<テーマ91> 「抑うつ前駆症状」~行動化
「抑うつ前駆症状」の4つ目は、「行動化」ということであります。前回までと同様、まずはウェイナーがどのように述べているかを見てみましょう。
ウェイナーの記述は次のようなものであります。
『多くの場合、行動化による行為―かんしゃく、逃走、種々の犯行、謀反、反社会的行為、非行など―は、愛されない、不十分な、価値のない人間という自分自身の根底にある観念に支配されることに対する青年期の若者の防衛である。古い諺にいわれる「何も考えずに一生懸命やれ」のように考えず行動するだけでなく、行動それ自体も、その行動が危険で、あるいは利用可能な範囲まで、若者は強く勇敢で有能な人間としての自己像を拡大しようとするであろう。(以下、省略。うつ病を避けるために攻撃的行動を利用すること。親や近親者の死後に反社会的行動が見られることを述べている)』
自分が愛されないとか、不十分、価値がないといった観念に支配されることに対して、それを防衛するために行動化が生じるということでありまして、青年期ではしばしばその行動が激しいものであったり、危険なものであったり、時には反社会的な行動を取るということであります。そうして自己像を、実際に彼が体験している以上のものにしようと試みるということであります。
成人の場合はどうでしょうか。あまり激しい行動化や反社会的な行動化をする人は少ないかもしれません。「うつ病」と診断されるような人はしばしば善良な人が多いので、現実にそのような行動を取ることは彼の良心が許さないのではないかと思います。しかし、「うつ状態」や「うつ症状」に関しては、時にそのような激しい行動化をする人も見かけるのであります。
成人の「うつ病」の行動化で、ウェイナーの挙げている項目の中で該当するのは、「逃走」ではないかと思います。かんしゃくや謀反、反社会的行為、非行といった事柄は、特に年齢が増していくほど見られないものであると私は捉えております。
この「逃走」はしばしば「出社拒否」という形を取ったりするのであります。私の経験した例では、ある朝、急に行けなくなるという形を取ることが多いようであります。本人はいつものように出勤しようとするのですが、どうしても体がついていかない感じがするようであります。
しかしながら、「出社拒否」ということは、「抑うつ前駆症状」とはもはや見做すことができないかもしれないのであります。「抑うつ」のかなり「本症状」に近い状態であると私は捉えております。
ある「出社拒否」に陥った若い男性は、その何か月も以前に、仕事上で失敗をしてしまっていたのでした。失敗そのものはそれほど大きなものではなかったようでありますし、それの処理も既に終わっていたのですが、彼はそれ以来、自分が碌に仕事もできない人間なのだという観念に襲われ続けていたようであります。それでもなんとかして名誉挽回とばかりに頑張ろうとしていたのでしたが、どうしても彼の納得のいく仕事はできないのでありました。恐らく、周囲の人たちから見れば、彼は十分すぎるほどの仕事をしていたのだろうとは思います。ただ、彼自身が納得いかないのでした。そして、自分の犯した失敗の埋め合わせができていないという気持ちのまま、彼は仕事を続けていたのでしたが、これは彼個人の中で生じていた、あくまでも個人的な感情でありました。失敗そのものはそれほど大きな失敗ではなかったし、その程度の失敗をしでかしてしまった人は同僚にも何人かおられたようであります。従って、周囲の同僚も彼の上司も、彼がしでかした失敗に関しては、もはや気にしていなかった可能性が高かったのでありますが、彼はそのような失敗をしてしまう自分がどうしても許されないのでした。この失敗は、彼の自尊心を木端微塵にしたのであります。彼はそれを回復することもできないまま、この「出社拒否」状態に陥ったわけであります。
彼は「うつ病」と診断され、休養を取ることが許されていました。しかしながら、自分が「うつ病」と診断されたことは彼にとっては屈辱的な体験だったようでした。また、そのために休養しなければならないということは、ますます自尊感情を回復できないように思えた、つまりますます自信を失くしていったのであります。そのような背景もあって、彼は休養もできず、回復までに長い時間を費やしてしまったのでありました。
成人の「行動化」は、しばしば嗜好品の増加として見られることが多いように思います。お酒やタバコの量が増えたとか、喫茶店に入る回数が増えたといったような形で見られることが多いように思います。また、インターネットやゲームなどに長時間耽るというような「行動化」も見られるようであります。
これらを「行動化」と見做すかどうかに関しては、異論もあるかと思います。むしろ、それ以外の行動が抑制されていると見做すべきかもしれません。どちらかといえば単調な活動に従事し、その人の活動がそれに限定されてしまうという感じであります。その活動をしている当人は決して、その活動から喜びも満足を得ていないだろうとは思います。しかし、それをするしかないのではないかと思います。
「抑うつ前駆症状」の「行動化」はしばしば厄介な現象であります。なぜなら、「うつ病」とは「行動が抑制され」て「行動できない病気」であると考えられているからであります。実際、私もそのように表現しました。そのため、このような「行動化」が「うつ病」とはなかなかすぐには結びつかないのではないかと思います。当人も周囲の人もそれを見過ごしてしまうか、見誤ってしまうかしてしまうことが多いのではないかと私は個人的に思います。反抗的であったり、非行に走っている若者に「うつ病」の可能性を考えることは容易でしょうか。その行動を支配している観念、感情を知らない限り「うつ病」を疑うことは難しいと私は思います。しかも、その観念なり感情なりということは、当人にしか分からないことであり、当人の報告に依らなければならないのであります。周囲の人が外側から見ている限りにおいて、その「行動化」が「抑うつ前駆症状」であるかどうかは分からないのではないかと思います。
この行動化は、「自閉的活動性」を帯びるものであると私は捉えております。「自閉的活動性」という概念を、私はミンコフスキーの「精神分裂病」(みすず書房)から借用しております。「自閉的活動性」に関しては、項を改めて述べたいと思います。今、簡単に述べておきますと、「自閉的活動」というのは、その活動が、その人に喜びや満足をもたらすことがなく、何も達成しないし、それどころか達成されるかどうかは問題ではなくなっていたりします。その活動は他者とは接触しないものであり、どちらかと言うと他者は無関係であり、自己没頭的で、その意味において「自閉的」なのであります。生命感情に基づいた行動ではなく、分かりやすく述べれば、時間つぶしのような活動を一人で延々としているといった人をイメージされるとよろしいでしょう。「うつ病」とは反対に、「躁病」の人は活動過多になるのですが、「躁病」の活動性もすべて「自閉的活動」であると述べても過言ではないと私は個人的に考えております。
他にも様々な「行動化」の形があり得ることだとは思います。どのような「行動化」があるかということは、調べてみれば興味ある研究になるかもしれませんが、あまり有益なものはもたらさないでしょう。肝心なのは、その「行動化」を生み出している感情や観念の方であります。ウェイナーの記述のように、自分が無価値であるとか、何の役にも立っていないとか、愛されていない、必要とされていないといった感情(「低い自尊感情」などと呼ばれるものであります)に注目しなければならないことなのであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)