<テーマ99> 離婚~性格の不一致

 

 よく芸能人なんかが離婚記者会見で「性格の不一致」が離婚の原因だと述べることがあります。これをお読みになられているあなたもそのような場面を見かけられたことがあるかと思います。「性格の不一致」のために離婚したと聞いて、私たちは何となく納得しているのですが、一体、「性格の不一致」というのはどういうことなのでしょう。

 そもそも、二人の人間がいて、各々には各々の性格があるとして、その性格が一致するということはあり得ないことだと私は思うのであります。

 一時、私は「性格の不一致」とは「性の不一致」のことではないかと考えたこともありますが、今では「性」に限定して考えてはいません。いずれにせよ、そこには何らかの不一致(ずれ)が体験されており、それが夫婦関係を維持していくことを困難にさせているということは理解できるのであります。それなら、この不一致(ずれ)はどこから生じているのでしょう。

 

 ここで再びA さんの事例に戻ります。

 前回までに述べたように、Aさんと妻とは「鍵と鍵穴」のような関係だったのではなかったかということでした。その関係においては、不一致は見られなかったはずであります。不一致が見られるようになったのは、彼がもはや援助を必要とする哀れな男性であることから抜け出た時からでした。おそらく、この時点で不一致がお互いに体験されてきたのだろうと思います。ただ、不一致をお互いに体験しておりながら、二人ともそれをそのままにしてきたのだろうということでした。

 Aさんの夫婦において、この不一致が生じたのが、彼が援助を必要とする人間であり、妻が援助を与えるという関係が破綻した時であると仮定しますと、次のような疑問が生じるのであります。確かに最初に形成された関係の破綻が離婚に結びついたと考えられるのですが、その最初の関係そのものはかつて結婚の動機でもあったものではないかという疑問であります。

 私はその通りだと思うのであります。Aさんの夫婦おいては、かつて結婚の動機であったものが、後には離婚の原因を形成してしまっているのであります。

 

 かつて結婚の動機であったもの(あるいは相手を好きになった理由)が、その後において離婚の原因(あるいは相手を嫌いになる理由)となってしまうということは、私は非常によく生じていると感じております。

 例えば、彼の無邪気で子供っぽいところに惚れたという女性がいるとしましょう。実際、このように語った女性と会ったことがあります。そして、交際し、結婚までしたのですが、今では彼女は、夫は単に大人になれないだけで、軽蔑しているし、母親役を取らされることにうんざりしていると感じているのであります。両親を大切にするところが彼の美点だったのですが、今では「マザコンなだけ」とまで言う始末であります。彼女自身はあまり気づいておられないようでしたが、彼女が夫に対して非難している箇所というのは、かつて彼女が感じていた彼の魅力であった部分であり、好ましいものとして体験されていたものであったのであります。

 また、別のある女性は、仕事熱心な彼に対して好感と尊敬の念を抱いていました。しかし、付き合い始めると、彼は「仕事に逃げている」だけであり、「仕事中毒なだけ」であり、頼まれると断れない「弱気の男性」だとわかったと語られました。彼女は彼のそこが好きになったはずなのですが、彼の同じ傾向が、今では嫌悪の対象になってしまっていたのでした。

 こうした例はいくつも挙げることができるのでありますが、基本的な構図は同じであります。かつて好きだったところが、今では嫌いなところになってしまっているというものであります。結婚の動機であったものが、離婚の動機になるという構図であります。

 

 私は人間関係というものは常に変動、流動していくものだと思います。決して不動のものではないと思います。つまり、お互いの関係において、常に何かが動いており、変化しているものだと思います。良好な関係が続いている間はそれで構わないのですが、付き合いが長くなると、少し合わなくなってきたとか、波長が合わなくなってきたというような感じを受けることがあります。「相手が変わってしまった」というように感じられる場合

もあるでしょう。何か噛みあわない感じがするといった形でそれを体験する場合もあるでしょう。

 こういう時、当事者自身が変わったのだというように考えても間違いではないと思います。しかし、当事者の一方が変わったということは、その人に関わる人たちとの人間関係に何らかの変化が生じることは想像に難くないのであります。ここで関係が変わっていくことになるわけであります。もし、その人との関係を維持していこうと思うなら、相手のこうした変化に自身が気づいて、自分自身もまたその人との関係を変えていくように努めなければならないと思います。もっとも望ましいと私が思うのは、相手の変化に臨機応変に対応できるくらいの柔軟性が備わっていることであります。一つの役割や関係に固執し過ぎず、その時々に応じて、相手と新たな関係を築くようなつもりで自身も変わっていくことだと思います。もちろん、こういうのは理想論かもしれませんが、そのように対応できることができれば、不一致はかなり防げるのではないかと思います。

 

 先に、彼の無邪気で子供っぽいところが好きだと言った女性のことを述べました。今では彼は大人になれていないだけと彼女には映ります。彼に対する見方が変わっているわけであります。この見方の変化は、彼女自身の心の変化によるものだと考えられます。

 彼女はどうするべきでしょうか。一つの解決策は、相手の子供っぽさを許容できるだけの自己拡張を行うということであります。これは彼女の方が彼に合わせて変えていくことになります。一方、彼の方が変わっていくようにこちらが関係を変えていくことも可能なことではあります。彼女がどんな彼になってほしいかを彼に伝えることもできます。しかし、彼女はそれをしてきませんでした。「夫は子供っぽい」と言うだけだったのであります。彼女は彼にもっと大人になって欲しいと願っていたかもしれません。しかし、それは決して口に出しては言いませんでした。つまり、彼女は自分の要求や望みを一言も語らずして、自分の望むように彼に変わってもらうことを期待していたのであります。これは一言で言うと「甘え」だと私は思います。

 

 人間は常に変容していくものであり、ある人が変容していくということは、その人が関わる人たちとの関係も否応なしに変容することになるのであります。かつて結婚の動機であったものが、離婚の動機となりそうな場合、それは関係を見直す一つのサインのようなものではないかと私は捉えております。一旦築いた関係というものは、不動のものでも、固定されたものでもありません。関係は常に流動的に変容していくものであります。関係は常に築きなおされなければならないものだと私は思います。一つの関係の在り方でやっていこうとすると、必ずどこかで破綻をきたすものであると私は捉えております。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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