<テーマ122> プラス思考志向が導くもの 

 

(122―1)マイナス思考への注目 

 私はプラス思考というものをよく理解していません。よく理解していない上でこういうことを綴っていっているのです。もしかすればプラス思考に関して、正しい理解をしておらず、正しい用い方をしていないかもしれません。その点はご容赦願いたいと思います。 

 ある人が失敗を恐れて行動を起こすことができないという時、その失敗を恐れるという思考は、恐らくマイナス思考に分類されるのでしょう。実際、マイナス思考ということをそのような意味合いのものとして述べられたクライアントもおられました。 

 今度はマイナス思考の方にも注目していくことにします。マイナス思考というものは、それほど忌避され、切り離されなければならない思考なのでしょうか。 

 

(122―2)異性と会話できないと訴える男性の例 

 ある男性クライアントは女性と会話することができないと訴えます。彼は女性たちから嫌われたり、変な人と思われたりすることに耐えられないのです。そして、その不安は彼には容易に実現しそうな感じがしているのでした。彼は自分のそのような思考をマイナスと捉え、もっと自分の考えをプラスにしていって、行動を起こせたらいいのにと語りました。 

 ところで、この男性の思考は、それほどマイナスなのでしょうか。それほど排斥しなければならない思考なのでしょうか。彼は若い男性でした。異性が気になり始めているのです。遅ればせながら、彼は多くの人が思春期に通過する問題に差し掛かっているのです。こういう時期に、異性から嫌われたり、変な人間だと思われたりするのはとても耐えられないと感じるもので、それ自体がおかしいなどと言うつもりは私にはありません。私たちは皆その段階を経験しているものではないでしょうか。私にも経験があります。だから、私から見ると、彼の困難は人間なら誰もが多かれ少なかれ経験することの範囲内にあるものであり、思考様式の問題ではないと私は捉えていました。 

 プラス思考とかマイナス思考とかいう概念を持ち出すと、多くの物事が見えなくなるものです。彼の話を根気よく聴いていくと、彼が女性と会話できないのは、嫌われたり、変人と見られたりするのが怖いというだけではないようでした。彼が感じている困難のより本質的な部分は、女性と親密な関係になってしまうというところにあったのです。親密になった時に、自分が自分でなくなってしまうのではないだろうかという恐怖感に襲われているということが、後々見えてくるようになったのです。 

 彼は一方では女性ともっと付き合いたいと願っています。同時に、親密になってしまったとしたら、自分はどうしていいか分からないと恐れていたのです。カウンセリングに訪れた時、彼には恐れの方はまるで意識されていませんでした。彼はその恐れを意識する代わりに、プラス思考できないでマイナスの思考をしてしまうということを持ち出していたのです。これは彼をして、問題の本質を見えなくさせ、取り組むべき問題をすり替えさせていたのです。 

 

(122―3)成功してしまうことへの恐れ 

 この男性のような例を読まれると、人によっては「本当かな?」と懐疑的になられるかもしれません。私の見解では、あることに失敗するのではないかという恐怖感と、その同じことに成功してしまうのではないかという恐怖感とが一体になっていることも多いものです。 

 私が最近体験した同種の例は、宝くじでした。宝くじを当てようと思って購入したのですが、それが外れて、落胆すると同時に、どこかホッとした気持ちも体験しました。その時、私は「宝くじが当たったらいいな」と期待しているのと同時に「宝くじが当たったらどうしよう」という不安も抱いていたのを改めて実感したのです。 

 もう一つ例を挙げましょう。恋人から捨てられるのではないかと恐れている女性がいるとします。この女性が根拠もなく「私は恋人から捨てられる」と考えているとすれば、それはマイナス思考ということになるのでしょう。でも、この場合も、その思考がマイナスであるとかいうことは、ほとんど重要ではないのです。 

 恋人から捨てられるという恐れを抱いている女性がもっとも苦しむのは、その恋人と一緒にいる時であることが多いのです。彼女が一人で過ごしている時よりも、恋人と一緒に居る時の方がはるかに強い恐怖を体験しているものです。この女性はいわば、成功している時(恋人と一緒にいる時)にこそ失敗の恐怖(恋人から捨てられる)を体験しているのです。 

 そして、より親密になればなるほど、捨てられるということに対する恐怖感も大きくなるのです。こうなると、親密になるということ(成功すること)は大きな恐れへと発展していくのです。 

 ここに述べた女性は私の創造でありますが、現実にこのような女性とお会いしたことがあります。彼女は恋人と一緒に居る時ほど、一層恋人にしがみつかなければならなくなっていました。一人で居る時は、恐れというよりも不安に近い感情のようでした。しかし、恋人と一緒の時は、明らかに恐怖に近い感情を体験されていたのです。 

 

(122―4)プラス・マイナス評価は自己欺瞞を生む 

 このような例を持ち出したのは、人間の思考をプラスとマイナスに分けることが、果たして適切な問いとなるのだろうかということを示したいからです。 

 「失敗したらどうしよう」と思い悩むのは、ある人たちにとってはマイナス思考とみなされるものです。逆に「大丈夫、きっと成功する」と考えることは、彼らにすれば、プラス思考ということになるでしょう。 

 しかし、恐れというものはそのどちらにも存在し得るということを先の例で示しました。失敗の恐れと成功の恐れとが一体となっている場合もあり得るのです。そのような場合において、一方をプラスと見做して理想化し、他方をマイナスと見做して切り捨てるのは、その人の抱えている現実や体験を見えなくさせてしまうのではないかと私は思うのです。 

 だから、極端な言い方をしますが、プラス思考とかマイナス思考という考え方は、多くの場合、その人を自己欺瞞に陥らせるものなのです。本当に体験している事柄に対して、その人を盲目にしてしまうのです。 

 もちろん、これは私の個人的な見解なので、反論される方もおられるでしょう。ただ、私の体験では、自分自身の体験していることに目を向けずに、ただ表層的な思考を捉えてマイナスをプラスに換えようと言っている人たちが多かったように私は思うのです。 

 前項で述べたように、プラス思考とかマイナス思考とかいう区別をしているのは当人であり、それを判断しているのも当人自身です。これは自己欺瞞に陥る、あるいは自己撞着に陥る危険があるということも述べました。本項では、プラス思考をしなければいけないと躍起になることで、その人が本当に見なければいけない部分に蓋をしてしまっているのではないかということを述べているのです。それを例を挙げて説明してきたのです。 

 

(122―5)より適切な思考のために 

 谷川徹三『哲学案内』(講談社学術文庫)によると、人が生活上の障碍に遭遇した時に、一つの反応の仕方として考えるということがあり、考えるという時には二つの方向があるということです。一つの方向は、その困難な状況を打破するために考えるということで、これは西洋の思考様式であり、この思考が科学や政治を発展させてきたのだと言います。もう一つは、その困難な状況に対して自分の心の持ちようを変えるために考えるということで、こちらは東洋思想に特有で、私たちにも馴染みのある考え方です。 

 少し余談になりますが、論理療法とか認知療法とか呼ばれる治療方法があります。私はそれらは前者の理論を基礎として有していると捉えています。つまり、自分の現状を変えるためにより適切な思考を身につけていきましょうという理論であると捉えているのです。ところが、日本人が認知療法を云々する時には、自分を状況に適合させるために適切な思考をしていきましょうと捉えている人が多いように私は思うのです。本当は、その両者の視点が持てることの方が大切であると私は考えます。 

 従って、その思考がプラスかマイナスかを問うよりも、その思考が状況を変えるのに役立っているのか心の持ちようを変えるのに役立っているのかを問う方がはるかに現実的だと私は考えます。 

 人の一生や生活はままならないもので、人間はいつでも必ず物事に成功するとは限らないものです。だから、どんな場合であれ、失敗した時のことを考えておくことは、むしろ有意義であり、論理的であり、現実的でさえあります。それをマイナスとして否定してしまうことは、その人をして必要な準備をさせなくしてしまうでしょう。 

 また、ある人がとても否定的な感情や思考に襲われたとします。その人の状況を考慮すれば、その否定的な感情がむしろ自然な感情であるということが理解できる場合もあります。それらをマイナス思考であると言って否定し、退けるとすれば、プラス思考というのはなんと非現実的で、尚且つ、暴力的な思考なのでしょう。 

 前項で、私はプラス思考をずっとしてきたと豪語した友人のことを述べました。彼が薄っぺらな人間に見えるというのは、このためです。自分の中にあるものを、マイナスとして切り捨ててきたから、彼には身につけたものが驚くほど少ないのです。 

 

(122―6)本項終わりに 

 前項と本項の二回に分けて、プラス思考ということに関して述べました。これはかつて旧サイト版に掲載した原稿に加筆したものです。基本的な見解は変わっていないのですが、これが自己欺瞞をもたらしているという点をより強調しています。つまり、プラス思考をしなければいけないというのは、間違った解決方法であり、その人を誤った方向へ導いてしまうという点を今回は重点的に述べました。プラス思考をしようというのは、常に自己理解の妨げになるものだと私は捉えています。 

 最近は、あまりプラス思考云々と言う人と出会うことも少なくなりましたが、「プラス思考」をそれ以外の今流行りの言葉に置き換えても、案外同じことが言えるのではないかと私は考えています。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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