<自己対話編―16> 平成24年6月19日
<対話>
C:今日は幾分気分が落ち込んでいる。いや、気分というよりも体の具合の方が沈んでいる。これも自業自得なのだけれど、昨夜呑んだ酒が堪えている。量はそれほどではなかったのだけれど、徹夜明けの夜に呑んだということもあって、思っていた以上に体に堪えた。15か月くらい断酒していた時期がある。今年の連休辺りから酒を解禁した。僕には断酒する目的も理由もなかった。何のために酒を止めるのか、そういうことがはっきりしなくなったんだ。それである夜、フラフラとバーに入って、呑んだ。それが再開の始まりだった。(1)
T:酒を解禁したことよりも、断酒を続ける目的や意義を喪失したことの方が辛かったのではないでしょうか。(2)
C:そうだと思う。以前交際していた女性友達のMさんと付き合い始めて、間もなく、僕はお酒が欲しくないと思っている自分を発見した。最後に呑んだのは、夕食時のビールで、飲もうとした途端、それがのどに通らないのを発見した。通らないというよりも、入っていかない感じだ。欲しくないと、その時はっきり自覚した。Mさんと交際していて、僕は自分が満たされていることが分かったんだ。(3)
T:内面が満たされると、お酒で埋め合わせる必要がなくなる感じでしょうか。(4)
C:そんな感じだな。それで自然とお酒を止めるようになったんだ。でも、飲酒欲求とは頻繁に戦うこともあったけれど、それはもっと後になってからだ。満たされている感じがしなくなっても、これまで断酒を続けていたのだから、何とかして続けようと思っていた。それで継続していただけのことだ。Mさんと決別してからも、半年くらいは断酒を続けていたな。それはMさんを意識してのことだった。彼女と別れた途端に僕が飲酒を再開するようになったとすれば、Mさんに勝ちを譲ることになりそうだったからだ。でも、今から思うと、そんなことはないなと。Mさんと交際して始めた断酒を、いつまでも続けていく方が、Mさんのことを引きずっているようにも思われるんだ。(5)
T:その辺りははっきりしない感じなんですね。(6)
C:そう。でも、断酒を続けることも、飲酒を再開することも、どちらも正しいことではなかったと僕は思う。もし、断酒を続けるとすれば、Mさんとは関係のない、新たな目的のためにそれをしなければならない。別の目的や意義でもって継続する必要があると僕は思う。そうでないと、Mさんとのことをそのまま続けている感じがして、僕は嫌だった。だからと言って、飲酒が良かったとも言えない。飲酒をしても、以前とは違った飲酒をしなければならない。そうでなければ、僕は何も変わっていないということになる。僕は後者の方を選んでいる感じがする。(7)
T:呑み方を変えている?(8)
C:そういうこと。以前のように毎日は呑まない。量もかなり減っている。今、週に一回程度の飲酒だ。多くて二回といったところで、呑まない日の方が、本当は多いのだ。もし、週に一回から二回の飲酒であるならば、毎晩晩酌をするという人に比べても、酒量はそれほど差がないのではないかと思う。僕の場合、毎日適量を呑むよりも、週に一回でいいからその日は存分に呑む方がいい。その方が僕は満足できるからだ。(9)
T:それで昨夜は満足を求めたくなっていた?(10)
C:そう。何かしら不足している感じが内側に籠っているんだ。何かが足りないという感じなんだ。一方、頭の中は忙しく回転していて、どこかで整理しないといけないなとも思っていた。それで呑み屋でノートを広げて、書き物をしながら飲んでいたんだ。なかなかそういうことをしている人は少ないと思う。僕はそこで、これからのことや、いくつか考えなければならないことを整理していった。酒を呑みながら、ノート4,5ページを埋めていった。(11)
T:あなたにとっては、あまり愉しむためのお酒ではないようですね。(12)
C:あんまりそういう意識はないな。もちろん、愉しいお酒も体験したことはあるけれど、大抵は考え事をする時間なんだ、呑み屋で過ごす時間というのは。愉しいお酒になるのは、そこに顔見知りがいたりとか、そういうことがきっかけで話が盛り上がったりした時だけのこと。それも最初からそういうのを求めて呑みに行っているわけでもないんだ。基本的には独りで過ごす時間なんだ。(13)
T:独りになるために呑みに行くということになるのでしょうか。(14)
C:もともと独りであちこち行ったり、活動したりしているのだけれど、酒は独りで呑むものだという意識がどこかにある。人と一緒に飲食するのは、本当はあまり好きではないのだ。ごくたまにであれば、それも楽しめるのだけれど、あまり頻繁にはしたくない。呑むことに限らず、食べる方でも一緒なんだ。ごはんを食べる時は、僕は一人でないとイヤなんだ。それも静かに食べる。BGMやテレビはなしだ。静かな場所で、独りで黙々と食べる。それが僕の食事のスタイルなんだ。(15)
T:そういう時に周りに人がいるとどういうことになるのでしょうか。(16)
C:別にどうもならない。会食しても、食べている時は黙々と食べる。大抵の人はそうだ。食べている合間にお喋りをしているに過ぎない。食べながら話してはいないのだ。目の前にYさんがいるとする。これはMさんであれ、その他の人であれ同じことなんだけれど、食べている間は無言である。それでいい。食べ終わってから会話すればいいだけのことだ。(17)
T:その会話は楽しめる?(18)
C:それなりにね。ところで、どうもよろしくない。(19)
T:良くないと言うのは?(20)
C:どうも表面的なことを話しているだけで、僕は自分の内面に肉迫している感じがしない。もっと内面に目を向けたいのに。(21)
T:何かそれを遮るようなものを感じる?(22)
C:今日は特に不調だ。外側のことや表面的なものごとに拘り過ぎている。(23)
T:何がそうさせているのだと思いますか?(24)
C:一つは身体だと思う。身体のことに注意が行き過ぎている。それとあと何だろう。不安感かもしれない。(25)
T:何か不安に思うことがあるのですね。(26)
C:特定の何がというわけではないんだけれど、何となく漠然とした不安が朝から内面に渦巻いているのを感じているんだ。この不安は、特に緊急に何かをしなければいけないという感じではないのだけれど、どうにも僕を落ち着かせなくしている。この不安のせいだろうか、今日は本を読んでいても集中できないんだ。読んで、同じ所をもう一度読み直さないと頭に入らない感じがしている。頭重感はないけれど、若干の頭痛を感じている。少しだけ、一服してもいいだろうか。(27)
T:いいですよ。(28)
C:(タバコを一服)酒もタバコも、今の自分に役に立っている限り、止められそうもないな。こいつらにエネルギーを割かれているということは自覚しているのだけれど、そうかと言って止めようとも思わないな。有ればやるし、無ければ我慢するしで、そういう自然な関わり方がもっとできればいいなとは思っているのだけれどね。(29)
T:どちらも止められそうにない。(30)
C:あんまりそういう気になれない。少なくとも、今はそういう気にはなれない。酒もタバコも僕はやるけれど、ケータイやツイッターはしない。パチンコやギャンブルなんかもしない。全部やる人間に比べたら、僕の方がはるかにましだと思うのだけれどね。ケータイは酒やタバコよりもタチが悪いと僕は考えている。人を拘束する力はケータイの方がはるかに強いって僕には思われるね。僕が酒やたばこを呑むからと言って、僕はそれらから自由になることもある。ケータイはそうはいかないだろうな。向こうから束縛してくるアイテムなんだ。だからケータイなんか持ちたくないんだ。僕は携帯電話を持たない。これを聞くと、大抵の人は驚く。今時ケータイを持たないなんてって。でも、僕は全然不幸を感じないのだ。それによく言われる。ケータイがないと不便でしょうって。僕は不便ではない。ただ、僕の周りにいる人が不便だと感じているだけである。僕が困るんじゃなくて、僕に連絡を取りたいと思う人が困っているだけのことである。仮に携帯電話を持っていたとしても、一日の大半は電話に出ることができないのだから、持っていようがいまいが同じことだ。それに、まず、電話番号を教えようとしないのだから。(31)
T:あなたはそれをしていた経験があるのですね。(32)
C:そう。一時期は携帯電話を持っていた。電話帳に登録されているのは三人くらいだった。他に連絡を取りたいと思う人もいなかったし、あんなもので四六時中つながられても困るものだ。(33)
T:独りになりたいと思う時には特に厄介でしょうね。(34)
C:そう。向こうからかかってくるんだ。僕は電話ほど暴力的なアイテムはないと思っているんだ。向こうは用事があって、電話をかけてくる。それはそれで認めよう。ただ、それはいきなりかかってくる。僕はその時、何かをしているだろう。仕事をしているかもしれないし、こういう書き物をしているかもしれない。考え事をしているかもしれない。そこに電話が鳴る。その電話はそれまでの僕の生のリズムを一方的に中断する。僕の全存在はすべてその電話に集中させられてしまう。かけた相手は僕にかけたということが分かっている。受ける僕は、それが誰からの電話か分からない。それは味方かもしれないし敵かもしれない。僕はひとしきり恐怖を覚える。相手がだれか分からないということは、本当に怖いものだ。あんまり意識している人は少ないかもしれないけれど、電話はそういう体験をまず僕にもたらす。僕は電話に出る。それがどんな電話であれ、内容はどうでもいい。ただ、電話が終わった後、僕は電話がかかる以前の生のリズムを取り戻すのにいささか苦労する。一方的な中断のために、僕の何かが妨げられる。そこを一苦労して取り戻さなければならないのだ。だから電話は暴力的なんだ。でも、電話がなければ困るという場面もあるし、仕事をしていく上ではどうしても必要なものだ。僕が電話受付時間を明記しているのも、これに対する防衛なのかもしれない。13時から14時までというのは、その時間、僕は僕の生のリズムを中断して待つことができる。時間が決まっていると、そういうこともできるのだ。その時間、僕は電話のために自分自身を捧げる。不意にかかってくるよりかは、その方がはるかにましだ。(タバコを一服)・・・(35)
T:今日は集中できない感じですね。(36)
C:これを書き始めるまでは、何て言うのか、今日も対話編ができると思って張り切っていたのだけれど、いざ始めると、今一つ、気分が乗らない。(37)
T:あなたはそれを身体に意識が向いているからだと言いましたが、それ以外に何か重くのしかかっていることがあるのではありませんか。(38)
C:それはある。ここに書いていないだけで、本当は多くのことが僕の中でひっかかっている。自分自身のこともそうだし、クライアントのこともそうだ。Yさんのことでも悩む。仕事のことでも、経済的なことでも、それに勉強のこともそうだ。いろんなことが僕にのしかかって来ている。僕は一つ一つ処理していかなければならないのだけれど、それも順調にはいかない。このサイトだって、僕が自分で作っておきながら、まったく満足していない。仕事でもそうで、僕は自分の仕事にまるで満足していない。常に不満なんだ。部分的には満足もできるけれど、どこか不満足なんだ。面接をして、クライアントは僕に感謝して帰られる。それはそれでいい。クライアントがいい体験をしたのなら、それは構わない。でも、僕の中では常に、あの部分はあれで良かったのだろうかとか、ここはもっと違った言い方ができなかっただろうかって、いくつもの疑問点が見えてくる。仕事も僕自身も、少しでも今よりいいものにしていきたいとは思う。でも、これは永遠に達成されることのない作業なのかもしれない。(39)
T:そのことはよくないことなのでしょうか?(40)
C:もし、面接に関して、僕の中に不満が残るとする。それは僕の今後の課題となる。そこまではいい。でも二人の人間が作り上げる世界において、一方の僕がそういう体験をしている時、この世界がそれに影響されないだろうかって心配になる。僕の不満足感が、僕を含めた人間関係に影を落とさないだろうか。もし、そうだとすれば、これは僕一人の問題ではなくなってくるように思うんだ。(41)
T:クライアントと一緒に関係を築き、お互いの間の世界を作って行く作業で、あなたは自分の体験している不満足感が妨げになっているのではないかと、心配になるんですね。(42)
C:幾分、ましだろうとは思う。というのは、僕が不満点を見出すのは面接が終わってからなんだ。面接中はそういうことを自覚しない。(43)
T:と言うことは、やり終えた後で、あなたは自分が満足しないように、反省点や問題点を自ら探しているということになるのでしょうか。(44)
C:そういう面もあるかもしれない。仮にそれがいい仕事だったとしよう。僕はそれをそのまま認めることが出来ないでいるのかもしれない。(45)
T:いい仕事をしたとしても、それをそのまま受け入れることができない。何か良くなかった点を探し出してしまう。(46)
C:そうなんだ。いや、良かったなと思える部分はそのまま受け入れることはできる。あそこでいいタイミングでいいことが言えたなとか、そんな風に思うこともある。でも、それだけで済まないんだ。他の点で改善点を見出してしまう。(47)
T:現実に仕事ぶりが良かったか悪かったかということではなくて、あなたの中で良さをそのまま認めることが許されない感じなのでしょうか。(48)
C:一度、師匠であるI先生に僕の面接を見てもらったことがある。記録を作成し、一部逐語録にして面接の様子を伝えたんだ。I先生曰く、十分なことはできているということだった。I先生にそう評価してもらえても、僕の中ではやはり「こんなのでいいのかな」っていう気持ちは残っている。だから僕の気持ちの上での問題だと言われれば、それは確かに正しいような気もする。(49)
T:あなたにとって満足のいく面接とはどのようなものになるのでしょうか。(50)
C:実は、そこもそれほど具体的にはなっていないんだ。僕が最初のカウンセリングで体験したような体験をクライアントに提供できれば、そう思えるのかもしれないけれど、でも、これは確認のしようがない。クライアントの体験如何によるもので、僕はそれを外側から判断しなければならなくなる。クライアントは僕に感謝しながらも、内心怒っているということもあり得るし、反対に、僕に対してすごく怒っていながら、内心では僕という存在をありがたがっているかもしれない。僕をしつこく攻撃する人たちにとってはそうだろうなという感じがしている。僕を散々に言いながらも、僕というはけ口があるのをひそかにありがたがっているだろうなと思う。もちろん、無意識的にだ。でも、まあ、いずれにしても、クライアントをそれの判断基準にすることはできないということなんだ。(51)
T:では、あなた自身の基準に基づいて判断しなければならないということになるんですね。(52)
C:そういうことだな。(53)
T:でも、その基準というものが何なのか自分でもよく分からない?(54)
C:そう。分からない。僕自身を基準にして、それで良かったとか良くなかったとか評価しても構わないはずなんだけれど、何に基づいて良いとか良くないとかが言えるのだろうって思う。(55)
T:あなたはそれを築いていく必要があるのですね。そこはもっと見ていく必要がある部分ですね。それでは時間となりましたので、ここまでにしておきましょう。(56)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)