<解説> 

(1)Cの発言。この対話編がどのようにされているかを示している。後半は夢を忘れたこと、それは母親に用事があったためであることが語られている。これをするのが愉しいと語っていることから分かるように、Cは一気にいろんなことを話そうとしている。そのため幾分マニックであり、感情に収拾がつかないという印象を受ける。 

(2)Tは夢の方ではなく、母親の方に焦点を当てている。(1)の発言では夢を忘れたことに重点を置きたい所であるが、Tはそちらの方ではなく、母親のことに方向付けている。Tがリードしてしまった感じだが、不適切というわけではない。 

(3)Cは二つのことを伝えている。Yさんと旅行に行くということ、それに腎臓の一件だ。母親がどういう対応をその時にしたのかが語られていない。そこはCが何かを避けているという印象を受ける。「それも仕方がないか」という発言にそれを感じる。こういう時、Cにとって不本意な反応が母親から返ってきたのだと見立てて間違いではないだろう。 

(4)それでTは母親の反応に焦点を当てている。幾分、Cの感情を先取りしすぎている感じはする。「思っていたような反応がお母さんからは返ってこなかったみたいだね」くらいで十分である。(3)の感情を(4)でも引きずっているためにこういうことが生じる。 

(5)微妙な発言である。母親が共感能力がないとCには体験されている。しんどいことを体験したと語る。その後、「でも、母を責める気にはなれない」と述べる所から、Cは体験を語る代わりに知性化して語る。Cが語るところによれば、Cの方が現実以上の期待を周囲にしていたということであり、それはCの方が間違っているという理屈である。この理屈はもっともであるが、Cがその事態を処理する典型的な手段でもある。 

(6)ここでのTの応答でいいと思われるのは、「勇気がいることですね」という部分である。これはCが苦悩を処理した際の感情に焦点をあてていることになる。一方、Cの抵抗に焦点を当てることも必要である。Cが避けているのは、家族との間で体験した「しんどいこと」である。それを語るのに、「そんなふうに思えるまでには、相当辛いこともあったのでしょうね」というようなTの応答が引き金になる。しかし、前述のように、Tはそこには触れないでいる。 

(7)ここでは一部Cの混乱が見られる。親とのことを話そうとするのだが、それにはN先生とのカウンセリングの話をしなければならないらしい。その時、料金を割り引いてもらったのが助かったと述べ、Cが自分でやる際にも人によってはそういうことをしてあげようという。しかし、それが裏切られることもあるようだ。そこで怒りを発しているのであるが、この怒りはCが避けていることに対して触れそうになったことから続いているものである。つまり、(3)(4)辺りから引き継いでいる感情なのである。Cはここで一つの置き換えをしていることになる。何か怒りに思うようなことを体験しているのであるが、それは、今回の話では、母とのやりとりに端を発しているようであるのに、母に対してではなく、彼を裏切ったというクライアントたちに対して表現されている。次の発言はそれをよく表しているように思われる。Cは「自己弁護するつもりはないけれど、本当に僕だけがそんなに悪いのか」と述べている。これは彼が裏切られたと体験したクライアントに対して該当しているのと同じくらい、母親や家族に対しても該当する感情ではないだろうか。彼はそういうクライアントを通してでしか、この感情を語ることができないのだということが理解できる。 

(8)このTの応答はいい。TはCの感情を表現しているのであるが、この応答はそういうクライアントに対してだけでなく、Cの家族に対して抱いているであろう感情にも答えていることになる。どちらにもリンクするような発言である。 

(9)Cの発言はやはりどちらでも取れる内容である。(7)の発言以降、Cの発言は二重の構造を持っているということに注意する必要がある。裏切ったというようにCが体験しているクライアントに関して述べているのと同時に、Cの母親や家族に対しても述べられているという構造である。どちらに対してであれ、Cは良かれと思ってやったことなのだろう。それなのに「良心を踏みにじられるような思い」を体験しているのである。彼が表現したくてもできないでいるのは、この思いを生み出した体験なのだということが理解できる。 

(10)「自分を守りたくなっている」という部分は、CのしていることをTが伝えていることになる。これはCが自分のしていることの意味を理解することを助けるだろう。 

(11)彼は自分を守っているということをそのまま受け入れている。そしてそういう人とは縁を切ったと述べる。そうまでしなくては自分を守ることが困難だというようにCには体験されているのかもしれない。 

(12)TはCの感情を表明している。この応答が的外れだとは思わない。でも、もう少し細かな応答をしたいところだ。「あなたはその人が大切な人であっても、自分を守るためには距離を取らなければならないように感じているのですね」と、対象を広げることもできる。いずれにしても、彼が語っていることは、クライアントに対してであるのと同時に、彼の家族に対してでもあるということをTが把握しており、どこかでこの両者が結びつく必要がある。そうでなければ、彼は単に愚痴をこぼしたという程度の体験しかしないだろう。 

(13)ここでようやくN先生との間で経験したことが語られる。(7)の発言と通じていく。もう一度、流れを追っておこう。最初は母親とのことだった。それからN先生のことがわずかに語られるのだが、その後彼を裏切ったというクライアントのことになる。二重構造と述べたが、深読みすれば、これは三重構造なのかもしれない。ただ、この時点まではN先生がどういう役割をCの中で果たしているのかが不明確なので、何とも言えないのである。一応、Tは頭の片隅に、N先生との間でも何かあったのかもしれないという予測を置いておくことが望ましい。さて、ここでN先生が再び登場しているのであるが、Cがまず話しているのは、N先生との間でも苦しいことがあったということだ。信用しているけれど、否定的な感情は述べることができないという葛藤である。 

(14)恐らく、Cの流れを阻まないようにするのであれば、このTの応答も望ましいものである。「好きな人に否定的な感情を分かってもらおうとすることは難しいことですね」と、Cの葛藤に焦点を当てることもできる。Cが葛藤を見ることに耐えられるのであれば、その方が望ましいだろう。 

(15)今回のCの発言はとにかく焦燥感があるのか、一度に多くのことを詰め込もうとしているようである。それで幾分支離滅裂な所がでてきている。ここでは非常に多くのことをCは語っているのである。整理してみよう。まず、N先生が間違っていても、恨む気にはなれないと述べている。これは先述の「親は完全ではないのだから、恨む方が間違っている」式の理屈と同じものである。これはCの葛藤処理パターンの一つであり、N先生に対して転移感情を形成していたことが理解できる。次に、N先生がカウンセリング料を親に負担してもらってはどうかという提案をしたことが語られる。この時、CはN先生も自分のことを分かってくれないという体験をした。そのことを話した後、知性化が始まっている。Cは親を怨みたい気持ちでいっぱいだったと語り、その後でバイト時代の経験を語っている。この経験とは、誰も親を恨んでいるなんて人がいないという経験である。彼はそんなことを言っている自分の方が異常だと述べている。ここで起きていることは、親を怨みたい気持ちを表現する代わりに、自分の方が間違っているということを表現しているということである。そして、Cはこの感情を脱するようにしていったと述べる。 

(16)「どうやってそれをやったの」というTの応答は、場合によってはCを苦境に追い込む。なぜなら、Cが苦しんでいるのは、その感情を抜け出た経緯にあるのではなく、その感情を生み出した経緯の方にあるからである。本当はそこに触れたいところである。もし、述べるとすれば、「親に対する不満や恨み言はもう言いたくないんですね」というもので十分である。この応答は、「不満や恨み」があるとしてもという前提を含んでいる。こういう前提は、Cがすぐには語れなくても、後々それらを語る下地となる。 

(17)やはり多くを詰め込んだような発言である。どうやってそれをしたのかということを、Cはかなり直線的に述べている。親の方が弱ったということであり、弱った親を見て恨んではいけないということになったということだ。これはこれでCが事実体験したことなのであろう。その後、ACの人たちのことが語られる。Cの中で連想が働いたのであろうが、これも先ほどのCを裏切ったクライアントのことが語られたのと同じ構図で登場している。彼の恨みは本来の対象を離れて、ACの人たちに投影されている。この後、一つの重要な発言がなされている。「生きていくのは生易しいことではない、銘々がその作業をしていかないといけない、自分もまたその途上にある」という一連の発言である。彼が自分の体験から得た成果なのである。ここから、彼がどれほど苦しい作業をしてきたのだろうかと、うかがい知ることもできる。 

(18)Tのこの応答は後半がよろしくない。これは話題がACに転じてしまう。前半部分だけでいい。「あなたは自分でとても苦しい作業をしてきたように感じているのですね」でいいのだ。 

(19)ここに至って、Cは葛藤状況を少し語っている。Tが感情に焦点を当てるような応答を重ねてきたことによる。さらに、現実のカウンセリングではTが理解しているという安心感がこういう展開をもたらすものである。Cは未だに過去を恨んでいるかもしれないという可能性を示唆している。もしそうであるなら、自分は駄々っ子のようなことをしているということが分かる。でも、そういう自分の姿を見ることは辛いと述べている。これはここまでのCの発言には見られなかった率直さを示している。抵抗感が薄らいできていることが感じられる。 

(20)TはCの選択を押さえている。ここでも葛藤を表現したいものである。「あなたは過去を恨みたい気持ちが未だにあるかもしれないけれど、でも、駄々っ子のようなことをしている自分にも耐えられない思いがするのですね」という葛藤である。 

(21)ここでCは再び複雑な表現をしていく。いくつもの感情を同時に表現しようとしてしまうようだ。だからいろんな所に話を飛び移ってしまう。まず、N先生の提案はCが望んでいることとは反対のものだったということだ。彼はそれを拒否した自分が正しかったと述べる。このことはそのまま信用してもよい。次に兄のことが語られている。兄はCの方が大切にされていたということを主張したようだが、Cが駄々っ子と言う時、この時の兄の姿が浮かんでいるのかもしれない。そして、兄の体験はC自身に覚えがあるということになっている。Cもまた同じようなことを、N先生との関係を通じて、親に対してしたことがあると述べている。だから、兄を否定することは同時に自分自身をも否定してしまうことになる。そのために彼は兄と同じことをしてはいけないという感情を高めていったのかもしれない。その後、Cは自分の方の体験、当時の自分が親に対してしたことを語る。Cとしては子供時代のことにケリをつけたい気持ちだったかもしれないが、この気持ちは親には伝わらない。ここで再び、Cの知性化・合理化が始まっている。あの時、Cは「裏切られた」ように体験したのではないだろうか。でも、それは語られることなく終わる。 

(22)現実のカウンセリングでもここで応答することは難しい。(21)の発言はそれだけ複雑だからである。伝えたいことは次のことである。「あなたの言うことが親に通じなかったので、あなたは自分で何とかするしかなかったのですね。(あなたの体験したことはそういうことだったのですね)」である。 

(23)Cが多少は防衛しているとしても、これがCが到達した洞察である。防衛しているというのは、この洞察を得るまでの中間段階が飛ばされたという印象を受けるからである。彼の訴えることは親に通じなかったという体験と、親に責任を求める自分の方が間違っていたという洞察との間に何かがあるはずなのである。敢えて言えば、Cの絶望だったのではないだろうか。しかし、Cはそこには目を背けようとしている。意識的にか無意識的にかはわからないが、Cはその部分を語ることに困難を覚えているようである。 

(24)Tは間違いを犯したN先生に対する感情をもっと表明してもらいたいと思ったのかもしれないが、ここでは適切な応答とは言えない。むしろ、「ものすごく大きな犠牲をそのために払ってきたように思われている」ということを伝える必要があった。先述の中間段階にあるものに触れることができたかもしれない。 

(25)先にTが方向づけをしてしまったので、N先生との思い出が語られることになる。望ましいのは、あのままCの困難に目を向けることであった。この対話はCもTも同一人物がやっているという欠点がある。本来、Cの抵抗であったものが、Tによって表現されてしまっているのだ。しかし、ここでも一つの重要なエピソードが語られる。N先生がいくら間違ったことをCに対してしてしまったとして、Cにとってはとても高く評価してくれた先生であるということだ。これはCに葛藤を生じさせなかっただろうか。 

(26)そこまで高く評価してくれて嬉しかったでしょうと、Cの感情を明確化する。ここでもTは葛藤を見ることを避けるように動いてしまっている。 

(27)それはとても嬉しいことであったが、その後、N先生と決別するということが語られる。N先生との同一視に終わりが来たということでもあるようだ。自分とN先生との差異を知って行く体験になったようだ。脱錯覚していく過程があったのだろうと思う。 

(28)Tの応答だが的外れな感じはしない。「N先生との違いも見えてくるようになったのですね」ということに焦点づけることもできただろう。そうすれば、Cは自分がN先生から離れていくプロセスを語り始めていたかもしれない。 

(29)Cは両価感情を語っている。この発言はとても気になる。悪い意味ではない。こういう両価感情は葛藤を生み出すはずである。しかし、それほど激しい葛藤を読み取ることができないという感じがしている。両方の感情がそのままあり、尚且つ、それがCを引き裂かないという印象を受けるのだ。 

(30)だからここでのTの応答は望ましい。「両方の感情がある」とただ押さえるけで留めている。葛藤に焦点を当てるようなことをしていない。 

(31)Cが(29)で述べたことを明細化している。 

(32)Cのしていることを表現しているTの応答である。 

(33)Cに洞察が生まれている。両価感情に対して、どちらか一つに絞ろうとすると、葛藤を引き起こすということである。そういう関係は非常に脆いものになるという発見である。そして、N先生と決別した後でも、内的なN先生との関わりは続いていたということを語る。そして、彼の葛藤は現実のN先生を通してではなく、内的なN先生との間で解消していったというように体験されているということである。これは望ましい葛藤処理の仕方ではないだろうか。 

(34)Tの応答は悪くはないのだが、大雑把である。「克服」という言葉は何か他の適切な言葉に換えたいところである。「少しずつ時間をかけてN先生と離れていった」ということを伝えることもできるだろう。 

(35)Cははっきりとは述べていないが、決別後のN先生との葛藤を内的に処理したということが窺われる。これは本来なら、N先生との面接場面で処理されていくことが望ましかったのだが、そうならなかったようである。 

(36)対話の終了。 

 

 前回同様、Cの抵抗感を随所で感じる。ただ、前回よりは幾分ましになっている。今回押さえておきたいのは、Cの抱えるテーマが見え始めているということだ。そういうことを踏まえて、ポイントを押さえておきたいと思う。 

・親に対する感情をCは持っているであろうこと。 

・その感情は表現することが難しいということ。 

・その代り、親以外の人を通してその表現をするということ。置き換えをしているということである。 

・親との関係においては、知性化や合理化をするということ。そうして葛藤を処理してきたが、これが全面的に成功しているかどうかは不確実である。部分的には成功しているのだろうとは思われる。 

・Cは親とのことで葛藤を解消する前に、N先生との葛藤を解消しなければならなかったのだということ。N先生はCが親転移を起こしている対象であること。 

・Cの体験と、その体験を防衛することとの間にあるものに注意をすること。そこにはCが今は語ることのできない感情が潜んでいるであろうということを注意すること。 

・話題があちこちに展開するのは、Cの連想が活発になっているからであり、それは焦りのように体験されているのかもしれないが、Cの心が動き始めているということの指標となる。いきなり動き始めたので、C自身コントロールできていない感じがしているかもしれないが、いずれ落ち着くであろう。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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