<テーマ84> 初回面接 

 

 クライアントが予約した日時に訪れ、面接申込用紙に記入し、お互いの紹介が済んでから、私の方から若干の説明があります。この説明というのは、この面接を実施していくについての注意点や押さえておくべきポイントなどを述べます。大半はこのサイトのいくつかの箇所において述べられていることであります。この説明に関しては、ほとんど時間を取りません。

 その説明が終わったところで、面接が開始されます。初回面接はこの時点から60分を取るようにしています。

 この面接においてどのような展開がもたらされるかということは、各々のクライアントによって異なることであります。本項の以後においては、多くのクライアントが感じられることと、私が望むことなどを述べることにします。

 

 まず、初回面接とは当然のことながら、私は初めてクライアントであるあなたにお会いするわけであります。私はあなたのことを何も知らない状態でお会いしているわけであります。私はあなたのことを一から知っていかなければなりません。あなたのことが何も理解できなうちは、私は何一つあなたにかける言葉を持たないのであります。できるだけクライアントに彼自身のことを、彼自身の言葉で表現していただくということがここでは本当に大事なことなのであります。

 それから、しばしば生じていたことでありますが、クライアントの中にはこの初回面接において、失望される方もおられました。よくよく聞いてみると、そのような人は初めから何か素晴らしいことが生じると期待していたのでありました。あるいは、もっと内面に入っていくものだと思ってらした方もおられました。ここではっきり明言しておきますが、そのようなことは初回ではまず生じないものであります。

 初回面接での話し合い、また、それに続く数回の面接は、クライアントの外側のことを尋ねざるを得ないことも多いのであります。つまり、表面的な部分や外的な事柄に関しての情報を尋ねたりすることもあります。いきなり内面の問題や、深層のコンプレックスなどを取り上げるわけではありません。私が理想とするカウンセリング、またそれは望ましいカウンセリングでもあると私自身は思うのですが、それは表面的な浅い部分から、回を重ねるに従って、少しずつ深い部分へと目を向けていくような進み方であります。そして、一方で、深い部分に不必要に入り込むことは避けなければならないと私は考えております。深い部分にそれほど入り込むことなく、それでクライアントがうまくやっていけるようになるのでなればそれにこしたことはないと、私は個人的には考えているのであります。どこまでのところを取り上げなければならないかと言うことは、個々のクライアントによっても異なるところでありますが、いずれにしても、初回、および初期の面接というのは浅い領域から取り掛かるのだというように理解していただければよろしいかと思います。

 

 初回面接において、クライアントは自身のことを話すように求められます。クライアントはそのつもりで来たこと、それをする覚悟や準備が既にできているものとして、私は話すことを求めます。もちろん、いつ話し始めるか、どのように話すかはクライアントに任せることにします。クライアントは自分のペースで話せばいいし、上手に話そうと思わなくてもよいのであります。クライアントの中には、あまりにも筋道立てて話そうとし過ぎる人や、話が前後してしまうことに罪悪感を感じられる方もおられます。クライアントはどの人も多少なりとも混乱しているものであります。混乱している人が理路整然と話ができるはずがありませんので、多少、支離滅裂であろうと、話が行ったり来たりしようと、まったく構わないのでありますし、そういう話に私も慣れておりますので、余計な気遣いはなさらなくて結構なのであります。

 そして、クライアントは初対面の人間に対して自分のことを話せと要求されているのであります。人によっては、このような要求に困惑される方もおられるかと思います。そうでなくても、初めて訪れる場所で、初めて会う人に、自分の悩みを打ち明けるのですから、そこにはある種の居心地悪さを感じられたとしても私は当然だと思うのであります。初回面接でクライアントが緊張したり、不安になったり、居心地の悪い感じがしたりということは、私からみると、とても自然な反応なのであります。多くのクライアントにおいては、最初のうちはそのような感情を体験されていても、回を重ねていくにつれて、そういう傾向が減っていくものであります。そこには「慣れ」ということもあるでしょうが、安心できる感じが育っていくのだと私は捉えております。従って、初めのうちは緊張感や居心地の悪さを体験されるとしても、それは自然な反応なのであり、どうかそのような感情を恐れないでいただきたいのであります。

 

 ところで、クライアントは自身のことを私に分かるように話すことを求められているわけであります。これはクライアントにとってみればけっこう面倒な作業かもしれないと私は考えます。

 望遠鏡で遠くの景色をあなたが見ていると仮定しましょう。そして、あなたはそこで目に見えている光景を隣の人に分かるように説明しなければならないとします。あなたはかなり困難を感じるのではないかと思います。あるいはもどかしいような思いをされるかもしれません。その光景は隣の人には見えていないけれども、あなた自身にはよく見えているのであります。当たり前のようにあなたにはそれが見えているのであります。自分にはよく見えている光景を、隣の人に、あたかもその人も同じ景色を見ているかのように理解できるように説明するということは、想像してみても、とてもたいへんな作業だということがわかるのではないかと思います。初回面接のクライアントはそのような体験をどこかでされているのではないだろうかと、私は思います。

 クライアントがそのようなもどかしさを体験していようと、やはり私はクライアントを理解したいと思いますし、できればクライアントが目にした光景を私も同じように思い浮かべることができればいいと願っています。もっとも、完全な説明などということは誰にもできないことであります。私も事細かに説明を求めるようなことはしていないつもりであります。ただ、たいへんな作業であっても、それをしなければならないのだということが理解していただければと思います。

 あなたが見てきたものがあなたを構成しているはずであります。あなたが見てきたもの、体験してきたことに基づいて、私たちは話し合っていかなければならないのであります。それが欠如している会話は、単なる知的議論なのであります。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

 

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