<Cとしての感想> 

 大学時代のことを話したんだなあという感情は残っている。兄とのことが話の中心になっていったのだけれど、兄は僕の人生ですごく影響を残した人間だ。僕はそれを処理していかなければならないのだという気持ちに、今はなっている。父や母のことよりも、兄のことが先に出てくるというのも、おかしな話だなと、自分でもそう思う。でも、父や母とのことよりも、兄とのことの方が鮮明なんだ。兄という存在の陰で、父や母が存在しているような感じがしている。 

 

<解説> 

(1)具合が悪く、何も食べたいとは思わないような一日であったことを話す。Cはそういう状態になるのは、満たされている時か、感情がいっぱいでこれ以上体内に入らない時かであると言うわけだ。それで後者の方だろうと自ら述べる。Cの表現から、この感じが非常に不快であることが窺われる。いろいろ動く所のものがあって、いろんなものが込みあがっているのだろうと思われるが、一方で、適切な出口(感情表出)が閉ざされているためにこういう不快な体験をしているのだろうと思われる。 

(2)感情をいっぱい抱えているということを単純に反射した応答である。 

(3)Tの応答には関与せず、Cはこの状態になったことを考察している。過去を振り返っているせいかもしれない。それに現実に過去の様々なことを思い出すということを語る。Cの内面が動き始め、イメージが活性化されていることが窺われる。 

(4)Tが話題を限定する。今日、Cが何を思い出したのかということは、この日のCの関心事と関連するだろう。また、そこで思い出されている表象にリビドーがカセクシスされていると述べても構わないが、それが現在のCの心を占めている事柄であるはずである。それよりも、ここでTはもう少しCの体験している事柄に共感的に接する方が望ましいだろう。「いろいろ思い出されて、自分でもどうにもできない感じですか」などと尋ねていく方がCの安心感につながっていただろうと思う。 

(5)思い出された事柄は何であっただろうか。小学生の時、見ず知らずの高校生に唾を吐きかけられたという思い出である。そしてさらにそれ以前に兄にされたことである。この体験、と言うよりも、この体験で喚起される感情がCの心を占めているものであり、彼がいっぱいいっぱいだと言う感情はこれに属するものであることが予測できる。 

(6)Tの反応は望ましいものではない。Tが述べていることは正しい。それは確かに暴力であるからだ。しかし、これは(5)の発言に直接触れるものではない。後々の展開によっては適切な応答となるかもしれないが、ここでは不適切である。しかし、Tがそのような反応をここでしているのは、Cの感情に引きずられているからである。これは両者が同一であるために生じる事柄である。 

(7)Tの言葉を受けて、Cもそれは暴力であるということを認める。しかし、Cの関心はそこに留まらず、次の事へと移っている。それはどのような順で、何を体験しているかということだ。最初は困惑、徐々に不快な気分が占領する、そして自分が情けなくなる、こういう展開である。 

(8)Tはこれに対して「怒りが出せなかったから」という見解を持ち出す。しかし、これは半分しか正しくない。実際、Cはその時に自分が体験したことを処理しかねているわけである。この処理しかねたことの結果が怒りになっているに過ぎない。最初に困惑があるわけだ。この困惑は、彼がこの事態をどう理解すればよいかに失敗していることを示している。そして不快な気分が占領するわけだ。これは体験したことの整理がつかないことに基づいているかもしれない。最後に自分が情けないと言う。ここで怒りが自分に向いていることになるのだが、この怒りは不快な気分が占めた後に生じているようである。従って、怒りが出せなかったからそうなったのではなく、その事態が当時のCには手に負えなかったからそういう結果になったのである。 

(9)Cはこの手に負えない、どのように解釈してよいか分からない事態に対して、自分が情けないからこうなるのだという説明を自ら与えて、それで事態を収めようとしていたことが窺われる。ここでもCが問題と感じているのは怒りではないのだ。怒りは副次的な現象で、彼を悩ましてきたのは、それをどう理解し、解釈し、受け止めるかが分からないという点にあるのだ。 

(10)TはやはりCの怒りに焦点を当ててしまっている。「その時に怒りを感じる」と言う時の「その時」とはどの時点を指すのだろうか、実に曖昧である。これはTが怒りということに問題を絞っているために、怒りの感情に拘ってしまっているのである。 

(11)CはTの応答に従順に応じる。Cは答えているが、Tが執着している怒りの感情には触れない。Cに怒りの感情がないわけではない。あくまでもCを苦しめているのはその事態である。怒りは二次的に問題となるのだ。ただ、Tがその怒りを感じ取ってしまっているのかもしれない。しかし、ここでのCの発言は、Cが理想とする状態を表現しているという点で意義がある。彼は自分の感情を即座に把握して、表現できるようになることを一つの理想としているのだ。 

(12)感情が把握できずに、溜め込んでしまうというCの話に対して、それは何か自分が制止されているような感じであるかと尋ねている。Tの述べていることは頷けないことはないのだが、今回のTはCに沿って行くことが難しいようだ。また、他の応答の仕方もあるだろう。「感情を把握できて、それを出すことができたら、あなたにとってどういう望ましいことが生まれるのでしょうか」と尋ねてもいいだろう。 

(13)Cは何とかして自分の体験していることを語ろうとする。それはスムーズにいかない感じなのだと表現される。この後で、「制止されている感じなのだろうか」と尋ねることができるのだ。何かが彼の中で流れて行かないのだ。それで後になっていろいろ思い出されてきて、その時の感情が込み上げてきたりするのだとCは述べる。これはつまり「時間差」があるということである。彼が体験し、処理し、感情を体験し、そういう一連の流れを経験するのに、常に時間差があるということではないだろうか。 

(14)TはCの感情体験を述べようとする。過去の不快な体験が何でもない時に思い出されてしまって、落ち着かなくなるのではないかということである。しかし、根本的にあるものは、そうした不快な記憶が彼の意図とは無関係に再現するという点にある。彼は自分でもそれをどうすることもできないというように体験されているのである。 

(15)Cが話を展開させる。いささかTの応答を無視した形になっている。今回、Tの応答はCにしっかりついていってない部分が多々あるのだが、そのためなのだと思うが、ここにてCがTを無視して暴走するのだ。実は、ここでのCの発言は、最前のC発言である(13)とも対応していないのだ。恐らく(5)の発言に続くものである。(5)から、この発言へと本当は移りたかったのかもしれないが、Tはそれをいささか妨害してしまったのだ。それはTが怒りや暴力ということに拘ったために、Cの動きが自然ではなくなっていったからであろう。いずれにしろ、人が唾を平気で吐きかけるのは、その方(虐げる)が安易だからだというつながりになるわけである。そして、Cには人が人を愛することがとてつもなく困難な作業であるように見えていることが語られている。 

(16)Tの応答であるが、なかなかいい応答である。Cは人が人を愛することがどれだけ難しいかを語るわけであるが、それは人がCを愛してくれることがどれだけ難しいことであるかということをも同時に語っているわけである。その後者の方にTは焦点を当てているわけである。 

(17)ここでCは幾分曖昧で不安定な表現をするようになる。「だからみんなしたがらないのじゃないかと思う」という表現でさえ、肝心な部分がぼかされている。これはより正確に言うなら、「僕を愛することはとても難しいことだから、みんな僕を愛するということをしないのではないかと思う」ということである。彼は自分が愛されないという部分をぼかしたがっているのである。ここは彼が自分でも認めたくない感情なのだろうということが窺われる。しかし、彼は何かを言おうとしている。それを言うことはここでは禁じられている。一つの理由は、これをサイトに掲載することになるからで、それが彼らの不利になってはいけないということである。彼が言いたかったことは、「彼らがいかに僕を愛さなかったか」という部分なのだと思われるが、それはCにとっては他者非難をしているように感じられてしまうということである。それを表明することが彼には禁じられているのだ。 

(18)Tの応答は正しいが、適切ではない。むしろ、「あなたは自分の感じていることをありのままに表現すると、誰かを傷つけてしまいそうに感じるのですね。それが恐ろしいから口を閉ざしていたいのですね」というような応答が望ましかったと思う。 

(19)(18)のTの応答、「本当ならここで書けないようなことを言いたい」という応答に支えられて、Cは少し自身のエピソードを語るようになっている。Cの兄弟はお互いに相手がいない方が良かったと思いあっている関係であると、C自身は認識している。Cも述べているように、兄がいなければ良かったという思いがあったようだ。兄もまた同じように思っているというのはCのその感情が投影されているのかもしれないし、兄の「弟がいなかったら」という無意識的な願望にCが反応しているのかもしれないし、その辺りは明確になされていない。そしてCの高校合格のエピソードが語られる。彼がどのような思いでいたのかは明らかでないが、なんとか高校が決まって彼はとても幸福を体験していたかもしれない。それを父親に話す。そこで兄が横槍を入れてくる。そして兄の横槍が父の失望をもたらすことになる。Cは「一瞬、父も喜んだように思った」と述べているように、彼は父親のその反応をしっかりと見ている。それはCが望んだ反応だった可能性が高い。彼は自分の望みが達成されたかのように体験したのではなかっただろうか。だからその一瞬が彼の中に残っているのではないだろうか。そこで兄がその体験を台無しにする。この一つのエピソードは彼の兄弟関係、父親との関係を如実に表すものである。Cの成功、兄がそれを貶める、父親は兄の言葉に信頼を置くという関係である。 

(20)Tの応答である。父親に喜んでもらえるというCの願望に触れているので良い応答だと思う。重点は兄の横槍にあるのではなく、Cが父親の喜ぶところを見たかったというところにあるからである。 

(21)その後、彼は散々な思いを体験したようである。彼はとても惨めな思いを体験したのである。惨めな自己を体験しているということである。つまり、合格祝いがなかったとか、そういうことが苦しかったのではなくて、Cの自己がそのように貶められ、惨めなものになってしまったということに彼の苦悩があるということだ。 

(22)ここでTはその体験を分析するようにCに求めている。「今のあなたから見て」という言葉は、今現在のCからその体験を振り返るように求めていることを提示している。 

(23)Cの解釈。この解釈が正しいかどうかは問題ではない。彼が下にいることで兄は頂点に君臨できるという関係であり、そのために兄が彼を貶めるようなことを言ったりするということである。彼にとっての秘密が、兄によって暴露されてしまうのだ。これは彼が常に丸裸にされるような経験である。彼が自分の中に守りが薄いと体験するのは、こういう暴露を体験するからではないだろうか。常に秘密が漏れるという状況を彼は生きてきたのではないだろうか。そして、比較的最近のエピソードが語られる。兄はCのものを勝手に借用するのだが、昨年もそういうことをして彼が困ったというエピソードだ。「困った」というのは軽い怒りの感情である。この怒りは、兄がCとの境界線を平気で破ってくることに対するものである。 

(24)Tは両者の境界線を押さえている。それを「区別」という言葉で表している。区別をつけてくれないということは、兄がCを取り込もうとしているわけである。兄が二人の間の区別をつけないということで、兄はCを支配している、飲み込んでいるということである。ここでCは自分の領域を持つことができず、そのためには常に排斥しなければならないということになる。自分以外のものを排斥しないと自己の境界線を保つことができないということである。そこで今回の冒頭の食欲不振を思い出す必要がある。当時、Cがやっていたのと同じように、彼は自分に属さないものを吐き出さなくてはならなくなっているのではないだろうか。つまり、心理的には飲み込むことができず、それよりも吐き出すということをしなければならなくなっているわけで、食欲不振は彼の精神の象徴的な表現であるのかもしれない。 

(25)いくつか兄に関するエピソードが語られる。一つは呑み屋のマスターの話である。Cにとってはこのマスターの言葉は自分の正当性を保証するものとして受け取られたのではないだろうか。そして、次に、彼が長男のように見られるという話である。このエピソードを介して、彼が自分の家族をどのように捉えていたか、心理的にはどのような家族として体験されていたかが語られる。彼には父親が二人いたかのように体験されていたわけである。 

(26)TはCに父親が二人いたかのように体験されているという点を押さえている。現実にそうでないとしても、Cにとってはそのように体験されていたのであり、Cにとっての体験がここでは重要なのである。客観的な視点は不要なのである。そして、Cにとって父親が二人いるようだったということは、Cにとって、そこに彼の家族の歪みがあるということを意味するわけである。 

(27)しかし、Cはそれは必ずしも正しくないと訂正する。二人の父親ではなく、父親と父親類似の人という表現をする。これはどこかで兄が現実には父親ではないという認識ができているということを表す。彼はエディプス・コンプレックスが理解できなかったと言うが、それは事実であろう。しかしながら、この兄の方はエディプス・コンプレックスをかなり忠実に描いているように思われる。兄は父親との同一視を達成したのだろう。そして弟であるCに対して父親的な立場を取っているわけである。しかし、兄もまた父親ではなかったのである。父親類似の人というからには、父親のようでいて、父親でない部分がCに体験されていたということである。父親と父親類似の違いは何であろうか。一つの仮説を立てるなら、父親像は分裂していて、現実の父親の表に現れない部分が父親類似の人によって具現化されているのではなかったかということである。この仮説に立てば、兄がCに対してしていることは、父親の無意識の部分であるということになる。父親が無意識においてCをどのように扱っているかが兄の言動からみて推測できるのである。言い換えれば、兄がCに対してしていることは、父親が無意識的にCに対して望んでいるものであるという仮説になる。それでは、兄はCに対して何をしているか。それはつまり、Cを貶めるということをしているわけだ。父親はCを貶めたいという無意識的な願望があると仮定してみると、父親と深く同一視している兄は父親の無意識を感じ取り、それを表面化させていることになるわけだ。兄もまた父親の一部を生きていたことになる。そして、父親がCを貶めたいという無意識的な気持ちがあるとすれば、それはなぜだろうか。それは母親、父にとっては妻にまつわる感情がそこにあるのではないだろうか。だからこれは立派なエディプス状況である。Cは母親(妻)を兄や父から奪うライバルのように体験されていたのかもしれない。この辺りは、すべて仮説であり、今後どのような話が現れるかで訂正される類のものであるが、一つの仮説としてTは押さえておきたいところである。 

(28)Tはそれを四者関係として捉えなおしている。これは、父、母、兄(父親類似)、Cの四者なのか、父、父親類似、兄、Cの四者なのかが不明確である。 

(29)Cは四者関係であることを認めているが、どちらの関係であったかはやはり明確には述べない。TもCもその辺りははっきり見えていなかったのだろうと思われる。話の内容は、Cが兄を抜いていくというものだ。紆余曲折しながら、彼は高校三年生の時に、兄の記録を抜いたと語る。 

(30)兄に勝ったという点を押さえるTの応答。 

(31)それで勢いを得たCは他のあらゆる点で兄を追い抜こうと躍起になる。 

(32)Tの応答。「あらゆることで追い抜かなければならなかった」という点を押さえている。この当時、Cは初めて兄に復讐を遂げたわけである。それはあらゆることで勝たなければという強迫的な色彩を帯びるものであったことが分かる。 

(33)彼はそうしなければ自分に価値がないように体験していたことが分かる。(29)で、Cはまず父親類似の対象である兄との同一化を達成しようとしたことが語られているが、同一化以上のものを感じる。これは一方で、彼の人生から兄を締め出す作業であったのかもしれない。しかし、そこで壁にぶち当たることになる。 

(34)Tの応答。Cのその話を続けるように促している。 

(35)Cはいろんな面で兄を追い抜いたり、互角になったりして、彼が長年望んでいた状況を手に入れるわけである。望んでいる状況とは、彼もまた家族の期待の星になるというものである。兄がそうであるように。それを達成した時、それより先がもうないのだということを思い知らされたわけである。彼はこの時自分のこれまでの人生を真剣に振り返ったことだろう。彼の中でどうしようもない絶望感や虚無感が生まれてしまっている。これは人生の目標を失ったというようなものではなく、もはや同一視する対象を失ったこと、理想我の喪失でもあり、Cにとっては自己の大きな一部がまさに失われてしまったような体験だったのではないかと思われる。今回は述べられていないが、彼が後に受けることになるカウンセリング、彼の最初のカウンセリング体験において、彼の出会ったカウンセラーは、まさに彼の欠けている部分を補ってくれる存在だったのではないかと思う。 

(36)TはCの体験を要約して示す。要約して示し返すことが間違っているとは言えないが、ここでは「あなたは自分の人生が何だったのだろうと思われてきたのですね」でも「あなたは自分自身を生きていなかったということに気がついて愕然としたのですね」といった応答でも十分である。つまり、Cが彼にとって肝心な体験を語り始めているので、その語りを維持するような働きかけで構わないのだ。 

(37)その後、Cは調子を崩していき、彼にとって苦しい時代に突入していく。その契機となった夢が語られる。この夢について、いろいろ考えてみることができる。彼は機関銃で撃たれる存在である。「俺たちに明日はない」のボニーとクライドのように、社会から排斥された犯罪者のように自己を体験していたかもしれない。彼は、とにかくそうやって、罰せられる存在になっていたわけだ。それも普通の罰せられ方では足りないのである。全身が弾丸で埋め尽くされる程に撃たれなければならないほどの悪なのである。彼は銃殺されるべき悪人であり、人間であってはいけないということなのだ。この悪は何によってもたらされたのか。これまでの流れで言えば、彼が兄に打ち克ち、家族の期待の星になってから生まれたものであるようだ。つまり、彼はそのような存在になってはいけなかったのである。もちろん、それは周囲の無意識に在る感情である。彼は視線を恐れるようになっていく。幻聴体験もその後でするようになる。この目や声は常に彼の罪を告発する人間のものである。彼はこうして罪人の生を生きるようになる。彼は罰せられ、告発され、人間的なつながりの中から排除され、流浪しなければならなくなる。彼はまさにそれをやったのだと言える。彼にはもはや安住の地がどこにもないかのように体験されていたのだろうと思われる。 

(38)Tの応答。「生きた心地がしなかった」というのは、Cが当時体験していたことを確かに表現しているだろうと思う。あるいは、「あなたは自分がとてつもなく悪い人間に堕してしまったように思われたのですね」と言っても良かっただろうと思う。彼がうまく述べられない部分は、自分が悪に染まったという感情であっただろうと思われるからである。 

(39)彼は酒に救いを見出し、酒に溺れていく。この飲酒は、Cが自らを積極的に非人間化する試みでもあったことが窺われる。 

(40)ここで時間が来て、終了となる。もっとこのテーマを掘り下げたいところである。「あなたが間違ったことをしたとは思えない」というのは、Tの率直な感想であるが、Cの自責感情を和らげようという試みである。「あなたはその苦しい時代を確かに生き抜いたのですね」という押さえ方でも良かっただろうと思う。なぜなら、この後、Cの復活のエピソードが続くはずだからである。 

 

 とても内容的に充実した対話編だったと思う。 

 内面がいっぱいになって、食欲不振になっているが、その時、Cの中を占めているのは自責感情であるということが窺われる。 

 (18)まではCが感情を的確に把握することの困難さが語られる。(19)から家族のこと、兄と父にまつわる話に広がっていく。全体二部構成となっている。 

 後半の話から生まれる仮説は次のものである。兄は父親と同一化している。父親の無意識にあるものを兄が具現化している。父親にとって、Cはタブーだったようである。それは妻を独占する存在として、父には受け入れがたかったのかもしれない。Cが生きていくためには父親類似に認められ、それを越えなければならなかったのだが、それを達成した途端に、彼は犯罪人に堕してしまう。それを達成することは、父や兄からしてもタブーだったであろうと思われるが、Cにとってもタブーだったのではないかと思われる。彼の自責感情は、自分が愛されないという感じから来るのではなく、彼が家族の期待の星になってしまったということから来ているものでもあることが分かる。彼は自分がそのようなポジションに就く人間であってはいけないのだと信じてきたかのようである。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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