<テーマ161> 薬について(2) 

 

(161―1)薬への不安と処方医との関係 

(161―2)関係の改善は薬にも影響する 

(161―3)服薬を拒む人たち 

(161―4)服薬の基準 

 

 

(161―1)薬への不安と処方医との関係 

 クライアントと面接していると、時々、不思議な現象と遭遇することがあります。精神科などで処方された薬を私に見せて、これはどんな薬なのかとか、これは服用して大丈夫でしょうかなどと私に尋ねるのです。 

 そういう時、私は薬に関しては専門外なので何とも答えられないとクライアントには伝えることにしています。そして、その薬を処方した医師に尋ねてほしいと頼むことにしています。 

 処方された薬に関しての不安を私との間で解消したいと思うのかもしれませんが、私にはそれにお答えすることができないのです。処方した医師との間でそれは解消されるべきだと私は考えているのです。 

 クライアントの薬へのそのような不安は、そのままその薬を処方した精神科医に対しての不安や不信感を示しているものだと私は理解しています。そして、その感情はクライアントにも不利益をもたらすことになると私は思いますので、できるだけ医師と相談して、その不安は解消されることをお勧めします。 

 薬にはプラセボ効果というものが知られています。処方した医師への信頼感の程度が、その薬の効用にも影響するのです。もし、医師に対しての不信感があると、効果のある薬も効果を発揮しないという状態になる可能性があると思います。 

 従って、薬そのものに対する不安を解消することよりも、医師との関係が改善されることの方がその人にとっても望ましいことだと私は考えているのです。 

 もっとも、処方した医師に不安が表明できないから、その医師が処方した薬に対してそれを表明せざるを得なくなるのだろうと思います。質問したクライアントたちは、そういう医師よりも私のようなカウンセラーの方が言いやすいと感じているから、私にそういう質問をされるのだろうと思いますし、中には、私に動いてほしいという期待を抱いていた方もおられただろうと思います。でも、それはあまり上手い解決策ではないものです。私が答えても、その人の代わりに医師に尋ねても、その人が医師に対して抱いている不安はそのまま残るからです。 

 ところで、こうした事態は私には由々しき問題だと思われるのです。というのは、薬を処方した医師や「治療」に対しての不安や不信感が強すぎて、つまり抵抗感が強すぎて、本来なら効用のある薬が十分にその効用を発揮できないとなると、より強い薬が処方されたり、あるいは服薬期間が長引いたりという事態に発展するかもしれないからです。 

 従って、前述のような質問をされるクライアントに対して、私が伝えていることは、薬のことは処方した医師との間で解消するようにということに加えて、その医師を信頼しなさいということです。もしくは、どうしても信用できないというのであれば、信用できる医師を探すか、信用できないという感情の背景にある事柄をみてみましょうと提案するのです。私ができるのはそこまでだと思っています。 

 

(161―2)関係の改善は薬にも影響する 

 医師への信頼感が薬の効果に影響すると聞いても、ピンとこない方もおられるかもしれません。でも、それは事実だと私は捉えているのです。 

 ある女性のクライアントでしたが、彼女はとても不安が強く、精神科で抗不安薬を処方されていました。彼女が私のカウンセリングを受けるようになって、ある時、述べられたのです。カウンセリングを受けるようになってから、薬をまったく服用していないと、そして、薬なしでもやっていけているということなのです。 

 これは別に私が優れているとかいう話ではないのです。彼女はその医師に対して信頼できないでいたのでした。そして、その医師から処方される薬に対してたいへんな抵抗感があったのです。それで長い期間服用続けても、何も改善されないできたのでした。 

 彼女は私のことをとても信頼してくださいました。彼女の住まいから高槻へは少々交通が不便なのですが、それでも彼女は私の所へ毎週通ってくれたのでした。私に会う前から私のことを信頼してくれていたようです。この信頼関係が彼女を支えていただけのことなのです。 

 従って、この医師が同じような信頼関係を彼女と築けていれば、彼女は十分改善していっただろうと私は考えています。信頼している医師から処方された薬は、きっとよく効いただろうと思うのです。 

 

(161―3)服薬を拒む人たち 

 中には薬を服用することを頑なに拒否する人もおられます。その理由の最たるものが、薬を服用して、その薬に依存してしまうのではないかという恐れであります。この点を次に考えてみたいと思います。 

 この恐れは精神科の薬に特に強くみられるものです。世間ではダイエットの薬やサプリメントの類がたくさんありますが、それらに依存してしまうのではないかと言って拒否する人を私はあまり見かけないのですが、抗鬱剤や抗不安薬、睡眠薬などに関してはこの恐れは頻繁に見られるのです。これはなぜなのでしょうか。 

 まず一つ言えることは、その人は不安の強い状態、うつ状態などにあるわけです。不安の強い状態で薬のことを考えるから、不安な結果しか思い浮かばないのだと思うのです。うつで罪責感の強い状態で考えるから、とても悪いことに手を染めようとしているように見えてしまうのだと私は思うのです。 

 その人の今現在の状態が今後の予測にある種の色彩を添えてしまうものであり、これは薬以外の領域でもよく見られることです。不安に襲われている人は真っ暗な将来しか思い描けないものであり、憎悪に燃えている人は攻撃的な、あるいは被害的な将来を見てしまうものなのです。 

 しかし、薬を服用すると依存してしまうから薬は飲まないと言い張る人は、薬に対して敗北宣言をしているようなものだと私には思われるのです。その人は薬に対して自分は無力だとおっしゃっているわけです。薬は私よりも強く、私を支配すると主張しているのと同じことなのです。 

 この問題は、決して薬の服用に関するものだけではありません。自分自身にそれだけ信を置けないというところに、この人の「心の問題」があるように私には思われるのです。 

 また、次のような例も私は経験しました。クライアントは「うつ病」と診断されるような女性でした。実際、その時にはひどい抑うつ期に入っていて、生活の大部分が障害されていました。それでも彼女は医師にかかることを拒んでいるのです。その理由は、実は彼女は妊娠していて、もし精神科の薬を服用すればお腹の中の子供に影響が出るということを心配していたのです。 

 私は精神科医からそのような説明を受けたのですかと彼女に尋ねてみました。彼女は精神科には行ってないけれど、そういう話を耳にするからと言うのです。 

 薬に関しては専門外なので迂闊なことは言わないようにしたいのですが、彼女が妊娠しているということであれば、そのことも考慮して薬が選ばれるだろうと私は思うのですが、彼女はそのようには信じられないのでした。彼女の中では副作用が生じるのはすでに決定されていることであり、事実なのでした。 

 精神科を受診すると薬が処方されるから、精神科ではなく、私のようなカウンセラーのもとで「治療」したいと彼女は訴えるのです。私は彼女とのカウンセリングを続けていくことに自信がありませんでした。そこで、薬を服用するしないにかかわらず、精神科医と協力してやっていくのであれば、私は引き受けることを彼女に伝えたのです。私の言葉は彼女をひどく落胆させてしまったようです。でも、彼女の状況を考慮すると、医師の助けもなければ私は引き受けられないのです。 

 ちなみに私はこのように考えています。彼女は初婚で、今回人生で初めての妊娠でした。この不安や恐怖感が根底にあるだろうということです。この妊娠は彼女が望んでいたことなのだろかということも私は知りたいと思いました。妊娠、また結婚ということは、彼女にとってどのような意味があっただろうかとも思うのです。 

 彼女が「問題」として提示しているのは、「うつ病」以後のことであるということに注目したいと思います。彼女は「うつ病」の治療に抵抗感があるのですが、それは「うつ病」の発病とは違うということです。発病はそれ以前の何かを契機としているはずです。そこが「問題」となるのです。しかしながら、彼女の状態を見ると、そこまで掘り下げていくような話し合いに耐えられる感じではありませんでした。 

 従って、彼女の薬に対しての抵抗感は、そのまま「治療」への抵抗感や彼女の人生上の出来事に対する抵抗感を表しているようだと私は考えています。彼女がそこまで視野を広げることができるかどうかは疑問でした。そこに至るまでにかなりの時間を要することになるだろうと思われるのです。 

 もう一つ、この女性の例に関して、私の個人的な意見を述べさせてもらおうと思います。あくまでも個人的な意見だということを再度強調しておきます。もし、「抗うつ薬」の副作用が出て、子供に影響を及ぼしたとしても、「うつ病」のままで子供を産み、育てるよりかはいいということです。どちらも多少なりとも問題点が考えられるのなら、より望ましい方を選択する方がいいと私は考えています。 

 もし、「うつ病」のまま彼女が子供を産んだとします。彼女はおそらくこの子の存在に耐えられなくなると思います。この子を産んだ自分を責めるようになるかもしれませんし、生まれたこの子を不憫に思うようになるかもしれません。何よりも、子育ての負担に彼女は耐えられなくなるでしょう。精神薬の副作用からは免れても、この子も「心の問題」を抱えざるを得なくなるでしょう。 

 

(161―4)服薬の基準 

 事例の記述が長くなってしまいましたが、ここまで述べてきたことは、薬に対する抵抗感は処方した医師との関係とも関係があるということであり、ある人が薬を拒否するのは薬以外のさまざまな要因がそこに絡んでいるということでした。 

 ところで薬を、特に精神薬を、飲んだ方がいいのかどうかを、医師以外の人間はどこで判断したらいいでしょうか。次にこの問題に関しての私の個人的な見解を述べようと思います。 

 私がクライアントにも説明することは、日常生活の営為に支障が見られるようであれば、薬を飲むということ、精神科などに受診することを検討してくださいということです。私たちはいくつもの日常生活上必要な行為をしています。それらが困難になっているというような状況では、薬を服用することも考えましょうということです。 

 私たちは、たとえ「病気」であっても、日常生活を営まなくてはなりません。薬が状態を整えてくることによって、日常の営為が可能となるのであれば、その服薬は意義があると思います。 

 「うつ病」と診断された人からよく耳にするのですが、ひどい時には、布団から出ることも、服を着替えることも、歯を磨くことも億劫だという状態になることもあります。先述の女性もすでにそのような状態に落ち込んでいました。そして、自分が何もできなくなるということ、廃人のような自分を見てしまうということは、その人をさらに落ち込ませることになります。薬が状態を整えてくれて、少しでも日常の行為が可能となれば、それだけその人の落ち込み体験を少なくすることができると私は思います。ただし、これは「治癒」という意味ではないということを再度強調しておきます。 

 日常生活ができて、その人の生が維持できるということ、それが一番大切なことだと私は考えています。たとえ、無為な一日であろうと望ましいことが何一つ起こらなかったとしても、生が継続している限り望みはあるものです。私はそう考えているので、薬がそれに役立つのであれば、薬も服用するにこしたことはないと考えているのです。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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