<自己対話編―6> 平成24年6月6日 

 

<対話> 

C:旅行から帰ってきて、梅田で少しご飯を食べてから帰宅したのだけれど、非常に疲れていて一休みしてから、これをやっている。最初は一日飛ばそうかなとも考えたのだけれど、様子を見て書いてみようと思った。日付は7日になろうとしているけれど、今日の日付で書く。細かい所にあまり拘泥しなくてもよいのではないかと思っている。と言うよりも、細かい所に注意するほど、気分が引き締められない。(1) 

T:とても疲れている。何がそんなに疲れるのだろう。(2) 

C:旅行そのものがあまり好きではないかもしれない。独りでブラブラするのは好きなんだけど、連れがいるとどうも神経を使ってしまうようだ。特にYさんだとね。Yさんその人はイヤではないのだけれど、時々、一緒にいて疲れることもある。彼女が愉しそうにしていないのが僕には不快なんだ。無理矢理連れ回しているというような感覚に襲われる。彼女が好きなのは人工のものだ、建築とか庭園とか、食器であるとか、あるいは絵画やデザインなんかに興味を持っている。僕はどちらかと言うと、それらはあまり興味がない。絵画はまだいい。絵画はまだ画家の内面が現れる。建築になると、あまりそれが感じられないのだ。建築は利用されるものだから、そこに利用者の視点も入り込んでしまう。だからどうしても建築は芸術と言う感じが僕にはしないのだ。漆器や茶器なんかも同じである。彼女と喫茶店に入るとする。一々彼女がコップのメーカーを調べたりするので、時々イヤになるね。あんまりやると店の人に失礼じゃないかって気がするんだ。(3) 

T:そこは彼女に賛同できない感じがしている。(4) 

C:何て言うのか、詮索しているように僕は感じてしまうのだ。それで店の人の目線を気にしてしまうのだ。ひどい言い方をすれば、そんなことをするのは一緒にいる僕が恥ずかしいから止めて欲しいということなんだ。そう、僕が恥ずかしいと体験しているだけであり、僕のためにそういうことをしないで欲しいって言っているようなものなんだ。これはもちろん自分勝手な言い分だという気が一方ではしている。他方では、マナーの問題をどこかで感じてしまっているのだ。(5) 

T:半分は自分のためにそうして欲しいということなのだね。(6) 

C:多分、そちらが本音なのだろうという気がしている。彼女が自分の思い通りに振る舞ってくれないからって、僕自身が不快に思っているようなものだ。そこは僕が子供っぽいと自分でも感じているところなんだ。(7) 

T:そういう自分が子供っぽいと感じる。子供っぽいとはどういうこと?(8) 

C:つまり、自分の価値感に縛られ過ぎているっていうことなんだ。子供には自分とは違った価値感を認めるのが困難なようにね。僕は彼女に対してもっとおおらかになりたいとは思っている。思っているだけで何にもついてくるものがないのだけれど、気持ちだけはある。でも、そんなにおおらかになれない時がある。(9) 

T:そういう時の自分をどう思う?(10) 

C:ダメだなと思ってしまう。まだ大人になれていないっていう気分になるのだ。彼女と一緒に歩いている。彼女は何も言わずについて来る。それはまだいい。どこかを観光する。見ると、彼女が愉しそうではないのだ。少なくとも僕には愉しんでいないように見えるんだ。つまらなさそうに見えるんだ。それがイヤなんだ。この旅行のために、僕もお金を出している。厳しい経済状況の中から旅行費を捻出した。時間だってそうだ。他の用事で仕事を休む、それも休まなければならないという用事であれば休むことに罪悪感を覚えないのだけれど、遊びで休むということは、もうしたくないのだ。前の女性友達だったMさんと交際していた時は、月に一回だけデートのために僕は仕事を休みにしていた。当時、それも仕方がないことだと思っていた。彼女との関係を深めるためにも、そういう日が必要だったし、それが僕自身の将来にも関係してくることだと当時は真剣に思っていたから、だから仕事を一日休業することも受け入れていた。今はそれをしたくないのだ。本当を言えば、一日も休みたくないのだ。(11) 

T:そういう自分の犠牲を払ってまでして旅行に行ったということでしたね。(12) 

C:そうだ。この旅行は、彼女が初めて自己主張したということで、僕には特別だった。彼女に、自分が主張すれば、その主張したことのいくつかは現実になるのだ、周囲の人がそれに答えようとしてくれるのだということを知って欲しかった。だから、僕としては何としてでもこれを実現しなければという気持ちになっていた。(13) 

T:彼女のためにそうしたのですね。(14) 

C:これを契機に、一つでも彼女の自己主張が増えていけばいいと願っていたからなんだ。だから実現しさえすれば、それはそれでいいということでもあるのだけど。(15) 

T:でも、自分は神経を使い、楽しめていない。(16) 

C:確かに僕が愉しめていないのであれば、彼女も楽しめないだろうと思う。もしかすると彼女の方が僕にすごく気を遣っていたのかもしれない。僕は僕ですごく彼女に気を遣っていたつもりではあるのだけれど。(17) 

T:お互いに気を遣っていた感じがする?(18) 

C:うん。和歌山の白浜に行ってきたのだけれど、僕は海と三段壁が良かった。白浜はきれいだった。海は前日の雨で、手前の方は濁っていたけれど、遠くの方の海はきれいな青緑色で、解放感があった。砂浜もさらさらで歩いていて気持ちがいい。裸足で歩いて、砂の感触も楽しんだ。風が少々きつかったので、波が多かった。その波に足を浚われて遊んだりした。自然の風景が僕は好きなのだ。山に登るのも自然に入り込む感覚が得られていたからなんだ。三段壁の方は、自然に作り上げられた断崖絶壁で、壮観だった。彼女はあまり楽しそうになかった。日差しがきつくて、暑かったということもあるだろう。彼女には酷だったのかもしれない。僕一人ではしゃいでいたような気がする。あの断崖や海を眺めるだけで、僕は半日でも過ごせそうに思う。彼女はそれだと退屈するだろうとは思うけれど。(19) 

T:彼女を退屈させてはいけない?(20) 

C:どこかそういう観念があるな。強迫観念というべきか。それが彼女の自然であるなら、僕は彼女のその自然を許容するべきなのだろうと思う。それよりも彼女は「とれとれビレッジ」の方が好きなのだ。「とれとれビレッジ」というのは、ドーム型の宿泊施設で、彼女が行ってみたいと言ったのはそっちの方だった。そこで宿泊すれば、彼女としては望みが達成されたことになるのだけど、僕がせっかく行くのだから周辺も見ておこうと提案したのだ。だから彼女からすれば、二日目は僕に合わせなければならなかったのかもしれないな。(21) 

T:その辺りで自分が彼女を振り回したような感じがある?(22) 

C:うん。彼女は行ってみたい所とかをあまり言わなかったな。せいぜい足湯くらいだ。おまけに僕が風呂嫌いときている。一日目の夕方に温泉に入った。温泉と言ったって、男女で行けば別行動になるのは目に見えている。だからつまらんのだ。結局、お互い一人で風呂に入ることになるのだ。お風呂が好きな人だったらそれでもいいのだろうけれど、生憎、僕はそれほど風呂が好きではないときている。普段から風呂に入らないのだ。大半はシャワーだけなのだ。湯船にゆっくり浸かるということをほとんどしないのだ。それはどうも子供時代の水恐怖症の名残りなのか、あまり風呂とか、プールとか、海水浴とかいうのは好きではないのだ。それはさておき、僕は風呂に入り、いくつかの湯船に浸かり、露天風呂を人生で初めて経験して、それで出てきた。時間はせいぜい40分程度だ。彼女はたっぷり一時間は入っていた。恐らく、彼女にしてみれば、一時間では少なかったのではないかと思う。(23) 

T:彼女に対して申し訳ない?(24) 

C:彼女にも慌てさせたんじゃないかという気になっている。(25) 

T:彼女はそのことを承諾している?(26) 

C:一応は。でも考えるべきところがどこにあるかが見えてきたような感じがする。彼女はこういう僕と一緒に行くということを了承した上で行っているはずなんだ。だからいちいち僕が罪悪感を覚えることはないのではないかということなんだ。冷静に考えると、僕が罪悪感を覚える必要はそれほどないのでもないかとも思う。それなのに、僕は何か罪悪感を体験している。彼女に対してすごく神経を使っている。申し訳ないというような気持ちにも襲われている。もしかすれば、この罪悪感は彼女その人とはほとんど関係がないのかもしれない。(27) 

T:それは大きな発見ですね。(28) 

C:もし、僕が僕の個人的な事柄で罪悪感を抱いていて、それを彼女を通して表現しているのであれば、僕の中にあるものこそ、僕が知っていかなければならないものであるということになる。こんな言い方が妥当であるかどうかは分からないけれど、僕が自分の罪悪感を表現するために、僕は彼女を利用しているということになるのではないだろうか。そのことは何を意味しているだろう。(29) 

T:誰かを利用しなければ、表に出てこない罪悪感なんですね。(30) 

C:そうかもしれない。僕の中にあるのだけれど、僕一人ではそれに触れることが困難なのかもしれない。誰かを通してでないと、それに触れることができないのかもしれない。こんなことがあったのを思い出した。一日目の夕飯時、つまり昨日の夕食の時のことだ。バイキング形式で、僕たちは銘々好きなものを取って来て食べている。彼女が取りに席を立った時、僕は一人食卓に残って食べている。既に何回かこのような場面を経験している。でも、ある時、彼女が取りに行って、席を外している間に、僕は無性に怒りが込み上げてきたのを体験したんだ。なぜか中学時代の苛められた時の場面が脳裏に浮かんでいた。滅茶苦茶にしたいような気分に襲われた。何とか自分を抑えた。彼女が戻ってきた時、まだ完全には治まっていなかったけれど、なんとか自制した。その後、僕はそのことがすごく気になっていた。でも、それは後で独りになった時に振り返ろうと思っていた。宿泊内は愉しく過ごそうと決めていたからだ。もう一つ思い出したことがある。その晩、僕は彼女とベッドを並べて寝た。性交渉はなしだ。僕はそれを初めから決めていた。その晩のことだ。僕は夢を見た。夢の中で僕は働いていた。僕はコンビニかパン屋の店員だった。カップルが来てパンを買う。僕がそれを袋に詰めている。一つはうまく入ったのだけど、もう一つがうまく袋に入らない。僕は女性に詫びた。うまく入らなかった方のパンがどうして女性の方のパンだと分かったのか、自分でも不思議なんだけど、夢の中の女性は涙を流しながら「そんなに自分を責めなくてもいいのに」と言った。その場面が特に印象的だった。翌朝、朝食バイキングで、僕はなぜかパンを取ってしまった。普段の朝食はご飯なのに、なぜか自分でもよく分からないままパンを取ってしまったのだ。後から考えると、これは夢の影響だって気がついた。この三つの場面を今思い出したんだ。夕食時の怒り、夢、翌朝のパン食という三つのエピソードで、僕にはこれらが一連のものだという気がしている。(31) 

T:あなた自身は今ではどのように解釈しているだろうか?(32) 

C:イジメの場面というのは、自分が言い返せないことに対する怒りであり、無力に従わざるを得ない屈辱感のようなものだ。夕食の場面は、何かそれを刺激するものだったのだろうと思う。僕は自分を責めていたかもしれない。夢の女性はそうやって自分を責めてしまう僕に対して、自分を責めないでと言ってくれている。翌朝のパン食は、彼女の言葉を取り入れようとしていたのかもしれない。夢ではパンがきれいにうまく入らないというものだったから、僕は自分の中にパンを入れることで補償しようとしたのかもしれない。こういうのをまったく無意識的にやってしまうから人間とは面白いものだといつも思う。(33) 

T自分を責めているイメージというのは、どういうことに刺激されて出てきたのだと思いますか?(34) 

C:一つは相手に無条件に従っているという感覚だと思う。彼女に従っているのだ。しかも今回の旅行は無条件に彼女に従っている。言い方はきついかもしれないが、最初の内、そういう感覚があった。ビレッジは彼女が言うまで僕は知らなかった。僕一人だったら、そういう所に泊まりたいとは思わなかっただろうと思う。だから、この部分は彼女に合わせたことになるのだ。だから二日目は僕が自分の見たいと思う所を取り入れようとしたのかもしれない。幾分、彼女の意向を無視してまでも主張してしまったのかもしれない。夢を通じて、無条件に相手に従うということが、自分を責めることになっているのではないかというつながりを見たような思いがする。(35) 

T:むしろ、相手に言い返せないから、自己主張できないから、自分を責めざるを得ないのではないだろうか。(36) 

C:そうかもしれない。僕が自分が無力であるが故に自分を責めなくてはならなくなっていたのかもしれない。中学時代も昨日も。自分を責めることで、自分にはまだそれだけの力や影響力があるのだということを、自分に証明したかったのかもしれない。Yさんにも同じようなところがあるかもしれない。これは今ふと思いついたことだ。お互いにそういう傾向を有し合っているのかもしれない。だから一方が主張して、他方がそれに従う式の関係になってしまうのかもしれない。どちらが主張して、どちらが従うかという、その役割は時と場合に応じて交代しているけれど、基本的な図式は変わっていないかもしれない。(37) 

T:そして、そういう関係を築くということはあなたにとってはどういうことなのだろう?(38) 

C:望ましくないことだって思っている。お互いに主張し合って、決め合っていく、そういう関係を僕は望んでいる。意識的にはそう思っている。恐らく、それは矛盾していることだろうと思う。お互いに主張し合う関係であるなら、お互いに自己を撲滅することなく、お互いに納得できるまで協議できる関係を望んでいると一方では言っておきながら、Yさんのように、あきらかにそれをするのが困難だというタイプの女性と交際しているのだから。望んでいることとは裏腹のことをしているような気持ちになる。(39) 

T:矛盾を感じている。矛盾のあるところにはあなたの抱える何か苦しいことがあるのですね。(40) 

C:もし、お互いに自分の意見を言い合って、それでケンカになるのがイヤだという感じがしている。(41) 

T:好きな人とはケンカになりたくないのですね。(42) 

C:だから一方が常に折れるという関係でないといられないのかもしれない。ケンカになったとしたら、僕は相手にとことん付き合うよりかは、あっさり見捨ててしまうかもしれない。僕は、自分にそういう体験がないので何とも言えないのだけれど、そこまで根気よくケンカに付き合えるかどうか、自分でも分からないし、自信があるわけでもない。(43) 

T:そろそろ時間が近づいている。この旅行はいろいろあなたに自分のことを気づかせてくれるようなテーマにあふれているように思う。だから、今後も振り返ってみたいと思うのだけど、いかがだろうか。(44) 

C:僕もそれが望ましいと思っている。日常から離れた体験だったので、日常生活では見過ごしてしまっているようなことも見えてくるかもしれないと思う。(45) 

T:では、今日はここまでにしておきましょう。(46) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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