<テーマ33> 「うつ病」と行動
「うつ病」において大きく損なわれるのは、気分と感情だけではなく、その行動もまた損なわれてしまうのであります。気分や感情が損なわれるから、それに伴って行動も制限されていくという考え方もできるのでありますが、私にはこれはどちらが先であるとかいうことは分からないのです。ただ、行動ということにも着目していかなければ「うつ病」は正しく理解 できないだろうと考えております。
行動が損なわれてしまうというのは、簡潔に述べれば、行動ができなくなってしまうということであります。「うつ病の人」は、以前には当たり前にできていたこと、それも苦もなくやっていたことが、できなくなったと語ります。それも、ある日突然できなくなるという形ではなく、徐々にできなくなっていくという経過を辿ることが多いのです。
徐々にできなくなるということは相当怖い体験ではないだろうかと私は察します。あるクライアントは、初めは一つのこと、あるいはごく一部ができなくなったというように語ります。大抵の場合、その時点では単に疲れているだけだとか、明日すればいいと考えて、それをそのままにしておくのです。しかし、次の日もやはりできないのです。しようと思うのだけど、どうしても身体がついてこないという感じがするのです。そのうち、できないことが多くなっていくのです。昨日までできたことが、今日はできなくなったというようなことが起きるのです。やろうという気力と実際の行動との間にズレが生じて、気持ばかり焦ってしまいます。それでも、やろうという気力がある間はまだ良かったのですが、やがて、そのような気力すら失せてしまったと言います。だいたい、このような経過を辿るものではないかと私は思います。
私自身は 「うつ病」と診断されたことはありません。ただ、性格的には「うつ病」に近いものがあると自分でも思います。このホームページで書かれている私の文章を読めば、この人(私)はうつ病になりやすい人なのだろうなということが分かるかと思います。私自身に「うつ病」の性格傾向があるためか、実際に「うつ病の人」と面接していると、その「うつ病」をもらってしまうことがあるのです。「うつ病」の人に感情移入し過ぎる、同一化してしまうことがあるのです。
ある「うつ病」女性のクライアントと面接した後、私は帰宅前に室内を掃除しておこうと思って、掃除機をかけていたのです。すると、なんだか身体がだるいような、気分が重いような感じがしてなりませんでした。一応、掃除機はかけ終わったものの、私は「もう駄目だ」とその場にへたり込んでしまったのです。なんとか最後までとは思ったものの、掃除機のコードを巻きとることができませんでした。それはボタンを一つ押せば、自動的にコードが巻きとられていくのでした。だからボタンを一つ押すだけでいいのですが、そのボタンを押すということがどうしても億劫でならなかったのであります。私は自分がその女性クライアントの「うつ病」を貰ってしまったこと、あまりにもそのクライアントに感情移入し過ぎて、同一視してしまっていたことを悟ったのでした。
この経験は私にいろいろと有益なことを教えてくれました。私が「うつ病の人」に感情移入しやすいこと、また、些細なことですが、「うつ病の人」とは一日の最後に会う方がいいということも学んだのでした。そして、何よりも、「うつ病の人」がいろんなことができないと述べる時、それがどのような体験であるかということも学んだように思います。
「うつ病」の人が物事をできなくなる時、それはある作業が最後までできないという形で始まるものであります。「うつ病」と診断された人であっても、状態によっては物事に取り掛かることができるのであります。しかし、それは大抵の場合、最後まで完遂されないのであります。始めることができても、最後までもたないのであります。
実際、ある専業主婦の「うつ病」でこのよう なエピソードがありました。その人は、まず洗濯をしようとして始めます。ところが気分が重くなって、それを途中で投げ出す(できなくなる)のであります。 しばらくすると、今度は掃除をしなければと思います。それも同じように最後までできません。またしばらくすると、今度は食器も洗っておかなければと思って取りかかるのですが、それも途中までしかできませんでした。そして、中途作業が増えれば増えるほど、彼女は自分が追い詰められていくように感じていたようでした。「うつ病」の人が何かをする時、しばしばこういう形ですることが多いようです。それで自分は「しようとしている」のだという認識を持たれるのですが、実際には「できない」ということを証明していっているようなものなのであります。
この女性の場合、もし何か家事をするのであれば、一つのことだけをするようにしなければなりませんでした。例えば洗濯なら洗濯だけをして、その他の掃除や洗い物はしないということを決める必要がありました。そして、洗濯をするということに決めた場合、それを一日かけてもいいから最後までやり通すということが必要だったのです。そして、最後までやり通したら、いくら余力があったとしても、それ以上はしないという制限も設けなければなりませんでした。それは「うつ病」の「できないパターン」を変える試みだったのであります。
また、「うつ病の人」は、休むように忠告されているにも関わらず、仕事をしたがるのであります。そういう人もけっこうおられまして、それなりの役職に就いておられる男性会社員によく見られることであります。医者からは何もしてはいけないと言われているのですが、彼の立場上、そういうわけもいかないということも私は理解できるのであります。このジレンマは「うつ病」の人が内的に解決しなければならない問題でありまして、医師は医師の立場から「休め」という忠告を与えるのですが、それが彼の現実とは相容れないものになっているのです。思い切って休んだ方が予後が良いことは確かであります。私も「休む」ということを推奨するでしょう。しかし、どうしてもそれをしなければならないというのであれば、先述の主婦と同じように、何か一つのことだけに絞って、それ以外のことはしてはいけないということ、時間がかかってもその一つのことだけを完遂させること、それが終われば休養をとるということを守らなければならないのです。従って、このような男性の場合、どこで作業を打ち切るかという決断をしなければならないのです。この決断をするということが、「うつ病」の人が不得手とすることの一つではないかと私は捉えております。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)