<自己対話編―3> 平成24年6月3日(日) 

 

<対話> 

C:一時間の対話編のために今日は一時間早く起きて、これを書いている。これをやるのが今はとても楽しい。自分を語ること、語ることの中から自分を再発見することは本当に愉しい作業だと僕は思う。これを体験していない人は不幸だと僕は思う。もっとカウンセリングを人は受けるべきだと思う。そうすれば外に快楽を求める度合いも少なくなるだろうしね。多くの人はそういう愚かな生き方をしているように僕には見える。(1) 

T:この体験をもっと多くの人がしたらいいのになあということ?(2) 

C:そう。自分の中にあるものしか、そこからしか人は学ぶことが出来ないって僕は考えている。だから自分から学べない人は何も学ぶことができないんじゃないかって思う。別に人を批判して言っているわけではないよ。でも、自分について何か発見とか気づきとか洞察といったものが得られると、本当に自分が安定してくるのが分かる。それで夕べは夢を見た。残念なことに大半は忘れてしまったのだけれど、一か所だけ鮮明に覚えている場面がある。僕は一人の男性と面接をしている。その男性は目が見えない人だった。視覚障害があるのだな。僕よりも幾分年上で、けっこう年輩であったような印象が残っている。その男性が次はいつにしたらいいかと尋ねたので、僕はいつにしましょうと答える。彼は水曜日がいいと答えたんだ。僕は「いつの水曜日?」と答えてカレンダーを見せようとした。でも、その人は目が見えないということを思い出して、僕はこんな風に言った。「いつの水曜日でしょうか。今日から数えて金土日月火水の水曜日でしょうか、それとも今日から数えて金土日月火水木金土日月火水の水曜日でしょうか」って。彼は後者の方だと答えた。(3) 

T:その夢についてどう考えているの?(4) 

C:この視覚障碍者は僕の中の障碍のある部分の人格化だとまず思った。障碍があるだけでなく、目が見えないということも気になった。それは僕が何かに対して盲目であるのか、あるいは何かに対して盲目でいたいということでもあるのかもしれない。でも、僕はそういう自分の傾向を触れることができている。次回の予約を取るということは、その部分との間に関係を築いているということでもあるのではないかと思った。そして彼は水曜日にまた来ると言っているのだけど、僕が金曜日から数えている。金曜日というのはこの対話編を書き始めたのも金曜日だった。6月1日の金曜日だ。彼は再来週の水曜日に会うと約束したのだ。これは6月13日の水曜日に該当する。僕は今からこの日が愉しみになっている。何か展開が起きるのではないかと思っている。(5) 

T:あなたはその人と関わる必要があると感じている。(6) 

C:そう、なんとなくだけれど、そうなる必要があると思う。彼は僕の中でしばらく目に入らなかった存在ではないかと思う。目が見えないというところに僕は興味を覚える。なぜ彼は視覚障碍者でなければならないのかって考えている。他の身体部位ではなく、目なのだ。全盲の人だった。だから僕自身がそういう盲点や盲目になっているところに関わる必要があり、僕自身が目を開いて行かなければならないのだっていう気持ちに今はなっている。(7) 

T:水曜日ということからは何か連想しますか。(8) 

C:水曜日は、僕の今の生活では、Yさんと会うという日だ。水曜日というのは僕の中で何かと縁のある日だったように思う。なぜか水曜日が好きなのである。以前は水曜日を定休日にしていた。僕にとって安息日のような感覚がある。クリニックで働いていた頃も、水曜日は僕にとって特別な日だった。なぜか水曜日というのは意識してしまうのだ。学生時代は水曜日というと、ちょうど週の真ん中に当たる。何となく折り返し点という感じがした日だった。後は特別なことを思い出さない。(9) 

T:今はYさんと会う日でもあるということですね。(10) 

C:Yさんと会うことは僕にとって嬉しいことであると同時に、辛い時もある。いつかYさんのことも話したいとは思うのだけど、今日はそういう気になれないな。(11) 

T:それはなぜなのだと思う。(12) 

C:Yさんがこれを読むかもしれないと思うと、迂闊なことは言えないなという気持ちになる。それに僕はYさんに対して間違ったことをしているのではないかと不安になる時がよくある。だからそれはそれとして時期を見計らって書いていこうと決めている。今は何となく早いような感じがしているし、自分の中でもまだよくまとまっていない感じがする。きっとこれは抵抗なんだろうね。(13) 

T:視覚障碍者によって表されている部分というのは何だと思いますか。(14) 

C:それがまだはっきりとは分からない。ついさっき見たばかりの夢だから振り返る時間も十分に取れていない。でも、一つは障害があるという部分だ。もっと現実的な話をすれば、パソコンをいじる時間が長くて目が大分やられているし、視力が以前よりも悪くなったなと最近は感じている。だからそういう僕の不安や身体の状態がこういう形で現れていると見做すこともできるとは思う。確かに目は僕にとっては今一番心配している部分でもある。その次に心配しているのが腎臓なんだ。僕はどうも腎臓の働きがあまりよろしくないらしい。持病が出た時に検査してもらったのだけれど、そう指摘された。これは僕も前々から気付いていることで、僕はトイレにいく頻度がかなり少ない方だった。おしっこに行かないわけだ。行きたくてもガマンする癖がついてしまっているんだ。それがよくなかったということなんだ。それで医師からは生活をもっと改める必要があると言われている。トイレもガマンしないで行きたくなったら行きなさいと、まるでトイレットトレーニングを始めたばかりの子供が親から言われるような注意をこの年になってされたんだ。今の内から改善しておかないと、あと20年もすれば透析生活を送るようになると脅されている。脅しっていうと語弊があるかもしれないけれど、僕にとっては脅迫されているような感じがしたね。(15) 

T:どうしてそんな風に感じたのだろう。(16) 

C:その医師の忠告がそれだけ怖かったのだろうね。あまり親しいわけではないけれど、透析生活をしている男性を知っている。彼は一日おきに病院に行って透析しているという人だった。治療はとても苦しい上に、一日作業になるというので、よく不平をこぼしていたな。そして定期的に入院しなければならないそうだ。だから透析生活と聴くと、すぐに彼を連想して、ああいう風にはなりたくないという思いが込み上げてくる。だから恐れているのは、自分が彼のようになってしまうのではないかということなんだ。すぐに彼のことを連想したのだけれど、医師の忠告よりも、彼のようになるということの恐れの方がより正確だという感じがしているよ。(17) 

T:その男性はどんな人?(18) 

C:呑み屋なんかでよく顔を合わせた人だ。たいへんなお喋りでね、隣近所の客に気さくに話しかけるような人だった。それはまだいい。でも話しかけて会話になるかと言えば、そうはならないんだ。その人が一方的に話すだけで、しかも話す話が面白くないという感じなんだ。だから僕はできるだけその人を敬遠していた。捕まると長いというのが印象としてある。彼自身は飲食店を経営しているようだけど、店は奥さんに全部任せて、あるいは奥さんが全部仕切っているのかもしれないけれど、彼自身は自分の店にはほとんど関与せず、毎晩どこかの呑み屋や飲食店を徘徊しているようだった。(19) 

T:そういう彼の姿を見てどう思う?(20) 

C:彼の話は好きではないけれど、見ていると虚しい一生を送っているなという思いがする。彼が話すことと言ったら昔話ばかりで、僕が生まれる以前の話とかもよくされる。あの時はこうだったとか、あの時代はこんなだったとか、そういう話ばかりで、一言で言えば、退屈な人間だということだ。そして当てもなく毎晩徘徊しているのだ。恐らく、予定と言えば病院に行くことだけではないだろうか。決してアル中ではないけれど、病気が生活のほとんどを占めているというような人だ。僕も下手をするとそんな生活を送るようになるのかもしれないと思うと、それは怖くて怖くて。(21) 

T:あなたが望む生き方とは違うのですね。(22) 

C:目的もなく生きるというのが僕にはとても辛いことだって思える。(23) 

T:そういう時代があなたにあった。(24) 

C:・・・(タバコを一服、沈黙)・・・正直に言おう、それは大学時代だ。二度目の苦しい時期のことだ。・・・当時の僕はひどいものだった。廃人のような生活を送っていた。・・・夜、眠る時に、このまま目が覚めなければいいのにという思いで布団に入る。翌朝目が覚めて、僕は目が覚めたことに絶望する。目の前が真っ暗になるような感じが本当にする。生きていたくないのに、新しい日が無情にも襲ってくる。一番ひどかった頃、僕はよく声を聴いた。幻聴というやつだ。どこにいても僕は自分の名前を呼ばれるのだ。本当にそう聞こえるんだ。それで辺りを見回してみても、誰も僕を知っている人がいないということを確認するんだ。最初は誰かに呼ばれたと思って見まわし、錯覚かとか聞き違いかとかって思う。それだけで済んでいた。でも、その内、声は確かに聞こえると確信するようになった。どこにいても僕の名前が呼ばれる。それも普通に呼び掛けられるわけではないんだ。もっと、こう、非難とか敵意を込めて呼ばれるのだ。僕は怖くて仕方がなかった。どこにいても神経を張りつめるようになって、精神的に消耗しきってしまうのだ。声が聞こえると、まず僕は物凄く沈んでしまう。一応、周囲を見回してみる。そこで知った顔でもいて、その人が僕を呼んだのだろうということになれば、僕はそれで一安心なんだ。ところが誰もいない。またあの声を聴いてしまったということで、僕は憂うつな気分に叩き落される。その日最初の声はとにかく衝撃を与える。僕にとってはすごい打撃だった。それで、ああ、今日もまた声に悩まされるのかと思うと、一日暗い気分で過ごすことになる。僕は当時は精神医学については何もしらなかった。ただ、自分におかしなことが起きているという感覚だけはあって、自分が保てなくなりそうで怖かった。ある時、声が聞こえなくなる方法を発見した。それは酒を呑むことだった。酩酊して神経が鈍くなれば、声が聞こえないということを知ったんだ。声が聞こえなくなったのか、聞こえても気にならなくなっていたのか、今となってはどちらとも言い難いのだけど、とにかく酒を入れるということでそれが治まるということを知ったんだ。だから朝起きて、何をするかというと、酒の自販機に行くわけだ。そして、今日一日声に悩まされないよう、朝の一本を体内に入れておくのだ。酒だけが唯一の救いだった。何よりもまず酒を呑まなくてはならなかった。飲酒自体はそれ以前からしていたことだけれど、この時期、一気に酒量が増えて、朝から晩まで酒浸りの日々だった。当然、アル中の症状も見えていた。不思議に聞こえるかもしれないけれど、夜のアルバイト、D店のアルバイトだけは欠かさずしていた。酒代を稼がなければならなかったからだ。だから夕方くらいには飲酒を終えて、それで一寝入りするのだ。幾分酔いが醒めた所でアルバイトに行く。バイトが終わると、〆の酒を呑む。そうして再び、このまま目が覚めなかったらいいのになあという思いで布団に入る。そんな毎日だった。僕は精神医学であるとか、臨床心理学であるとか、そういう知識はもっと知っておく必要があると思う。自分に何かおかしなことが起きている、自分が以前の自分ではなくなっていくという感覚は本当に恐ろしいものだ。僕の拙い言語表現力ではそれをうまく伝えることができないのだけれど、知っていなかったということだけで、随分苦労したものだ。そういう思いがあるから、僕はこのサイトでもゴチャゴチャと書いてしまうのだろうと思う。やはり知って欲しいという思いがどこかにあるからなんだ。もし、当時、それは幻聴であるということを知っていれば、もっと違った対処をしていたかもしれない。僕の場合は名前を呼ばれるだけで、体系だった幻聴ではなかったから、おそらくだけど、薬だけでもかなり改善されていたのではなかったかと、今では思う。でも、僕は自分がおかしいと知っていながら精神科医に通う気にはなれなかった。それもまた恐ろしいことだったのだ。幻聴というのは精神分裂病という病気では比較的よく見られる症状であるというのを知ったのは、それより少し後だ。僕はその病気がすごく気になった。それで書店に行って、関連する本を購入したんだ。しかし、今から考えると、何を思ったのか、クレぺリンの「精神分裂病」を買って読んだのだ。あの時代の本だから、いいことなど何も書いていないというのが実情だ。僕は不治の病に罹ったかのような気分を体験したね。僕はもうだめだと信じた。同じ頃、テレビのドキュメンタリーで分裂病患者の社会復帰をテーマにした番組が放映された。退院した分裂病者の部屋を見て、愕然としたね。そこには何もないのだ。生活に必要なごく少数の品があるだけで、それ以外は何もなく、人間味のない部屋と言う感じがした。あれが将来の僕の姿かと思うと、それは怖かった。社会から見捨てられる自分がこうして実現していくのではないかと思い始めた。かつての空想がいよいよ現実になるかという思いがした。(25) 

T:社会から見捨てられたり、疎外されたり、廃人同様の生き方になったり、そういうことが本当に恐ろしいのですね。もしそうなったら誰も助けてくれないということ?(26) 

C:そう、僕を助けるよりかは、僕を見捨てるだろうということを、僕は信じていた。誰かが助けてくれるなんて期待できなかった。もしそういう人が当時現れていたら、僕はその人を信用できなかっただろうと思う。最初に助けておいて、いつか僕のことを放り出すのじゃないかとか、そういう心配をしてしまっていただろうと思う。ああ、でも、どこかで助けを求めていたのかもしれない。当時の僕はそれをどこに求めたらいいのか分からなかった。僕は自分の状態を誰にも言わないように、ひた隠しに隠していた。もし人がこれを知ったら、人は僕を危険人物と見做して、僕を隔離するだろうとか、そういうことを思い浮かべてしまうんだ。僕はそうされる人間なんだと信じていた。(27) 

T:愛されるとは絶対に思えなかった。(28) 

C:みんなが僕を嫌がる。中学一年生の時の女の子もそうだったし、他の人たちもそうだ。家族でさえ、僕がいない方が良かったと思っている。それは僕が10歳までの間に経験したことだ。いつかそれにも触れなければいけないのだろうな。(29) 

T:あなたに触れる準備ができれば自然に触れていくようになりますよ。そろそろ時間なのでここまでにしておきましょう。(30) 

 

<Cとしての感想> 

 夢の話から始まって、僕は自分の障碍の部分に関わり始めているという感じがしている。それで今回の対話はそういう色彩の濃いものとなったのだろう。確かに大学時代のこととか書いたけれど、まだ表面的にしか語れていないという感じもしている。もっと感情が込み上がって来てもいいのだけれど、僕はそこに蓋をしている。抑制しながら書いているという感じがしたので、幾分疲労感を残すことになった。でも、やってみて良かったとは思っている。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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