<自己対話編―12> 平成24年6月13日
<対話>
C:昨日はバタバタしてこれをすることができなかった。時間は適度にあったのだけれど、まとまった時間を取ることがちょっと困難だった。昨日は定休日だけれど、面接が一件入ったので、それをこなす。面接自体はそれなりにうまくできたのだけれど、終わってからドッと疲労した。この数日、精神的に疲弊感がある。面接の後、Yさんと会ったのだけれど、僕は内面的には非常にイライラしていて、何か焦燥感のようなものも感じられた。Yさんにもガマンできない瞬間が何度かあった、それを抑えるのに少しばかり苦労した。爆発するわけにはいかないので、なんとかして乗り切った。その後、酒を呑んだ。酒を呑むとなると、Yさんはいい顔をしない。でも、何か他にはけ口を与えてやらないといられないのだ。Yさんはそういう対象にはならない。彼女の無意識的にしていることが、僕の神経を逆なでする感じなんだ。それはYさんのせいではない。彼女は自分のしていることに気づいていないだけだ。本人が自覚してそうしているのではないということを、僕は充分理解しようとしている。だからYさんを責めるのは間違っていると分かっているのだ。僕の中にあるものが僕をしてそういう状態にさせるのだ。(1)
T:あなたの中にある何かが、あなたを疲弊させ、イライラさせる。でもYさんをそのはけ口にしてはいけないのだと知っていて、なんとか自分を制止しようとしていたのですね。(2)
C:それはやはりしんどいことではあった。Yさんと別れて、解放感を覚えた。こういうことを知ったらYさんは傷つくかもしれないな。でも、この解放感というのは、Yさんその人とは関係のないことなんだ。僕は一人になりたいと思っている自分に途中で気づいた。僕は自分勝手だったかもしれない。(3)
T:Yさんと会って、それで自分が実は一人になりたいということに気づいたということなんですね。(4)
C:最初は、Yさんと会うことで、僕の何かが救われるのではないかって期待していた。でも、それは正しくなかったんだ。僕は一人になることで、自分を鎮めたかったということが最初は見えなかった。彼女と会っていて、独りになりたいという感情がより見えてきた感じがする。それで、昨日のことだけれど、僕は夢を見た。少し不思議な夢だった。(5)
T:どんな夢?(6)
C:それは、一人の女性と一緒に僕は歩いていた。彼女は200番台だということだった。番号が付いていたのだ。最初の2という数字は、彼女の成長レベルを表すものだと、彼女が教えてくれた。それから場面が変わる。父が大勢の人の前で僕を批評する。僕は怒ったけれど、明日から心を入れ替えてきちんとすると断言した。その後、さらに場面が変わる。恐らくだけど、心を入れ替えて、準備に取り掛かるようになったのだと思うのだけれど、僕は体を清めるためにシャワーを浴びている。そのシャワーというのが、ガソリンスタンドのトイレに隣接しているシャワールームだった。初めは僕一人だった。その後、これから出勤しようという人たちがシャワーを待つようになっていた。振り返ると、シャワー待ちの人の列ができていて。けっこうな数の人が並んでいたように思う。それで僕は早々を切り上げたんだ。そういう夢だった。(7)
T:その夢について、どのようにお考えになりましたか。(8)
C:彼女の番号ということから始めると、200番台というのは記号になっていて、最初の2という数字が彼女の発達レベルを表しているということだった。何段階評価の2なのかは分からないけれど、それが僕の中にある女性性の成熟度であるのかなと、漠然と思った。それと、この数字なんだけれど、Yさんと旅行した時、その宿泊室の番号が201番だった。最初の2は二人部屋を意味しているということだった。だからその印象と結びついているのではないかと思う。その後、父に批評されるという場面が来る。僕が気になったのは、それを大勢の人の前で父がしているということだ。それはその後のシャワー室で長蛇の列ができているということにつながる。何か集合的な要素が僕の中に流れ込んでいるかのように思われる。ユングは集合的なものが流れ込んでくると、その人はひどくしんどい状態に置かれているということをどこかで言ってたように思う。何となく、頷ける。今の僕も非常にしんどいからだ。でも、このしんどい時期というのは、必ず経なければならないものだとも思っている。(9)
T:何かあなたの中で湧き起こって侵入してくるようなものが体験されているんですね。(10)
C:いろんなものだ。それで、僕は自分の夢をもっと批判的に見てみようと思っている。まずこの女性の数字だ。これはYさんとの体験と関係しているようである。その数字の意味などから、そう仮定してもいいだろうと思う。もしそうであるとするなら、この200番台という数字はYさんに関係している数字とみなすこともできる。Yさんに対する僕の感情がこの数字に関係しているのかもしれない。2という数字はこの女性の成熟レベルということになっているが、僕がYさんを見る時に見ている仕方を表しているかもしれない。僕はどこかでYさんはレベル2程度の段階であると思っているのかもしれない。そして2という数字は、きっとだけれど、かなり低いものだろうと思っている。少なくとも5段階評価であるか、それ以上の範囲だと思う。それ以下ということはない。三段階評価なら、優とか並とかいう形になるかもしれない。はっきりした数字で出しているということは、それは三段階以上で評価していることを表すのじゃないだろうか。僕はYさんのことをどこかで低く見積もっているのかもしれない。そういう僕を父が批評する。この父は超自我のようなものだ。僕は人前で批評されるということで、自分を断罪している。自分を責めているということになる。そして僕は無抵抗だ。明日から心を入れ替えてきちんとやりますなんていう宣誓をしている。そして自分を清めるためにシャワーを浴びている。これはきちんとした浴室ではないのだ。簡易的なシャワー室だった。シャワーも一つしかない。その一つを僕が占有している。後ろに長蛇の列ができている。こういうことは何を意味するだろう。この人たちは、結果的に僕を追い出していることになる。僕が自ら早々と切り上げたとは言え、この人たちのお陰で僕は急き立てられている。(11)
T:Yさんを見る目、それと超自我による自罰、集合的なものに急き立てられ、追い出される。こういうつながりをあなたは見ているのですね。(12)
C:そこには僕の迫害される恐怖感も見られるかもしれない。(13)
T:もう少し考えてみよう。この群衆たちはどのような意味合いを持っていると思いますか。(14)
C:視線。まず今思いついたのはそれだった。それから僕の領域に入り込んでくるもの、さらには僕を晒し者にするものという感じがしている。(15)
T:あなたは彼らに晒され、隠れることもできず、尚且つ、彼らに場所を譲らなければならない。(16)
C:そうするのが正しいように思われている。夢ではごく自然にそういう展開になっていった。それは僕の一つの適応の仕方なのかもしれない。多くの人に適応するということは、彼らの面前に晒され、隠れたり、ごまかしたりせず、大人しく従う。彼らが順番を待っているのであれば、僕は速やかに彼らのために席を譲る。そういうやり方をしているのかもしれない。(17)
T:あなたは集合的な要素を、あなたが日常生活で出会う群衆のように見ている。まず、そこから考えてみようとされているようだ。(18)
C:僕は夢を考える際に、できるだけ日常から考えようとする傾向がある。日常的な場面に置き換えてみるんだ。だから、夢の中の人たちも現実の群衆だと捉えた場合に、どういうことが言えそうかという考え方をした。(19)
T:そして、彼らはあなたにとっては脅威でもある。(20)
C:そうかもしれない。争おうとか抗おうとかいうことをしないし、自己主張もしていない。列を成して待っている人たちに対して、ちょっと待ってとか、もうすぐ終わるからとか、そういうことも全く言ってないということに気づいた。それよりもそそくさと切り上げている。(21)
T:そうする方が安全なんですね。(22)
C:下手にちょっと待ってとか言って、彼らを不機嫌にするよりも、速やかに立ち去る方がいいし、その方が彼らの機嫌も損ねないだろうって、そんな風に考えているのかもしれない。(23)
T:あなたにはそういう体験があるということを、思い出すことができますか。(24)
C:ある。家族に対してそういうことをしてきたなということを、今一番に思い出した。それから学校の人たち、友達たちに対してもそういうことをしてきたかもしれない。(25)
T:同じようにYさんに対してもそう。(26)
C:Yさんに対してもそうだ。(27)
T:人を不機嫌にするくらいなら、自分が不機嫌になる方がいい、そんなふうに思うのでしょうか。(28)
C:そうかもしれない。(29)
T:そして、自分の不機嫌が不要なものかもしれないとは思わないのですね。(30)
C:それは思えないな。いや、こういうことだということは頭ではわかっている。つまり、僕が不機嫌にならずに済む可能性があるはずだっていうことだ。避けることのできる不機嫌もあるかもしれない。でも、僕が彼らに対して無力であるために、不機嫌に陥らざるを得ないということかもしれない。これは僕が自己主張していないとか、そういう行為の話ではないと思う。彼らに対峙した時の僕の在り方が問題になっているのだと思う。そして、僕が不機嫌を繰り返すために、この女性の成熟レベルが2のままなのかもしれない。それだけではない、この不機嫌は父によって、つまり僕の超自我部分によってなされたものの結果なのだということでもあるようだ。(31)
T:つまり、どういうことになるのでしょう。(32)
C:僕と彼らの関わりが変わっていくことなのだ。彼らは父の側についている。つまり、超自我に接近しているわけだ。でも、そういう集合的な要素を僕自身に結びついていくことが必要なんだ。もし、それが僕と結びついたとしたら、僕は彼らに対してもっと自由になるだろうし、超自我は彼らの側につかないだろうし、この女性要素はレベル2から脱していくだろうということだ。(33)
T:そのためにしなければならないことは何だろう。(34)
C:つまり、この集合的な要素を恐れたり、切り離したりしてはいけないということなんだ。そして、この集合的な要素とは、他の人たちでもあるのだから、僕がこの集合的な要素と結びつくということは、僕が他の人たちと共通であるということを認識していくことなのだと思う。他の人たち、集合的な部分は僕の一部であり、僕は彼らと変わらない、同じ人間なのだということ、それを回復していくことだと思う。(35)
T:他の人たちと同じ人間であるというつながりを取り戻していかなければならないということでしょうか。(36)
C:そういうことではないだろうか。僕は自分が非常におかしな人間だと信じてきた。今から考えると、この異常感というのは、家族がそう見ていたということと、僕のような体験を他の人たちがしていないように見えていたということに基づくのではないかと思う。(37)
T:つまり、あなたが思っていた異常というのは、厳密に言えば、感覚的なものであったかもしれない。自分が異常だという証拠を見てしまっていただけだったのかもしれない。そういうことでしょうか。(38)
C:自分がおかしいとか、異常だと思える時、僕は周囲の人たちから切り離されている。人間的なつながり、社会からは隔絶されてしまっている。集合的な部分が入り込んでくるというのは、それらを取り戻す機会でもあるのかもしれない。でも、夢の中で、この集合的な要素は僕を追い立てる存在になっている。(39)
T:彼らの役割が変わっていくためには、どういうことをしていく必要があると思いますか。(40)
C:彼らを迫害者と見做さないことだ。一番にそう考えた。(41)
T:彼らの中に迫害者の姿を見てしまう。(42)
C:無意識的にそうしてしまっているのかもしれない。現実には迫害しているわけではない。僕に対して悪意を持つ人もあるし、意地悪な人もあるのだけれど、全員が全員そうだということではない。僕はその区別をこれからもしていかなければならないかもしれない。そして、僕が同じ人間だと分かって行かなければならない。それは、彼らの中に共通なものをもっと見出していくことなんだ。共通なものを見出していくためには、彼らをよく見、知って行き、関わって行かなければならない。遠く離れた所から恐れているだけでは、何も得られないのではないか。なんだかそんなふうに思えてきた。(43)
T:あなたが必要としていることはそういうことなんですね。集合的な要素として表現されているもの、それは他の人たちであったり、あなたが過去に出会った人であったり、あるいはもっと社会的な場面であったりと。それにあなたは関わって行かなければならない。今はそういう気持ちになっている。(44)
C:そういうことになる。他の人たち、過去の人たちとの関わり、僕の歴史との関わりと言う意味を含んでいるようだ。僕は自分がこうして語りなおしていることが正しいことのように思えてきた。そして、僕が語りなおしたくなっていたということも、なぜそのような気持ちが生じていたのかということも、とても自然な感情であったように思える。女性友達のMさんと交際を始めた頃、僕はこれで自分が変われると思っていた。僕はもう過去の僕ではないという気持ちになっていった。でも、これは正しくなかったんだ。僕が体験していたのは、過去を切り離そうとしていたことだったのではないだろうか。過去を全て捨てて、生まれ変わるというような感覚だったかもしれない。でも、それって本当はすごく間違っていることなんだと、今はすごく感じる。自分の過去を捨ててはいけないのだ。切り離して、捨ててしまうよりも、それと関わりを持つということの方がとても大事なんだ。僕は自分の過去とも関わり続けるだろうと思う。(45)
T:人とも、自分自身とも、自分の過去とも、あなたは関わって行かなければと思うようになっているのですね。では、そろそろ時間になりましたので、ここまでにしておきましょう。(46)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)