<テーマ114>クライアントに生じる「動き」(続)
(114―5)「動き」はカウンセリングのプロセスを展開する
望ましい「動き」と望ましくない「動き」ということに関して述べてきました。望ましいか望ましくないかというのは、クライアントの観点から見てということでありまして、現実にはどちらの「動き」も重要で、意味があるものであります。
望ましい「動き」を体験した女性クライアントと、望ましくない「動き」を体験した男性クライアントの例を挙げましたが、どちらかだけを体験するという人はそれほど多くないものであります。私が経験した限りでは、一人のクライアントに両方の「動き」が体験されていることが多いのであります。
本項では、残りの部分で「動き」に関してのいくつかの事柄を述べることにします。
クライアントに「動き」が生じたかどうかということは、クライアントが報告してくれることもあればしてくれないこともありますし、クライアント自身が気づいていないという場合もあります。しかし、クライアントに「動き」が生じた場合、その「動き」は必ず面接場面において必ず表面化されるものであります。
具体的に言えば、クライアントの話が違ってくるのであります。例えば、前回までの面接で問題になっていた事柄が今回まったく触れられておらず、以前は周辺的だった事柄が今回はメインになっているとか、前回のテーマよりも今回のテーマはより進んでいるとかいうような場合であります。
私にはこのクライアントが前回から今回までの間に「動き」を経験しているという予測が立つのであります。つまり、クライアントの内面の「動き」は、クライアントの関心や視点をシフトするのであります。
誤解のないように申し上げておかなければなりませんが、前述のように、前回から今回までの間に「動き」が見られるという例もないわけではありませんが、多くは、先月と比べて、今はかなり「動いている」といったように、ある程度の時間枠を通して確認されることが多いのであります。劇的に「動き」が生じるということは、それほど多くないものであります。
今、一年以上続けて来てくれている男性クライアントがいるのですが、本人はまったく気づいていないかもしれないし、「ここに来て何かなるのだろうか」とまでおっしゃられているのですが、私が確認した限り、この一年以上のプロセスにおいて、少なくとも6回は「動き」があったのであります。この男性は、カウンセリングを始めた頃に頻繁にしていた話題をもはやしておりません。それとは無関係ではないにしろ、当時よりもより発展したテーマを今では話し合っているのであります。また、最初の頃には考えることもできなかった事柄を、今では話し合っているのであります。本人はあまり意識していないだけで、実はそれだけの「動き」が彼には生じていたのであります。
カウンセリングが継続的な方が望ましいと私が考えている理由の一つは、継続的に会うことで、クライアントの「動き」がお互いにより見えるからであります。一回会っただけのクライアントに対して、私はその人にどのような「動き」が生じたのかを見ることができないのであります。また、適度に間隔を空けるからこそ、こうした「動き」もよく見えてくるものであります。こういう事情があるので、標準型精神分析のように毎日クライアントと会うということに私は反対なのであります。
肝心な点は、クライアントに内面的な「動き」が生じると、カウンセリングが展開していくということであります。クライアントに「動き」が生じると、視点や話題がシフトしていくと述べましたが、この「動き」に支えられて、クライアントは今まで見ることのできなかった部分を見ることができるようになったり、新たな観点や思考がクライアントに生じてくるのであります。こうして「動き」は変容の第一歩となるのであります。
(114―6)何が「動き」をもたらすのか
では、何がそのような「動き」をクライアントにもたらすのでしょうか。これを簡潔に述べることは難しいのであります。クライアントによって様々であるからであります。
一言で言えば、クライアントがカウンセリングの場に於いて体験する事柄が、クライアントに「動き」をもたらすと言えるのであります。でも、ではどういう体験が「動き」をもたらすのかということは、一概には言えないものであります。そのクライアントにとって欠けている何かであるとしか、私には言いようがないのであります。
私が22歳頃に受けた初めてのカウンセリング体験を振り返ってみると、私はその時、生まれて初めて私の言葉に耳を傾けてもらえたということを体験したのでした。おかしな話に聞こえるかもしれませんが、私は私の言葉に耳を傾けてもらえるということが、当時は信じられなくて、また、耳を傾けてもらうこと自体を諦めていたような所があったのであります。カウンセリングで、私の話を聴いてもらえるということは、私にとっては初めての経験であったのであります。それまでの人生で得られなかったことや体験できなかったことを、初めて体験したのであります。私の場合はですが、この体験、初めての体験が後に生じる「動き」に少なからず影響していたのだと捉えております。
クライアントはしばしばそういうことを表現されるのであります。「初めてこのことを人に話した」とか「初めて理解できた」とか申されるのであります。強迫的儀式を続けていた男性も、初めて自分の抱えている不安に触れるという体験をしたのだろうと思います。今まで得られなかったことを初めて得たとか、体験できずにいたことを初めて体験したとか、避けていたことに初めて触れたとか、そういう体験は間違いなく「動き」をもたらすものなのであります。
(114―7)本項の要約
本項の要約をしておきます。
カウンセリングにおいては、クライアントに内的な「動き」が生じるということがテーマでした。
その「動き」は、クライアントから見て望ましいと思われるものもあれば、望ましくないものとして受け止められるものまであるのですが、どのような動きであれ、それは望ましいものであります。なぜなら、「動き」が生じるということは変容への第一歩であるからであります。
クライアントに生じた「動き」は、必ず以降の面接場面に持ち込まれるということ、それが面接のプロセスを展開していくということであります。また、面接場面での変化を通して、クライアントに「動き」が生じているということがお互いに確認できるということであります。
初期において、こうした動きを体験するクライアントの方が展開が速やかで、予後が良いという印象を私は受けております。但し、急激すぎる「動き」は、関係が切れるかもしれない危機を孕んでいます。
一方で、「動き」がほとんど見られないというクライアントもあります。このような場合は長期化する可能性があるということです。本項では述べませんでしたが、なぜ、このような「動き」の見られないケースが生じるのか、何が「動き」を拒否しているのかということもいずれ考察する予定をしております。
内面的な「動き」は、しばしばその人にとって意味のある体験をした時に生じるということも述べました。特に初めて体験するような事柄であると、必ずと言っていいほど、「動き」が生じるのであります。
(文責:寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)