<テーマ153>ベテランの就労(4)
(153―1)最初のアルバイトの挫折
(153―2)資格の拒否
(153―3)繰り返される抵抗と拒絶
(153―1)最初のアルバイトの挫折
20数年のひきこもり歴のあるFさんの就労過程を続けます。この事例では、Fさんの就職活動の過程を追っています。実際の面接では他の多くの事柄も話し合われたのですが、必要なものを除いて、ここでは取り上げていません。他にも多くの事柄がカウンセリングでは取り上げられたということを念頭に置いて、お読みいただければと思います。
さて、Fさんは不承不承ながらアルバイト探しを始めました。アルバイトとなると動きは速いもので、連絡を取り、履歴書を送付して、その数日後には面接が行われたりもします。
Fさんは、アルバイトくらいと軽く見積もっていましたが、現実には彼が思っているほど順調には事が進みませんでした。アルバイト先はいくつもあるし、面接もしてくれるのですが、なかなか採用には至りませんでした。
不採用の要因として、一つには彼の年齢的なものもありました。もっと若い人を求めているからということで断られたこともありました。また、もう一つの要因は、彼のひきこもりにありました。就労経験がないということがネックになってしまうのです。彼が応募したバイト先の一つでは、ひきこもりの人は採用しても長く続かなかったから印象が悪いと言われ、初めから断られたということも彼は経験しました。
現実は予想以上に彼に対して厳しいものでした。何か所も応募しましたが、一向にいい返事が貰えないのでした。実を申しますと、私も彼がアルバイトでここまで苦労するとは思っていませんでした。私も認識を改める必要を感じました。
そのような状況で、一か所だけ彼を雇ってもいいというところがありました。そこはちょうど繁忙期に差し掛かっていて、人手不足なのだそうでした。そこで繁忙期の間の2,3か月間だけ一時的に雇うという形になったのです。
彼は逡巡していましたが(注)、雇ってくれるというのなら行ってみてはどうかと私は彼に勧めました。いずれにしても一時雇用なのだから、そこにずっと居続けるわけでもないし、それでも職務経歴欄に書くことができるからと私は説明し、後の決断は彼に任せました。彼はやってみると答えました。
(注)ここでの逡巡も、この後のアルバイト先での出来事も、彼の抵抗を示している。この抵抗をカウンセリングの場で取り上げると、いろんな理由を挙げて、あれもできない、これもできないという話が展開されることを以前の経験から知っていました。その展開は、物事を停滞させるための一つの方法であり、必ず援助者を疲労困憊させるものであり、不毛な作業となるのです。だから、私は敢えてそちらの方へ足を踏み入れずにしているのです。
翌週、彼が来た時、私は真っ先に「アルバイトはどう?」と尋ねました。すると彼は「辞めました」と答えたので、私はとても驚きました。事情を聴くと以下のようなことがあったそうです。
彼は毎日でもシフトに入れますと申し出て、社長も期待していると応えていたのでした。勤務を始めて三日目頃、彼は社長に呼ばれます。社長は彼に「君はここで働くにはもったいない人間だ。もっといい所へいきなさい」と伝え、彼を解雇したのでした。
私はFさんにその三日間に何があったのかを尋ねましたが、彼はただ普通に働いただけだと答えます。おめでたいことに、彼はその社長から頼まれて辞めたのだと信じていました。その社長の言葉通りのものを信じていたのです。でも、私には彼がうまく言いくるめられて解雇されたようにしか思えませんでした。彼は自分でも知らないうちに、何かしてしまったり、輪を乱したり、周囲に迷惑をかけたりしていたかもしれません。そうでなければ、忠告や勧告もなく、三日目にしていきなり解雇を言い渡されるなんてあり得ないと私は考えたのでした。しかも社長のその言い方は、つまり相手を持ち上げておいて解雇を言い渡すそのやり方は、伝えにくいことを、反論されないように上手くくるんで、相手に伝えるやり方のように私には見えてしまうのです。
いずれにしても、彼の人生で初めての労働経験は三日で終わりをつげ、彼は再びアルバイト探しの段階に戻ってしまったのでした。その経験から、何かを学ぶことができればいいのですが、彼は自分は社長から直々に頼まれて辞めたのだということをどこまでも信じて疑わないのでした。
(153―2)資格の拒否
彼がいろんな夢や願望を語っていた時期があるということは前項で述べましたが、その願望の一つにコンピューター関係のある職種がありました。その職種は、彼の夢や願望の語りの中に繰り返し現れていたものでした。Fさんはそれなりにコンピューターにも詳しいようでしたが、その職業は少し高度な知識や技能が必要なもののようでした。
偶然にも、その当時、他のクライアントでコンピューター関係の仕事をされている人がいました。「うつ病」と診断された男性でしたが、その頃にはかなり回復していました。私はそのクライアントに、面接後少し時間を割いてもらって、実はこういう仕事をしたいというクライアントがおられるのだけれど、その仕事に就こうとするならば、どういうルートや方法があるだろうかと相談したのです。
その男性は、それならまず資格を取得しておいた方がいいと話されました。その仕事に就くに当たって、特に必要な資格というものがあるから、それを取得して、就職活動するのが一番近道だということでした。
尋ねたついでにもう一つの気がかりもその方に訊いてみました。その人はひきこもりを続けてきて、今までほとんど就労経験がないのだけれど、そういう人でも大丈夫だろうかと尋ねました。その方の話では、それはあまり問題にならないことが多いということでした。コンピューター関係の仕事に就く人には、多かれ少なかれ、ひきこもりのような傾向の見られる人が多いらしいので大丈夫だろうとのことでした。その資格さえ有していれば何とかなるのではないかと教えてくれたのです。
私は道が開けるような思いがして、その次にFさんと面接した際に、それを話してみました。彼は今でもその仕事に就くことができればいいとは思っていました。それなら資格取得を目指してみないかと、私は彼に勧めます。ところが彼は嫌悪の表情をあからさまに現して、「そんな資格は必要ありません」と豪語します(注)。
(注)これもまたFさんの抱える「病理」の本質的な部分と関係している反応です。これに続いて述べられるFさんの理由はそれ自体まったく重要でもない事柄なのです。
「どうしてそう思うの?」と尋ねます。彼は、「資格なんて、その資格の協会が儲けるためのものでしょう。そんなもの要らない」と答えました。彼のこの態度はそのまま彼と世界の関係を表すものとしてとても興味深いものではありますが、そこは一旦棚上げにして、私は「資格協会はどうであれ、その資格を取得しているかしていないかの違いなんだ」と言ったのです。何を言われようと、彼は頑として資格取得を拒むのでした。
なぜ、資格取得を目指すことを彼は拒まないといけないのでしょう。取得までに何年かかってもいいのに。失敗を恐れているのでしょうか。その本当の理由は私には分かりませんでした。でも、資格協会云々という話はどうでもいいことで、問題は、彼が自分がしたくないと思うことは、何があってもしないというその態度にあるのです。特に、自分の意に沿わない事柄を他者から言われることに関しては反抗したくなるようです。
実際にその現場で仕事をしている人がその資格が必要だと言っているわけですから、それは確かな情報なのです。実は、その後も、この情報を教えてくれたクライアントさんから、あの人(Fさんのこと)はどうしてますかと尋ねられて、私は恥ずかしいような思いを繰り返し体験しました。まさか、資格協会に反対しているとは言えないので、「いろいろ検討しているようです」と言葉を濁す羽目になったのでした。
(153―3)繰り返される抵抗と拒絶
Fさんのアルバイト探しは続いています。一方で正社員雇用のためにも動いています。ここまで活動的になれたことは評価すべきことなのですが、いい返事は一通たりとももらえませんでした。
彼がアルバイトから始めるということは、彼を担当しているハローワークの職員さんもすごく賛成してくれているそうでした。また、彼の家族も彼を励まし、後押ししようとしていました。
ところで、彼には限られた人間関係がありました。ネット上のある掲示板に彼は参加していて、時折、掲示板のメンバーで会う、いわゆる「オフ会」が開かれるそうです。年に一回か二回くらいそうしたオフ会があるらしいのです。
そのオフ会に、彼も気分次第で参加することもあるそうです。実際には過去に3,4回顔を出した程度らしいのですが。
さて、彼のアルバイト探しもうまく進んでいません。年齢や経歴がネックとなって、なかなか採用されないのです。
そんな折、父親が知り合いの社長の会社でバイトを募集しているから声をかけてやろうかとFさんに持ちかけてきました。彼はその話を私にして、「どう思いますか」と尋ねます。彼のこの態度、私に意見や決断を求めてくる態度には一つのFさんなりの法則があります。それが彼の意に沿わない事柄に関しては、他者に意見を求めるという法則であります(注)。私にはうすうすそれが見えていました。その時は「Fさんが決めることだ」と前置きして「一つのチャンスとして捉えればどうだろう」と私は答えたのです。
(注)これもまたFさんの抱える「問題」と深く関係している事柄であります。「どう思いますか」と尋ねられて、「あなたはどう思うの?」と質問で返すと、この種の「問題」を抱えている人にとっては不愉快な体験となるものです。時にはキレる人もあります。だからある程度こちらの考えを述べなければならないのです。関係を維持するためにそれをしているのです。そして、彼が決断を下せないのは、彼がそれに抵抗しているということもありますが、自分独りではこの抵抗感を扱うことも処理することもできないでいるということをも示しているのです。そうして決断を誰かに丸投げしたくなるのです。
翌週、来談して、Fさんは話します。彼は父親にその提案を承諾した旨を話したそうです。父親は、早速その会社に連絡して、近いうちにその知り合いの社長さんと面会する約束を取り付けてきたのでした。
私の個人的な考えでは、それが父親の推薦やコネであれ、状況が厳しくて可能性が限りなく閉ざされているような場合では、何でも利用すればいいと思っています。そうして次の段階に進むということの方が、Fさんのような人の場合では特に必要なことだと考えています。一か所で停滞してしまうことは避けたいのです。停滞期間が長引けばそれだけ不成功体験を積み重ねてしまい、彼の士気を削いでしまうように思われるからです。
少しでも物事が前に進めばと願いつつ、さらにその翌週、私はFさんと面接しました。今回は彼の父親とつながりがある会社だし、面接まで父親がすべてセッティングしてくれているので、何とかなりそうだと私は思っていました。
私は「どうだった?」とFさんに訊いてみます。「何が?」と彼は何食わぬ顔で答えます。お父さんのツテでそこの会社の社長さんと面接したのでしょうと、私が尋ねます。彼はまるで関心がないかのように、「ああ、あの面接は行きませんでした」と答えたのです。
彼の話では、社長さんとの面接するその日にたまたま前述のオフ会があって、前々から参加を誘われていたそうです。急遽、彼はオフ会に参加するとメンバーに伝え、その日はオフ会に行っていたのでした。そうして、彼を雇ってもいいと言ってくれている社長さんとの約束を彼はすっぽかしたのでした。
「どうしてオフ会の方に行ったの」と、呆れるような思いで彼に訊きました。彼は「僕はもう就職するのですよ。就職したらオフ会にも参加できなくなるじゃないですか。だから最後のオフ会になるから参加しておきたかったのです」と、しれっとして話すのでした。
Fさんとのカウンセリングでは繰り返し失望を経験しましたが、さすがにこの時は私も態度にそれが現れてしまっていたのでしょう。私のようすを見ても、彼は悪びれることなく「僕が何かしましたか」と尋ねる始末です。
同じように、父親を含め、家族も、その社長さんも、ハローワークの職員さんも、この話を耳にすれば失望を隠しきれないのではないかと私は思うのです。
そしてこれは以前と同じものなのです。妹さんの結婚式の帰りに遠方からタクシーで帰宅して親に料金を支払わせたのと同じことを彼はしているのです。彼は抗議しているのです。こういうやり方でしか彼はそれを表明できないのです。仮にそれを指摘しても、彼のことだから、僕は誰に対しても抗議していませんと答えることでしょう。
周囲の人の尽力を彼は悉く無に帰してしまうのです。心の深い所に憎しみがあるから、彼はそれをしてしまうのでしょう。また、彼の自己愛のために、周囲の尽力が目に入らないのでしょう。この憎しみや自己愛は最初から取り上げない方がいいと考えた私は、自分が間違っていたと痛感しました。最初からそこだけを取り上げておくべきだったと後悔し始めたのです。時間が二倍かかってもそうしておくべきだったと感じたのです。
思わず態度に現れたとは言え、私のその態度はFさんを驚かせたようです。意外だという顔をされたのを覚えています。
その回を終え、翌週、いつものように予約されていましたが、彼はすっぽかしました。無断キャンセルしたのです。私も彼を引き留める気にはなれませんでしたので、彼とはそこで縁が切れると思いました。その三週間後に彼から再び連絡が入るまでは。
Fさんとのカウンセリングのここまでが第一ラウンドで、初回の面接から数えて、およそ十か月ほど経過していました。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)