の話のうち、何を聞くべきであり、何を聞かなくてもいいかということも見えてくるのであります。クライアントの話された膨大な内容のうち、何が重要で記憶しておくべきものであるか、何が周辺的な事柄で覚えていなくてもいいことであるのか、そういうことも見えてくるのであります。 

 時に、クライアントは自分ではこれは問題とは関係ない話だと称して話される事柄が、その人の中核テーマに関わっているということもあるのです。何気ないお喋りであったり、社交辞令のようなやりとりの場面でその人の中核テーマが垣間見えることもあり、こう言ってよければ、そこがカウンセリングの面白いところでもあります。 

(2023年7月) 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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