<Cとしての感想>
今回はこれで良かったという感じが一方ではしているけれど、他方ではもっと違った展開になって欲しかったという希望もある。自分の中で何かが動き始めているような感覚はあるのに、それは明確にされることなく終わってしまったという感じがしている。それが残念なことのように思われている。二人の女性のエピソードが語られる。それはどうしても語る必要のある事柄だったのだろうかという気がしている。終わってからそういう気分になった。何かそこで大事な部分から離れていってしまったように思われている。
<解説>
(1)働いているという夢、それからここのところイライラするということが語られている。このイライラに対して、Cはそれが自分の内面に属するものの何かが動き始めたことと関連づけている。
(2)Tの応答。夢で示された事柄と、現実にCが体験しているイライラや焦燥感とのつながりに焦点を当てようとしている。
(3)Cは自分の焦燥感を語り始めている。居ても立ってもいられないような、すぐにでも何かはじめたいような感じとしてそれを表現している。
(4)TはCの話を明確化している。
(5)Cの困難が語られている。それは動き出したいのに方向が定まらない感じとして表現されている。そういう時に自分がセーブできない感じというのが、Cの体験している困難である。
(6)TはCの体験を応答している。もう少し問題点に焦点を当てるなら、「あなたは何かを始めたいという気持ちに抗えず、あれこれ着手するけれど、それは自分がセーブできていないように体験してしまい、それが辛いことの一つなんですね」と応答することもできる。
(7)自分の体験をCは自分がもどかしいと表現している。Cが体験している感情が一つ明確化されたことになる。この後、Cは旅行に行くということになっている。それもまた今のCには相応しくないこととして体験されている。
(8)Tの応答は、(7)の発言から外れて、この対話編と今のCの状態との関連に焦点を当てている。これはCとTが同一人物であるために生じることだが、Cは旅行やYさんのことに話題が移るのを避けようとする傾向がある。Cが避ける代わりに、Tが避けることになってしまっている。「とても旅行というような気分ではないんですね」といった対応でここは流れていくだろうと思われる。
(9)CはTの問いかけに答える。内面を見つめていくと、心的なエネルギーが動き始めるとCは語る。そして、そういう体験をこれまでもしてきたのだということが窺われる。
(10)Cの感情を明確化している。そういうエネルギーが感じられるのですねということを言おうとしているのだろう。
(11)Cはここでエネルギーが活動し始めることの負の点を述べている。そういうエネルギーが活動し始めることは望ましいことではあるが、腹の立つ場面、それもCが忘れているような場面を否応なしに思い出すということである。これは意識が活動を始めるので、連想や記憶想起が活発になっていることの証拠である。
(12)Cが思い出すという腹立たしい場面を話すようにTは促している。
(13)Tの催促に応じて、Cは前夜の場面を述べる。帰宅途中にネットで彼のことを中傷する書き手に対しての怒りが込み上げてきている。後半ではかなり露骨に怒りを表明している。Cがこういう感情を述べることができるのは望ましいことである。彼は自分が虐げられることに対して反抗しているからである。これは彼が体験してきたことに対しての反発ともなる。
(14)TはCの怒りについていこうとしている。TはCの怒りを明確化し、返答している。
(15)Cは怒りを表明していたが、ここで抵抗感が働いているようだ。彼は自分の方がいまは他罰的になっているから、そうして怒りを覚えてしまうのだという話に持っていこうとする。(13)で怒りを表現したことに対して、それを防衛し、更に怒りを表明してしまわないようにしているわけだ。
(16)TはCが現在していることを言い換えている。しかし、ここはCの防衛に焦点をあてるべきであった。「あなたは自分が怒りを感じ、表明すると、何か良くないことをしているような感じがするのですね」とか、「あなたが怒りを感じ、それを表明すると、自分が他罰的になってしまっているように感じて、それではよくないと思い、怒りを撤退するのですね」といった応答の方が望ましいだろう。そもそも(14)の時点で、TはCの表現を促進するような働きかけをしておくことが良かったと思われる。
(17)彼がなぜ怒りを撤退しなければならなかったかが語られている。彼は自分が攻撃される側の人間だったから、他人に対してそれはしたくないと言う。それをするのは報復を意味し、人格の未熟さを示すものだと彼は述べている。
(18)ここでTは「正当な怒りでさえ、あなたには報復と感じられてしまうのですね」と応答する方が良かったと思う。つまり、Cの体験している怒りの正当性を押さえておきたいところである。ところがTはさらに探求的な問いかけをしている。こういう問いは、Cを感情面ではなく、思考面に向けさせてしまう。
(19)しかし、Cは思考面に没頭することなく、彼が予期している不安な結末を述べている。書き手は挑発し、それに応じればお互いに応戦しあい、最後は殺し合いに発展するという恐れである。これはいささか妄想めいた不安のように聞こえるのだが、彼にはとても現実味を帯びた話として体験されている。このことは、彼が怒りを感じて、それを発散すれば、一たびそれをすれば、途中で折り合いをつけたりすることもできず、行き着く所まで行ってしまうだろうという不安である。つまり、彼が怒りを出せば、破滅的な状況を迎えるしかないという不安を彼は抱えているということである。
(20)Tの応答は、Cが報復とは違う方法で自分の感情を処理しようと模索しているということをCに返している。これは間違いではない。でも、ここでは「怒りを出したら取り返しのつかないところにまで行き着いてしまうだろうと思っている。それだけあなたは自分の怒りの感情を恐れているのですね」と、Cが本当に恐れていることに目を向けたい所である。ちなみに、Tがこのような応答をしてしまっているのは、Cが体験している抵抗感にTが助力してしまっているからである。これはCとTが同一人物であることによって、こういうことが生じてしまう。
(21)TはCの抵抗、防衛を後押ししてしまっているのだが、ここでCは一つの知性化を行っている。文化はそのようにして発展したのであり、自分がしていることはそれに即していることになるのだということであり、Cは自分が怒りの表出を避けているという事実に対して、合理化をしていることになる。
(22)TはCの合理化を後押ししている。しかし一つだけ望ましい応答は、「かなりの無理をして」という部分である。Cが無理をしてでも自分を抑えようとしている点に光を当てている。
(23)一つの洞察が生まれている。書き手もCも共通のものを持っているという洞察だ。ただ、書き手の方が混乱が大きいはずだということで、書き手に対する怒りを少しこぼしてしまっている。これはCが自分の怒りを十分に抱えきれていないことを意味する。もしくは、彼が抱えるにはその怒りが大きすぎるのかもしれない。Cは、この混乱を処理するには、自分自身を何度も振り返る必要があると説く。
(24)Cの説いていることに対して、Tが応答している。しかし、「あなたはそういう作業をしていきたいのですね」と、この対話の目的に焦点を当てることもできる。Tの応答はCの体験した混乱に目を向けさせるものとなっている。
(25)Cが自分が混乱した体験を話し始める。彼はいじめっ子との関係を話し、それから一回だけデートした風俗嬢のエピソードを語る。なぜ、こうしたエピソードがCに思い出されたのかは、この時点ではよく分からない。愛してはいけない人を愛してしまうということから連想が浮かんだものと思われる。
(26)Tは上述の疑問点を持ち出している。
(27)その女性はCに付きまとう感じの人だったようだ。Cはそれを自分が必要とされているという錯覚に陥りそうだったけれど、それは自分の中にある恐れや空隔から目を逸らせることになっているとCは気づいたのだと話す。しかし、この話の中にはもっと微妙な含みが感じられる。巧みに合理化されているという印象を受ける。この女性はCの不安や空虚感を埋めてくれる存在でもあった。少なくとも初めのうちはそうだったのではないかと思う。それがこの女性の側の問題であるとしてもだ。彼は自分が必要とされているという感情を確かに体験していたのだろうと思う。しかし、彼はそれを否定しなければならない。その否定の手段に合理化が用いられていると考えることができる。彼は自分が満たされると、それは良くないことのように体験されていたのかもしれない。あるいは必要とされていると体験できていても、それはいずれ終わるものだと自ら信じ込まなければならなかったのかもしれない。Tはその辺りを取上げてみることもできるだろう。
(28)TはCの発言を要約し、明確化していることになっている。先の解説に基づいて、例えば「自分が必要とされているという感覚はとても良い物だったけれど、もし、それがお互いの病理をぶつけあっているだけだと分かったなら、いずれ必要とされなくなると思われるのですね。一度必要とされてから後で不要にされて傷つくよりかは、初めからそれを拒んでおきたいのですね」ということを伝えたいところである。
(29)Cの話は深まるよりも広がりを見せている。彼の視点は自分ではなく、彼が縁のできてしまう女性の方に移ってしまっている。これは自身を見つめ直すという目的に反するものであり、彼の抵抗の表れである。
(30)TはCの持ち出した新たな話題に興味を転じている。
(31)ここでもう一人の女性のエピソードが語られる。これは先の女性よりも後に体験したもののようである。つきまとわれるような体験は、先の風俗嬢の時では必要とされている快感につながっていたが、この女性に付きまとわれることは恐怖として体験されている。この両エピソードの間にいかなる変化が彼に生じたのか、ここでは分からない。分からないなりに推測してみれば、この間に、C自身が自分を必要とされたいという願望が弱まっているのかもしれない。もし、そうであるとするなら、この間にどのような体験を彼が積んできたのか興味あるところである。
(32)TはCの変化を押さえている。しかし、ここで時間が来てしまう。
全体の流れを振り返っておくと、Cは内面の動きを体験している(1)。それは何かを始めたいという衝動として、様々な感情の動きとして、そして記憶が活性化されることで表されている。記憶や感情が活発になるということは、望ましいことが生じると同時に、忌まわしい記憶や感情をも同時に活性化される(3~11)。今回はCにとって望ましくない方の部分が取り上げられることになった。活性化された感情、それも怒りの感情は、まず書き手に対して向けられている(13)。この感情は充分吐露されることなく、合理化され、知性化され、防衛される(15)。以後、知的な話し合いがなされる(15~21)。一つの転回点を迎える(23)。それは怒りを向けている対象と自分との間の共通点ということで展開が生じている。Cは自分の体験談を話す。まず、風俗嬢との関係(25~28)、次にストーカーまがいの女性との関係(29~31)が語られることになった。
今回の対話編で押さえておきたい所は以下の点である。
・Cは怒りの感情を表現することに困難を感じている。その際、知性化や合理化という防衛を用いている。その困難の方に注目すること。
・怒りの感情は書き手の上に投影されているようだ。しかし、共通している部分もあるということが洞察されている。怒りの感情そのものに対しての洞察を深める必要がある。
・交際のあった風俗嬢は彼が好きになってはいけない人であったようだが、その女性が彼の欠乏を満たしていた時期があるようである。彼が何を失い、何でそれを補償したかったのかを明確化していく必要が感じられる。C自身は、自分が何を失っているのか、何が欠けているように体験されていたのかという点に対しては、意識されていない事柄がたくさんあるように思われる。
・内面が動き始めたことは望ましいことである。Cの様子からだと、そのために彼がコントロールを失うということはなさそうであるが、Tとして注意しておくべき所である。必要ならCの制御役を引き受けることが望まれる。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)