<テーマ150> ベテランの就労(1)
(150―1)「ベテランの主訴を巡って
(150―2)Fさんの不登校いついて
(150―3)家族のこと~母親について
(150―4)家族のこと~父親について
(150―5)家族のこと~妹について
(150―6)見立て
(150-1)「ベテラン」の主訴を巡って
ひきこもり歴が10年も20年もあるという人を、私は個人的にひきこもりの「ベテラン」と呼びたいのです。それだけ長期間ひきこもることはとても難しいことであると私は考えていますので、この「ベテラン」という言葉にはある種の尊敬も含めています。
この「ベテラン」たちがカウンセリングを受けに来ます。その主訴は、私の経験した範囲では、多くの場合、「働けるようになりたい」というものでした。カウンセリングは就職活動とは全く異なる作業なので、カウンセリングを受けたからと言って就労できるとは限らないのですが、彼らはそのような主訴で訪れ、私もまたその主訴に沿って共同作業を推し進めていくことになります。
ひきこもりは、そのきっかけとなった事柄が何であれ、親とか家とかいう基盤の上で成立するものです。ひきこもり歴が20年あるということは、その間に、当人も親もそれだけ年を取っているということであり、親がそろそろひきこもりの子供を養えなく感じ始める年齢に達していることが多いようです。
ベテランの親たちは、何とかして、何でもいいから働いてくれと、子供に真剣に頼むようになります。それまでは、いつか働いてくれるだろうという観測的な期待でやってきたのですが、親にもそろそろ現実の厳しさが実感されてくるのではないかと私は感じます。
そこからベテランたちがどのように動くかは人それぞれなのですが、カウンセリングを受けに来るベテランたちは、単に何か有益な知恵が得られるかもしれないという期待、その程度の期待、を抱いて訪れる人も多いように私には感じられます。その背後にある自分の問題に目を向けることは避けたいという傾向が強いという印象が私にはあります。
いずれにせよ、このような事例においては、私はまず彼らの就労の方に焦点を当てることにしています。長期的な、それも内面的な心理療法が彼らには必要であるとは言え、それは結果的にひきこもり期間を長引かせ、就労を遅らせることになりかねないからです。また、彼らが就労しようと動き始めたチャンスを逃したくないという気持ちもそこにはあるからなのです。
さて、彼らの就労を支援して、何とか職に就いてもらうために私も力を貸そうとするのですが、それはとにかく苦難の連続であります。本項では、一人のベテランの就労過程を追いながら、彼らの就労にまつわる諸問題、並びに関連する事項などを順次述べていく予定をしております。
尚、他の多くの事例同様、このクライアントも現実のクライアントに基づきながら、個人が特定できないように、他の複数のクライアントたちのエピソードを交えています。
(150-2)Fさんの不登校について
相談に来られたのは30代後半の男性でした。ここではFさんと呼ぶことにします(注)。Fさんは中学生の時に不登校になり、そのまま現在までひきこもりをしてきたのでした。従って20数年のひきこもり歴があるということになります。
(注)Fというのはクライアントの実際のイニシャルとは無関係であります。順番に付しているだけであり、深い意味はありません。離婚問題を経験したA氏(テーマ42~45並びにテーマ96)、解離性障害を呈したB夫人(未公開)、霊体験に悩み続けたC夫人(未公開)、境界例と診断された女性Dさん(未公開)、うつ病治療例のE氏(電子書籍のために書き下ろしたが未公開)、そして今回のFさんへと続いているだけであります。
Fさんは中学1年生の中ごろから登校を渋るようになり、2年生に上がる頃にはまったく登校しなくなったそうです。不登校のまま中学を終え、高校には行きませんでした。20代の頃に高校卒業の資格だけは得ていましたので、一応、学歴としては高卒ということになります。
ここで、本題から外れますが、Fさんの不登校のいきさつを見ておきましょう。彼は小学校はほとんど無欠席だったそうです。あまり小学校時代のことを彼は話しませんでしたが、それは恐らく彼の中で断絶されているからでしょう。そして中学に上がり、クラブにも入部したのですが、主にその部活での人間関係で悩み始め、登校が負担になったということでした。
不登校に関して、私はそれが発生する時期に応じて3タイプに分けることができると考えています。それを大雑把に言えば次のようになります。
小学校低学年頃に始まる不登校は、主に親子関係の問題からくるものです。
小学校の高学年頃から中学生の間で始まる不登校は、主に人間関係によるものです。
高校生以後の年代で生じる不登校や出社拒否は、その人のアイデンティティに関係しているものです。
それぞれに違いがあるのですが、Fさんが経験した中学時代の不登校についてここでは述べることにします。
彼らがその時に苦悩する人間関係とは、主に、友人たちの多面性に起因することが多いように思われます。大体、早い子で小学校の中学年くらいから相手に応じて顔を使い分けるということができるようになります。その子が友達のA君といる時とB君といる時とではまったく別人のように見えたり、同性の友達と異性の友達とでは態度が違ったり、さらには先生に対して向ける顔と親に対して向ける顔もそれぞれ違うということを体験してしまうのです。
この時期に不登校を経験した人の話を伺うと、まずそのようなエピソードが見られるものであり、彼らはそこでたいへんな混乱を経験してしまうのです。
Fさんもまた同じような体験をしていました。部活の友達が、教室にいる時とクラブにいる時とでは別人のようでしたし、その場に他の友達がいるかいないかによって、また、どの友達がその場にいるかによって、彼への態度が異なっていたのです。彼はこの事実を受け入れることができず、理解することも当時はできなかったのです。そのため、当時、彼は相当悩んだことだろうと思います。仲の良かった友達のその態度の豹変ぶりに対して、彼は徐々に人間不信になっていったと語っています。
もう少し分かり易い言葉でこの現象を言えば、当時のFさんには人間にはウラとオモテがあるということが理解できず、受け入れることもできず、そういうことをしている友達を信用できず、人間にそのような現象があるということさえ否認したくなっていたのでした。
彼はアニメを見るのが好きでした。ある時、私はその理由を尋ねてみました。彼の答えは印象的でした。アニメでは登場する人や世界が「真っ直ぐ」だからと言うのです。この「真っ直ぐ」という表現は、言い換えると、「裏表がない」という意味だったのだと私は感じました。
これまで裏表のなかった友達に、ある時、突然、その友達の表と裏を見てしまったのです。彼はそういうことをしている友達を軽蔑し、嫌悪するようになりました。さらに不幸なことには、学校にはそのような生徒ばかりが周りにいると感じられてきたのでした。彼はこんな学校には居たくないと真剣に思ったそうであります。あんな子たちと一緒になるくらいなら、学校に行くことを断固拒否すると、最初はそのような気持ちだったようでした。
(150―3)家族のこと~母親について
彼が不登校になってから、何度も担任の先生が家庭訪問をしたり、かつての友達が心配して彼を訪ねてきてくれたりしました。彼は彼を訪問する人をすべて追い返していました。この「追い返し」ですが、彼が自ら追い返したのではなく、母親に追い返させていたのでした。
母親は彼にとって味方であると感じられていた人でした。なぜなら、母は「僕の言うことを聞いてくれるからだ」ということでした。このことは、つまり、母親は彼の言いなりになってしまう傾向があるのかもしれません。
彼の母親とは、彼の言いなりになってしまうほど無力だったのでしょうか。彼の話では、家庭では母親が一番力があって、父親はむしろ影が薄いのでした。彼には妹が一人いましたが、妹は普通に大学を出て、職に就き、結婚までしています。
ひきこもりのクライアントたちの両親と言うと、大抵そのような感じであります。まず、父親が存在感がなかったり、離婚して不在だったりしていますが、まず彼らは父親とは仲が悪いのです。時には激しく父親を嫌悪している例もあります。クライアントが男性の場合、このことは彼が理想化し、同一視する対象が欠けているということを示しており、家族力動に関しては、子供を外の世界へ押し出す役割が欠けていることを意味します。
彼がひきこもりのベテランになったことには、この家族関係、並びに家族の力関係の影響があるわけなのです。
ところで、彼の母親という人が、彼の話によれば、とても教育熱心だということでした。母親は事あるごとに、「息子の意志を尊重して」とか「息子を受容して」とかいう表現を用いていたそうです。
さて、ここには母親の、それも養育熱心な親の陥りやすい誤謬があるように私には感じられます。それは「受容すること」と「要求を満たすこと」の混同であります。
子供があることを要求します。その要求を満たしてあげて、そのことで子供を受容したと勘違いしてしまう親が案外多いように私は感じています。これは医療や教育、カウンセリングの現場などでも時に生じてしまうことであります。
その人を受容するということと、その人の要求を満たしてあげるということとは、本当は別次元の話なのです。従って、相手の要求にノーと言っておいて、同時に相手のことを受容するということもできるわけなのです。あなたのその要求には応じられないけれど、今のあなたがそのような要求を出さざるを得なくなっている気持ちは理解できるし、その気持ちは尊重できるということを示すことは可能なことなのです。
Fさんには味方として感じられてきた母親は、少なくともこの一点においては間違っていたのです。
(次項へ続く)
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)