<自己対話編―20> 平成24年6月30日 

 

<対話> 

C:これをやるのも久しぶりだ。20回目は一度書き始めたことがあるのだけれど、仕事が急遽入って中断してしまったんだ。それで、その分はボツにして、今回を20回目にする。ボツにしたけれど、開始してすぐの中断だったので、続きをやる気にもなれなくて、新たに項を改める方がいいかなと思って、している。この一週間くらいというもの、アルバイトの件で走り回った。おまけに月末でいろんなことをしなければならない。雑用だ。そんなこんなでこの対話編が空いてしまったんだ。(1) 

T:いろいろ忙しく動いていたんですね。それだけ一生懸命だった。(2) 

C:そうかな。何にしろ、早く決まりたいのだ。それで日々の予定をきちんと組みたいのだ。はっきりしないのが一番困るのだ。決まってしまえば、後は何とか予定を調整したりして、それなりに規則正しい生活を送れるように思う。(3) 

T:生活を変えたいということでしたね。(4) 

C:それに向かって動いている。(5) 

T:そんなふうに動いている自分を見て、どう思う?(6) 

C:割りとよくやっているなと自分で思うこともある。昨日なんかは15件ほどあちこち用事で回ったんだ。朝早くからいろいろ初めて、仕事の合間を縫って回るんだ。それこそ目が回るくらいの忙しさだった。でも、昨日はちょっと特別で、外回りの用事を一日で片付けてしまおうと決めたんだ。後に残すと面倒だと思えてね。(7) 

T:できるだけ速やかに終わらせてしまおうと思うのですね。(8) 

C:そうでないと、次のことができないんだ。停滞してしまうのが、僕の場合、一番よくないことなんだ。近所のコンビニの件は断るつもりだ。昨日、初めてそこの店長という人を見たんだ。連絡すると言っておきながら一週間経っても連絡がないので、僕の方から行ってみたんだ。すると店長が出てきたんだけれど、びっくりしたね。その人はでっぷり太って、面倒臭そうで、愛想悪くて、ちょっと商売人のタイプじゃないな。それに目が死んでいる。目に生気がないんだ。そりゃ、彼の方で何か事情があるのかもしれない。何日も徹夜しているとかいう人なら、そんな目になるかもしれないな。(9) 

T:彼の方の事情も考慮して評価しなければいけないって思うのですね。(10) 

C:そうでないと不公平だとは思うから。その人の人生のある一瞬を捉えて、この人はこんな人だって決めることほど、人に対して無礼なことはないって、僕は考えているんだ。大抵の人はそれをするけれどね。たまたまその時のその人を見て、こいつはダメだとか評価していることがけっこう多いって、僕は思うね。神経症的な人ほどそういうことをしてしまうのだろうなって思う。でも、その評価はしばしば、その人の姿を本当に捉えていないこともよくあるんだ。(11) 

T:だから、あなたは他人に対して、そういうことはしないでおこうと決めているんですね。(12) 

C:そう。そうでないと一方的な決めつけになるだろう。そういう決めつけが人を傷つけてしまうんだ。(13) 

T:あなたは断るつもりでいる店の店長であっても、そういうことはしたくないんですね。(14) 

C:一週間待ちぼうけを食らったけれども、それとこれとはまた別の事なんだ。でも、その店長はどうも苦手だな。もしかしたら社会化が不十分なのかもしれない。(15) 

T:その店長と働くとしたら、どういうことが起きてしまいそうなのでしょうか。(16) 

C:何て言うのか、理不尽なこととか言い出すんじゃないかって、心配になるね。彼から受けた印象でモノを言っているのだけれど、どうもあまり有意義なバイトにはなりそうもないなっていう気がしている。そのお店にはもう一人、人当りのよさそうな、年輩の男性がレジに立っているのだけれど、僕はその人が店長だと思っていたんだ。だから、昨日、まったく違った人が出てきた時には僕は面食らったね。(17) 

T:信頼できる人と仕事をしたい?(18) 

C:そう思う。どんな形であれ、一緒に仕事をする以上は、一つのパートナーみたいなものだ。だからその人とやっていけるかどうかってことが僕にはとても大事なんだ。時給では選ばない。それで、昨日、その後なんだけれど、昔バイトしていた店に行ってみた。そこで募集していたらそこにしようかと思った。でも、募集はしていなかったので、今は人が足りているようだ。古巣の店に行って、店長は不在だったけれど、パートのおばさんが僕のことを覚えていてくれたのが嬉しかった。(19) 

T:自分のことを覚えていてくれるっていうことが、あなたにはとても嬉しいのですね。(20) 

C:そう、忘却はもっともひどい仕打ちだと僕は思うね。相手を無視する以上に、相手を忘却するっていうことの方が暴力的だと僕は思うんだ。だから人のことは忘れたくないって思うんだ。昨日の店長さんだって、僕は苦手だと感じているのだけれど、彼のことを忘却しようとは思わない。僕の人生の途上でそういう人がいたということをどこかで覚えておきたいんだ。(21) 

T:あなたも忘れないようにしたいし、それがあなたなりの思いやりとか愛情になるということでしょうか?(22) 

C:そう言っていいかもしれない。コンビニ時代に、一度、ごっそり万引きされたことがあった。防犯カメラには映っていて、僕たちは銘々その犯人を見せられたんだ。もし、次に来た時には店長に報告することってね。それから何か月もして、その犯人が来たんだ。似ているとかそういうのじゃなくて、あのカメラに写っていたのと同じ顔だって、はっきり分かったし、僕も覚えていたんだ。その人に声を掛けて、店長の所へ連れて行くと、彼は万引きを認めた。それよりも店長が驚いたのは、僕の記憶力だった。「よう、覚えていたな」と店長が感嘆したんだ。高槻でも、しばしば昔のクライアントと擦れ違うこともある。僕は気づかないフリをしていることが多いのだけれど、覚えているんだ。もっとも、本当に気がついていない場合もあるんだけれど。(23) 

T:あなたはそうやって人をよく覚えている?(24) 

C:覚えているんだ。あの人、以前一度来たことがあるなっていう程度で、後から、ああ、あの人だって気づいたりすることもあるんだけれど。(25) 

T:すぐには認識できなくても、その人がかつてのクライアントだということくらいはすぐに分かるということでしょうか?(26) 

C:そう。クライアントに限らず。名前がすぐには出てこないこともある。でも、顔は見覚えがあるっていうことも多いのだけれど。ある時、夜のことだった。阪急の駅の下が通り抜けられるようになっているのだけれど、そこを自転車で疾走している男性を見た。本当はそこは自転車は押して歩かなければならないんだけれど、そういうことにお構いなしで自転車で突っ切って行ったんだ。あれは僕の所に来たクライアントだ。一回受けて、文句タラタラ言って、すぐに止めた人だ。それはまあいい。でも、その人は実は学校の先生をしているんだ。そんなものかもしれないね。生徒には校則を守るように教えて、自分はルール無視して、危険な運転をしているっていう。彼なら、そういうことを平気でできるだろうな。(27) 

T:随分、その人のことを軽蔑した言い方をしますね。(28) 

C:そう。不快だったから、その人のことはよく覚えていたんだ。頑固で、精神的に未熟な人だった。彼が教師として何とかやっていけているのは、子供を神聖視しているからなんだ。それで周囲の大人とは平気で敵対しているっていう人だったな。僕ともうまくいかなかったよ。あれだけ子供を神聖視して、いつか性愛の対象にしてしまわないことを、僕は祈るだけだね。(29) 

T:その人にはどんな風に苦しめられたの?(30) 

C:特に彼が何かしたとかいうわけではないんだ。でも、チクチクと突き刺してくるんだ。あまり詳細を述べることはできないんだけれど。それで、彼自身、自分がそういう形で他者を攻撃しているっていうことには無自覚なんだ。むしろ、自分の方こそ被害者だといわんばかりの人だったな。そして、信頼できるのは、子供だけ。子供は純粋無垢で決して自分を裏切らないって信じているようだった。(31) 

T:あなたは彼の言動から何か攻撃されている感じを受けたんですね。(32) 

C:まず、鉄壁のガードを持っているっていう感じだったな。僕を一切受け付けないっていう感じだった。そういう人とも何人も会ってきたけれど、情のない人だったね。強迫的で、感情的なものは一切排除している感じだった。それで生きてきたのだろうけれど、ここにきて無理が来ているのは明らかなんだ。頭で割り切る、そして割り切れないものに対しては厳重に自分をガードする、人とは容易に打ち解けることができず、彼が受け入れることができるのは相手が彼の望むような対応をした時だけであり、それもかなり厳しい基準がある。だから彼の人生は他人を排除するために費やされてきたようなものだ。バカだと思うよ。言葉はキツイけれど。(33) 

T:愚かな生き方だなとあなたは感じている。(34) 

C:そう、それで一回で何とかしてくれなかったって言って、僕を責めているんだ。彼の人生、三十数年かけて積み重ねてきたものを、誰が一日でどうにかできるものかって、僕は呆れるね。それで大人は汚いなどと言って、子供は素晴らしいと更に理想化して、それで当人は子供のままなんだ。大人の世界では生きていけない人なんだ。(35) 

T:あなたはそれでも彼に対して何とかしようとしたのではないですか。それが裏切られたように思うので、怒りを覚えるんですね。(36) 

C:そう。僕はなんとかして手を差し伸べようとした。この場合、手を差し伸べるというのは、彼の持ち込んだ問題を解決してあげましょうなんて意味じゃないよ。あなたは生きていて、ある部分でとても間違ったことをしてしまったんだということを、少しずつ見えてくるように援助することなんだ。僕がそれを指摘しても仕方がないことなんだ。彼にそれが見えてこなければ、彼に扱えようがないんだ。(37) 

T:彼の間違ったことをしているとしても、それを指摘して、責めるようなことはしたくないんですね。(38) 

C:そんなことをして何になるんだ。自責的な人を何人も知っている。彼らは自分を責めるために莫大な時間とエネルギーを浪費して、何一つ達成することがないんだ。自分であれ、他者であれ、誰かを責めるというやり方は、当人をどこにも導かないものなんだ。だから、彼を責めるつもりはないんだ。それはあまりに非建設的なやり方だと分かっているから。責めるんじゃない、彼が気づいていくことなんだ。時間をかけて気づいていくんだ。人はそういう過程を経なければ、自分のこともよく分からないし、何が問題になっているのかさえ気づかないんだ。そして見当違いな解決策を延々とやってしまうんだ。僕を責める人もたくさんいる。僕のことを恨んでいる人や毛嫌いしている人もいる。彼らは僕を攻め立てる。でも、僕は彼らを責めるつもりはないんだ。彼らが僕を責めて不毛な一生を送ろうと構わない。その人たちはもう僕とは縁がない人たちなんだ。僕は彼らのために自分の人生を犠牲にするつもりはないんだ。僕が単に彼らを攻撃しているだけなら、僕はできるだけそれに気づきたいと思っている。(39) 

T:それはあなたがもっともしたくないことなんですね。(40) 

C:僕は自分の一生を確立したいんだ。彼らを攻撃したとて、それが達成されるとは思わない。彼らから学ぶし、彼らに対してもっと考えてみたいとは思うのだけれど、恨んで、攻撃して、それで消耗して、後になって、人生こんなはずじゃなかったなんて言いたくないんだ。残酷な言い方をすれば、僕は僕自身のために、僕を攻撃する人を利用しているんだ。僕に対する非難の言葉をネットの掲示板なんかで見る。僕はその時、書き手の方が正しかったとしたらということを考えるんだ。そうして考えると、僕自身のテーマが見えてくる。もちろん、誰のことを書いているのか、よく分からない書き込みもある。僕の名前は出ているのだけれど、僕の方で覚えがないというようなものもある。それでも、書き手の方が正しかったと仮定すれば、僕が何かを忘れているということについてはどういうことが考えられるだろうかって、振り返ってみる。まあ、彼らは言うだけ言って、言いっぱなしでいられるのだから、いい気なものだとは思うのだけれどね。(41) 

T:あなたはそういうことの一つ一つを自分を理解するための手掛かりにしようとしているのですね。(42) 

C:学ぶ姿勢を常に保っていると、何気ない日常の場面からでもいくつもの事柄が吸収できるものなんだ。あるクライアントは、僕がとても引き出しが多いって思っている。サイトの会社の人は、僕があれだけ書いていても、まだ一割も書けていないって聞いて、それだけ書くようなことがあるのですかって驚いていた。未公開の原稿は今では80くらいある。今、<テーマ130>近くまで達しているけれど、実際は<テーマ210>くらいまで原稿はあるんだ。それでも、僕が取り上げたいテーマはまだまだあるんだ。書いて、仕上げるのが追いつかないくらいなんだ。(43) 

T:あなたの中から言いたいこととか、書いてみたい事柄が次々に湧いてくるような感じでしょうか。(44) 

C:僕が空っぽになるまで綴ってみたいと思う。クライアントからは本にしたらいいのにって言われるのだけれど、一時期は僕の著作が出たらいいなあと思っていた。今では、そんな願望もなくなったね。出版社は売ることを考えるんだ。僕は売れないような本を書きたいんだ。セールスのために、好きなように書けないというのが腹立たしいんだ。僕の書くようなものはまず売れないって、僕自身がよく分かっているからなんだ。(45) 

T:本当に興味を持って読んでくれる人だけに買ってもらえたらいいって、そういう思いなのでしょうか。(46) 

C:そう。ある意味で、とてもマニアックな嗜好だね。哲学的な本は敬遠されるだろうし、売れるためには単純明快に書いて、ハウ・トゥー系に仕立て上げなければならないだろうね。そういうのがウンザリなんだ。本の売り上げランキングなんかでも、上位に来るのは下らないハウ・トゥーものだ。あれを見ると、嫌な世の中になったものだなと、つくづく厭世観に襲われるよ。とても薄っぺらくて、表面的な本しか売れないのだろうなって思う。(47) 

T:あなたが本にした時に、その類のものにされてしまいそうで、それを避けたいのですね。(48) 

C:そう思っている。読む人がもっと自分自身に目を向けるようになるっていう、そういう本が書けたらいいなあとは思う。でも、他人の実践した方法を読んで、それだけっていう人も多いのだろうな。それは著者のやり方でしかないのに、読んで、頭で理解して、それで終わりっていうね。何一つ自分のモノにならないような読み方だ。そして、平気で読み捨てられる。(49) 

T:そういう本や、そういう本しか読まない人のことが好きになれない?(50) 

C:そうだね。僕はちょっと薄っぺらい感じがしてならないんだ。その手の本しか読まないというような人は、きっと、自分の中にいいものがあるっていうことがまるで信じられないんだろうな。他人のやり方、それも偉い人と見做されている人のやり方が素晴らしくて、自分のやり方ではだダメだって信じているのかもしれないな。そして、自分の中にあるものを掘り起こそうともしないで、他人が達成したことをひたすら追求しているように僕には見えてしまうんだ。僕の偏見かもしれないけれど。(51) 

T:一人一人の中にあるものをもっと見出していくといいのにって、あなたは思うのですね。では、時間が来ましたので、ここまでにしておきましょう。(52) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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