<自己対話編―1> 平成24年6月1日
<対話>
C:何から話そうかな。たくさんあるので整理がつかないくらいだ。(1)
T:あなたには話せることと話せないこととがあるでしょうから、話せることから話されてみてはいかがでしょうか。(2)
C:そうだな。この対話編はサイトに掲載しようと思うから、なるべく自分や他の人に不利になるようなことは書きたくないし、あんまりプライベートなことをかくのも憚れるし。でも、話せるところから話してみようと思う。去年、40歳になった僕は、自分の人生をもう一度語りなおしたくなっている自分に気づいた。それでいくつか試みたこともある。こういう対話を手書きでやってみたこともあるけれど、それはうまくいかなかった。書く方が追いつかないのだ。連想の方が先々進んでいって、書く方がどうしても遅れるのだ。だから本当は話す方がいいのだけど、それもできなかった。(3)
T:できないと言うのは?(4)
C:聴いてくれる人がいないんだ。だから僕はカウンセラーは絶対に人類には必要だって思っているんだ。それはともかくとして、僕の師匠でもあるI先生にお願いしたこともあるのだけど、それも一回受けたきりで終わってしまった。どうもうまく行かないのだ。もちろん一回目から多くを期待するのは間違っているのかもしれないけれど、I先生は僕の意図をよく汲み取ってくれなかったのだ。だから僕の望んでいることがI先生には分からなかったのだろうと思う。それで、これも何か違うなと思うようになって、I先生の面接は止めてしまったのだ。これも悲しいことだった。僕が話している。確かに悲しい内容だった。I先生がそこで涙ぐんでおられたようだった。一緒に泣いて欲しいのではないんだ。僕が自分を理解する助けをして欲しかったのに、そうならなかったんだ。(5)
T:さぞ失望したことでしょうね。(6)
C:がっかりきた感じだったよ、確かに。それでワードで作成するということをしたんだ。時間を決めて、その時間内に自由に連想していくという形でやってみた。でも、気づいたんだ。これもまた僕が求めているものではないと。相手が必要なんだ。僕の連想が停まった時なんかに、解釈や質問をしてくれる対象が必要なんだと分かった。そういう対象がないと進展しないんだ。連想が同じ所をグルグル回ってしまうだけなんだ。(7)
T:あなたは自分一人ではこういうことができないということが分かっている。(8)
C:そうなんだ。相手が必要なんだ。聴き手であり、理解者であり、質問者であり解釈者であるという人が必要なんだ。交際しているYさんにはそれは無理なんだ。彼女には負担が大きすぎるんだ。彼女自身が受け止めてもらわなければならない存在で、援助を必要としている人だからだ。だから彼女にはその役はできない。(9)
T:あなたは人を受け止めるけれど、肝心のあなたを受け止めてくれる人がどこにもいない。それを体験してどう感じただろう。(10)
C:僕はどこまでいっても独りなのだということを体験したように思う。僕は仕事柄、人の話や体験を受け止め、共有したいとは思っているけれど、僕の話は誰も聴き手になってくれないという感じだ。自分がどんな風に受け止められたかを知らなくて、どうやって人を受け止めることができたなんて言えるだろうか。僕はここに自分の今の限界を感じているんだ。仕事をしていって、ここでいつも壁にぶち当たるような気分を味わうんだ。そしてどうしてもそこから成長していかない感じがしているんだ。(11)
T:あなたは何とかして、その壁を破りたい、そして成長していきたいと思っている。そのためには相手が必要であるということが分かっているのに、その相手がどうしてもあなたの身近に見たらなくて、もどかしい。(12)
C:そう。どこかのカウンセラーにお願いしてもいいのだけれど、時間と費用と、それに自分のことを一から知ってもらわなければならないということで、僕には億劫に感じられているんだ。とても大仕事をしなければならないような気がして、考えると気が遠くなうような思いをするんだ。(13)
T:自分のことを知っておいて欲しい、そういう人がいたらなあということでもあるのかな。(14)
C:そうかもしれない。僕のことを理解している人が、一体僕の周りにどれだけいるだろうか。これまで出会った人たちの中で、そういう人がどれくらいいるだろうかと思う。多く見積もってもゼロじゃないかな。(15)
T:自分のことを分かってもらえた気がしない。(16)
C:そう。家族もまた僕のことを知らない。僕が父や母を知らないようにね。父と母はいまでも健在だし、一緒に住んでいる。僕は居候なんだ。でも、40年付き合いがあっても、僕は父がどんな人であるか知らないし、母とは一度も本当の意味での会話をしたことがない。兄は僕にとっては無縁の存在だし、今となってはどうでもいい人だ。家族とは他人どうしなんだということが年を経るたびに理解できてくるんだ。彼らはそういう対象にはならない。いや、彼らがそういう対象であったとしたら、僕はもっと違った人生を送っていたと思う。なんでこんなことになったのかとずっと思っていた時期があった。僕は自分の生を呪っていた・・・(タバコを一服する)(17)
T:そのことをもっと話して。(18)
C:僕は生まれて来るべきではなかったんだ。ずっとそう思っていた。今でも家族に迷惑をかけている。そういう自分を体験する時は同じような気分が戻ってくる。大学生の頃、僕は自分を消したかった。(19)
T:消したかった?(20)
C:文字通り消してしまいたかった。死ぬだけでは不十分なんだ。仮に僕が死んでも、僕が存在したという痕跡はのこっているわけで、そういう僕の存在の痕跡が僕の死後も存在し続けるということが僕には耐えられないように思われていた。つまり、初めから僕という人間が存在していなかったという状態になりたかったのだ。そして、死のうと思ったこともある。当時のことだ。僕の人生で一度だけ、自殺を試みたのだ。試みたと言っても大したことはしていない。ある夜、僕は部屋で酒を呑んでいた。幾分酩酊した頃、自分が生きていくことに何の意味もないのではないかと思われてきた。階下へ降りて、台所に行く。小さな電灯を一つつけて、その明りの下で、僕は包丁を自分の手首に当ててみる。刃先が触れた時のゾクゾクする感じは忘れられない。包丁を持つ左手に少し力を加えれば、僕は血を流すことになる。そして、それはそんなに難しいことではないように思われた。刃先を当ててから、身を切るまでの間にはそんな大きな壁はないというように感じられた。容易に一線を越えられそうな気がした。僕はふと思い出していた。手首に対して、横に切ったとしても、健があるので死に至るような深い傷を負うことができないということを、そして死ぬ時には縦に切らなければならないということ、そうして脈を切ってしまわなければ死に至らないということを。僕は本か何かでそういうことを読んでいた。ここを切れば死ねると、刃先を縦に滑らしてみる。力を入れていないので、傷さえも負わない。でも、何度かそうやって刃先を走らせているうちに、僕は恍惚感に浸っていた。死ぬことは簡単だと思うのはその時の体験からなんだ。そして、ふと我に帰ったんだ。こんなことをやっても何もならないと。死ぬことは僕の望んでいることではないんだということを思い出したんだ。僕が望んでいたのは、非存在の存在になることなんだ。死ぬということは、死んだ僕が存在しているという意味では、非存在になることができていないんだ。(21)
T:あなたはそこまでして自己の存在を消滅したかった。(22)
C:そうなんだ。この体験を過去に話したことがある。でも、大抵の人は僕の言っていることが理解できないんだ。ただ自殺願望があるのだなというくらいしか認識しないんだ。でも自殺願望ではないんだ。存在している者が死を選ぶことが自殺であるとするなら、僕はその存在の方を消してしまいたいんだ。その人が自殺をしてもその人が存在したという事実は残っているわけだけれど、そうではないんだ。僕という人間の存在を非存在にしたかったのだ。もちろん、これが不可能なことは知っている。なぜなら、僕は既に存在してしまった人間であり、存在者であり、人の記憶や場所に僕の存在の痕跡を既に留めてしまっているからだ。これを僕が存在する以前に戻したいと言っているのだから、それは不可能な話だということも理解できるんだ。不可能なことを望み、達成しようとしていたのかもしれない。僕にそういう過去があるお陰で、サルトルをはじめとする実存思想が僕にはすごくよくあてはまように体験されているんだ。意味もなく、僕たちは存在してしまったんだ。絶望を持ってこの世に産み落とされたんだ。僕は本当にそれが人間存在の基本的な在り方なのだと今でも思う。(23)
T:あなたはそうして存在してしまったことを受け止めようとしている。(24)
C:そう言えるのかもしれない。僕は生まれ、存在してしまっている。これはもうどうにも変えようがない。変えようがないなら存在しなければならないということだ。こうして、その後も20年ほど存在を続けているんだ。(25)
T:それが良かったとはなかなか思えない。(26)
C:そうだな。良かったのか悪かったのか。ただ20歳頃に比べると、非存在に戻りたいなどという願望は無くなっているけれど。でも、生きていて幸せかと尋ねられると、僕としては何とも答えようがない。今、こんな場面を思い出した。あれは僕が何歳くらいの頃だっただろう。20代の中頃であったような気がするけど、正確には思い出せない。僕は電車に乗っていた。向かいの席に大学生くらいの男女が座っていた。男性が話していて、女性がひたすら聞き役になっている。それでその男性の話というのが、彼が小学二年生の頃のことで、それを自慢げに、愉しげに話しているのだ。そして彼が言うには、小学二年生の頃が人生で一番最高の時期だったということらしい。僕は聞いていて退屈していたし、女性の方は健気にも熱心に話を聴いていたけれど、僕には耐えられない思いがしたね。(27)
T:その男性はあなたでしたか。(28)
C:いや、違うね。その男性は僕ではなかった。でも、どこかで彼のようなことが言えたらいいなあという思いがあったかもしれない。彼は小学二年生の頃が人生で最高の時期だったと言っている。そういう時期が人生の中にあるというだけでも、僕は羨ましいと思っている。僕にはそれがない。一番良かった時代なんてない。中学時代は小学校時代よりもひどかったとか、高校時代は中学時代よりもましだったという程度のことしか僕には言えないのだ。輝かしい年代なんて僕にはなかった。黄金時代なんてなかった。比較して、よりましかよりひどいかのどちらかしかなかったように思う。黄金時代を経験した彼の方が僕よりもましだと思うし、僕ほど惨めな思いもしてこなかっただろうと思う。そうやって縋り付くことのできる過去がある人は幸せかもしれない。しかもそれを聴いてくれる女性がいるということが、僕にはとても羨ましかった。僕には僕の過去に耳を傾けてくれる女性なんていなかった。当時は本当にいなかった。でも。こう考えてみると、僕は彼ではないけれど、僕の何かは彼だったと言えるのかもしれない。(29)
T:彼には話を聴いてくれる女性がいるということも羨ましいということでしたね。(30)
C:そうそう。僕にはそういう人がいなかった。今でも本当の意味ではいないし、当時は僕は今以上に孤独だった。恥ずかしいことだけれど、当時、僕は女性と付き合いたいって真剣に思っていてね。(31)
T:とても自然な感情だと思う。(32)
C:でも、知り合う機会がないんだ。いや、機会はあったかもしれないのに、僕がみすみす逃していたのかもしれない。僕は引っ込み思案で、奥手で、緊張しやすくて、異性とはなかなか打ち解けることができなかった。僕が大学生の頃にバイトしていた店がある。スーパーだけど、D店と呼ぼう。そこのバイトで僕が好きになった女性がいた。大人しそうな女の子だった。僕は彼女とデートがしたくてたまらなくなった。交際したかったのだ。どうやってデートに誘おうかと、それこそ何か月も逡巡したものだった。それである夜、思い切って誘ってみたけれど、計画通りにはいかなくて、散々な結果になってしまった。(33)
T:何か月も計画してまで彼女を誘いたかった。(34)
C:そう。もし、僕と彼女が二人だけになる時間帯があれば、もっと簡単にできたのだろうと思う。でも、僕は周りに人がいるということが耐えられないんだ。彼女を好きになる。それはいい。彼女のことが好きであるということを周囲が知っている。この状況がイヤなんだ。交際していればいずれは周囲にも分かることなんだけれど、交際が始まる以前にそういうことが知られるのがイヤで、特に噂されるのが僕には耐えられないんだ。(35)
T:噂されたり、知られたり、あるいは見られたりするのが耐えられない、別に悪いことしているわけでもないのにね。(36)
C:そうなんだ。考えてみると、それがそんなにいけないことなのか、禁じられていることなのかって分かるのだけれど、周囲に知られるのはなぜかイヤだったのだ。影でこそこそされるのが僕は嫌いなんだ。ネットの書き込みなんかで僕が腹を立てるのもそれが一因なんだ。(37)
T:どうしてそっとしておいてくれないんだってこと。(38)
C:そう。僕の事なんか放っておいてくれたらいいのにって思う。(39)
T:そろそろ一時間経つので、ここまでにしておきましょう。(40)
<Cとしての感想>
若い頃の自殺の話が出てくるとは思わなかった。それに電車の中の二人の会話というのは、僕はすっかり忘れていて、書いている最中にふと思い出したのだ。自分の何かに気づいたという感じはしない。でも、思いもかけなかったことが出てきて、それは驚きであったと同時に、これからも何が飛び出してくるだろうかと期待する気持ちも高まっている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)