<自己対話編―9> 平成24年6月9日 

 

<対話> 

C:今日は遅刻してしまった。9時には事務所に到着できるように家を出るのだけれど、今日は家を出て、駅に向かって歩いている途中で、部屋の窓を開けたままだったのを思い出した。戻ろうかどうしよかで迷ったのだけれど、結局、戻って、窓を締めて、それからまた駅に向かった。それで電車を一本乗り遅れてしまった。それだけじゃない。高槻に到着してから、テープを切らしていたこと、つり銭の用意をしていなかったことを思い出して、事務所に入る前にテープを買い、銀行に行ってお金を用意して、それから事務所入りだ。30分の遅刻だった。どうもよくない。こういう小さなミス、ど忘れが続いている。こういうことが生じるのは、僕が内面のことに係りきりになっていて、外側のことが疎かになってしまうからだ。僕はよくそういうことを経験してしまうんだ。(1) 

T:それだけ今は内面に目が向いている。(2) 

C:そう。昨夜も夢を見た。その夢は僕が仕事に行くというものだ。その仕事がすごく遠くですることになっていた。関東とかそっちの方だった。それでも行かなくてはいけないと思った。最初は親が車に乗せて、途中まで送ってくれた。それからバスに乗るのだけれど、細長いバスで、一人席が縦に並んでいるだけなんだ。僕が席に着く。すぐ両隣は窓なんだ。なんだかカプセルに入れられたような感覚を覚えた。それでバスに乗っていると、どこかの駅みたいな所に着いた。そこから電車に乗り換えることになっていたようだ。僕は駅に向かう。一緒に仕事をすることになる人たちが一緒だった。女性と一緒に階段を上がっている。実際は階段を上り下りしたように思う。彼女が何段か先を歩いている。僕は一歩後からついて行くような感じだったな。その後、どういうことになったのか分からない。そこまでしか覚えていないんだ。(3) 

T:その夢についてどのように思う。(4) 

C:仕事をするまで非常に遠いのだなという感じがした。この仕事は現実の仕事という意味ではないのだけれど、何かの作業のようなものだと理解している。そこにまだ到着していないのだなという感じだ。仕事場に着いてもいない、そこに向かう途中だという感じだな。最初は親が送ってくれた、次は独りでバスにのっている、次に女性の後に従うという流れも気になるところだけれど、僕にははっきり思い浮かぶことがなかった。この女性が現れたということが、僕には救いのように思われた。何か内的対象が僕を先導してくれているような感じがして、不思議に聞こえるかもしれないけれど、彼女の後をついていったら大丈夫だという安心感みたいなのが夢ではあったんだ。だから僕はこの女性に任せる必要があるなと感じている。そして、この女性ということなんだけれど、当然、未知の女性だ。僕の内的な対象かもしれないし、アニマかもしれないし、僕の中の女性の部分という意味かもしれないし、何かということははっきり言えないのだけれど、そういう女性要素が僕を導いてくれるのだろうなという感じだけはしている。(5) 

T:仕事場まではまだ距離があるような感じでしたか。(6) 

C:それはよく分からないけれど、バス停まで行って、バスに乗って、駅に着いて、電車に乗り換えて、その先はなかったような感じだ。この電車にのれば仕事場に到着するような雰囲気があった。だから、仕事場まではけっこう近づいているのかもしれない。(7) 

T:その先には何がありそうに思う。(8) 

C:何だろうね。仕事だということになっているから、何かの作業が行われるのだろうということは感じる。どんな作業になるのかは分からない。でも、もしかしたら、間もなくそれに取り掛かる時期がくるのかもしれないと思うと、何だか待ち遠しいようにも思う。そうなると、僕の中で何かがさらに発展していくのではないかと思う。あるいはしんどいことが新たに生じるかもしれないけれど、しんどいことは避けないつもりだ。(9) 

T:苦しみも受け入れる。(10) 

C:どんなことでも苦しい時期があるというのを僕は経験的に知っているからなんだ。スランプに陥ることもある。でも、そういう時期を超えると大きく発展するものなんだ。僕はこれをいつか考察して書いてみたいと思っている。なぜ人はスランプに陥るのかというテーマなんだ。スランプはその人の何かを調整してくれる期間なんだって、僕は思っている。だから、スランプに陥ることは僕には好ましいことなんだ。(11) 

T:それもまたあなたの何かを変えてくれるだろうということ。(12) 

C:そう、僕は自分が変わっていくことに興味がある。僕は自分を知りたい。自分を知るというのは、僕が何になっていくかを知ることなんだ。自己理解とはそういうものだと思う。自分が何になって、これから何になって行くかを知ることなんだと思う。(13) 

T:それを知って行くことが必要だと感じている。(14) 

C:そう、そうでなければ、人生は成り行き任せになるんじゃないかって思う。それでいいという人に無理に勧めたりはしないけれど、何になっていくかを理解せずに、ただ何かになっていたというだけでは人生はつまらんものだと思うね。クライアントたちをここで思い出したよ。何人かのクライアントのことが脳裏に浮かんだ。彼らは言ってみれば気がついたら心の病になっていたっていうことを言っていたんだ。それまでいかに自分自身と接触することの少なかった人たちだったかということが分かるんだ。僕はそれほど不幸な話はないと思っている。人は自分自身に触れるべきなんだ。自分を少しでも理解していくことを目指すべきなんだ。(15) 

T:あなたは自分に何かそういう経験があるので、そのように考えるのでしょうね。(16) 

C:そう、僕も気がつけば、幻聴を聞き、人の視線を恐れ、アル中になっていったんだ。空想に耽り、自分自身との接触を一切断って生きていたように思う。・・・(タバコを一服)・・・(17) 

T:苦しい時にはタバコが欲しくなる?(18) 

C:安定剤みたいなものだ。イライラしたり、考え事をしたり、行き詰ったり、煮詰まったりした時には無性にタバコが欲しくなる。(19) 

T:気分が鎮まる?(20) 

C:と言うよりも、何かに対して距離が取れるような感じがする。(21) 

T:それに対して距離を取る必要があるから、それをする。(22) 

C:距離を取らないと、少ししんどいのだろうな。それにその物事にどっぷり浸かっていると、物事がよく見えなくなってしまうものなんだ。だから距離を空けて見ることで、何かに気づいたり、発見したりすることもある。だから、こういう作業は必要なことなんだ。できれば、タバコなしでそういうことができればいいなという気持ちはあるんだけどね。(23) 

T:それで今、苦しい?(24) 

C:苦しい時代のことに触れるのは少し抵抗感がある。この抵抗感というのは、それに触れることや語ることに対してあるんじゃないんだ。この時代のことはこれまでカウンセラーと話し合ってきた歴史がある。I先生にもそれを話した。でも、いま感じているのは、それを語るということではなくて、これをサイトに掲載するということで葛藤しているんだ。(25) 

T:人に知られてしまうということ?(26) 

C:そう、そうして読んだ人がどこかでまたこそこそと書きまくるんじゃないかとか、そういうことを妙に心配している。読んで、読み流してくれるのであればそれでいいんだけど。(27) 

T:そうしてくれないんじゃないかって思う。(28) 

C:人のことをとやかく言う連中が非常に多くなったという気がしているのでね。そういう連中はなんだかんだと掲示板なんかで書き込むかもしれないな。もちろん、みんながみんなそうするとは言わないけれど、僕のことを良く思っていない人がいることも確かだし、恨んでいる人もいるんだ。僕の中では、彼らとは縁が切れているのだけれど、執着的な人はいつまでもそれを過去のことにしないで、現在性を保ったまま、恨み続けるものだ。ウンザリするね。(29) 

T:そうしてこそこそとあなたのこと言うだろうと。そういうことをいつから嫌がるようになったのだろう。(30) 

C:さあ、家族や親せきはそういう人たちばかりだったなという感じがする。人のことなんか放っておいてくれればいいのに、いちいち関わってくる。いや、関わってくるのはまだましだ。でも、何て言うのか、無神経に関わられるのは神経に障るんだ。うまく言えないんだけれど。(31) 

T:普通に興味を持って接してくれているという感じではないのですね。(32) 

C:そう、何て言うのか、晒し者にされているような感覚を覚えたことがよくあった。隠れていたいのに、むやみやたらと照明を当てられるような感じだ。そして、僕を隠れられないようにする。不意に僕は晒し者になる。そうだ、興味を持ってというよりも、好奇の目で見られているという感じかもしれない。その方が僕の体験したことにより近い感じがする。(33) 

T:あたかも見世物のように、あなたのことを見る。(34) 

C:それも隠しておきたいと思うようなことを、平気で曝け出すんだ。彼らに人の心が分かるなんて、僕には少しも思えないんだ。だから今でも、僕は親戚と会うのがイヤなんだ。以前ほど嫌悪しているわけでもないけれど、やはり苦手意識はある。自分を隠しておきたいという気持ちは以前ほどではなくなっているのだけれど、どうしても昔のイメージや印象が残っているので、苦手だと思っている。(35) 

T:以前のあなたはそれだけ自分を隠しておく必要があったのですね。(36) 

C:自分のことを知られるのが嫌だった。小学生の頃、僕はだんまり屋だった。自分のことは言いたくないし、公表されたくもなかった。でも、先生というものは、それを強制的にやるものなんだ。小学五年生くらいだっただろうか、僕たちは毎日日記を書いて、それを担任の先生に提出していた。先生がそういうことを僕たちにやらせるのだ。僕は日記を書く。ある時、先生が僕の日記をみんなの前で読んだ。辛かったね。もちろん、これは僕だけが体験したことではない。毎日、先生は生徒の日記を紹介したりするんだ。僕は自分の書いたものがそういう形で取り上げられるのがいやだった。(37) 

T:秘密にしておきたいことでも、秘密にしてくれない。(38) 

C:それなら最初から書かなければいいじゃないかと思うかもしれない。確かに、それほど重たいテーマは書かなかった。日常の何気ないことなんかを書くことが多かったように記憶している。でも、どんなことであれ、それをみんなの前で公表されるということが僕には耐えられないのだ。公表された途端に、みんなの視線が僕に突き刺さるように集中するんだ。あの時の居心地のなさといったらなかったね。物凄く恥ずかしかったし、穴があったら入りたいくらいの思いだった。先生が僕の日記を読む。それが読み終わるまでの間、僕がどんな思いでいたことか、誰も想像できなかっただろうと思う。僕以外の人の日記が読まれるのも、本当は、僕はいい気持ちではなかった。密かに読まれたくないと思っていた人もいるかもしれないのに。(39) 

T:本当に無神経だなということ。(40) 

C:どうしてそういうことができるのか、僕には不思議だ。僕が先生の立場なら、そういうことはしない。日記を通して、その子と僕の秘密にしておきたい。共有された秘密として保っておきたいって思う。(41) 

T:それをすることが子供を守ることになるんですね。(42) 

C:そうなんだ。なんで不必要に子供を苦しめるのかなとも思うね。こうして子供はダメになっていくのだろうなって、今でも思う。ラディゲは天才児だと評判になった時、彼は「天才じゃない子供がいるだろうか」と反論しているのだけれど、僕はラディゲに賛同するね。僕も、天才じゃない子供を見たことがない。みんな天才だったんだ。それが教育などという下らないことで、才能が潰されていくんだ。僕は本当にそう思うね。(43) 

T:子供の領域に平気で踏み込んで、内面を暴露して、子供を潰してしまう。(44) 

C:自我境界を打ち破ってまでそういうことをするのだから、僕はたまらなく嫌だったね。ここまでは僕の領域。これ以上は踏み込んでほしくないし、この中にあるものを勝手に表沙汰にされたくもないし、この境界線は守って欲しいっていう感じだった。こういうのは大人になってから言語化できているわけだけれど、当時は怖いとか不快とかいう感じを強く体験していた。(45) 

T:もう少しその感じを言い表すとしたら、どんな言葉になるのだろう。(46) 

C:「ああ、それを言っちゃうの」っていう感じかな。衝撃を受けて、それから悲しくなってくる。(47) 

T:裏切られたような感じ?(48) 

C:そういうのもあるかもしれない。信用していたのに裏切られたという部分もある。そして、「なんでそんなことをするの」っていう、これは怒りの感情かな、そういうのが込み上げてくる。その後で、僕は自分が非常に無力で、ダメな人間に思えてくるんだ。(49) 

T:「止めて」とも言えない。(50) 

C:ただ、それが読み終わるまで待っていなければならない。僕にはそこで何かできるとは思えなかった。今から考えたら、「僕の日記は読んで欲しくない」と訴えることもできる。でも、当時はそれをするわけにはいかなかったし、そういうことをしていいとも思えなかった。もし、そういうことをしたら、さらに問題が大きくなって、もっと大変なことが起きるのではないかって、そういう心配をしていた。(51) 

T:自己主張するよりかは、ガマンするほうがましだった。(52) 

C:イヤな思いは一時的なもので、先生が僕の日記を読み終わるまでの時間を耐えればいいんだ。もし、そこで「止めて」なんて言ったとしたら、そのことで後々まで僕のことが言われるかもしれないと思っていた。(53) 

T:それは後々まで議論になるほどの大事件を起こしたかのように思われたのですね。(54) 

C:僕の中ではそういう感じがしていた。僕が何かを言うのは大事件だ。小学3年生までは、言わないというよりも、言えなくなるということの方が多かった。(55) 

T:どういうこと?(56) 

C:例えば、授業中、先生が僕を名指す。僕は答えようとする。でも、その瞬間、声が出なくなるのだ。僕の意志に反して、声が出せなくなるんだ。先生たちは答えない僕を見て、問題が難しかったのかなとか、勝手なことを思い込んでいる。そうではないのだ。何も言えなくなるんだ。声が出せない感じがするんだ。20歳頃、フロイトの「精神分析入門」を読んだ。僕はすごく感銘を受けた。あの頃の突然声が出なくなるという感じが、ヒステリーという病気であるということを知って、僕は安心したんだ。これは立派な症状であり、こういう症状が記載されるということは、そういう症状を持つ人がとてもたくさんいるのだろうと思えたからなんだ。そして、そういう症状の治療に取り組んでいる人たちがいるというのが、当時の僕にはすごい救いになった。この体験は現在の僕にそのままつながっているんだ。だから、よく質問されるんだけど、なぜカウンセラーになったのですかと。僕はそれに応えることができないのだ。それに答えようとすれば、僕が生まれてからのことをすべて話していかなければならなくなるからなんだ。過去のことのあらゆることが、現在につながっているんだ。だから、これこれこういう理由でなりましたと言える類の質問ではないんだ。少なくとも、僕はそういう形ではとても答えられないんだ。(57) 

T:では、そろそろ時間になったので、ここまでにしておきましょう。(58) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

 

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