<テーマ45> 離婚:Aさんの事例(4)
(45-1)妻の意味を洞察する
(45-2)カウンセリングは常に不完全に終わる
(45―1)妻の意味を洞察する
「再就職して、とても結婚を焦っていたように思います」
当時を振り返って、Aさんはこう述べます。
私、「失ったものがあまりにも大きいので、何か、取り戻したいような気持ちだったのではないでしょうか」
Aさん「とても不安定だったように思います」
私「結婚することで、安定が取り戻せるように思われたことでしょう」
Aさんは、彼にとって、妻にどういう意味があったかを洞察しようとしています。Aさんに限らず、自分にとって相手がどういう意味があったかを見ていくことは重要であり、この作業をしなければ、しばしば、同じことを繰り返したり、結婚生活をしていた期間を失敗としか受け止められなくなるということが起きるように思われるのです。
このような話し合いをしていって、彼が行き着いた結論とはどのようなものだったのでしょうか。その結論から見えてきた現実とはどのようなものだったのでしょうか。簡潔に述べれば、彼は妻を愛していなかったのだということであります。Aさんによると、妻の方もまた同じだったのではないだろうかということでした。
Aさんの夫婦関係は、Aさんが哀れな弱者である限りにおいて成り立っていた関係でした。「可哀そうな人」と「可哀そうな人に愛の手を差し伸べる人」の関係であり、対等な関係になることはありませんでした。
詳しく述べるなら、ここで言う「愛していなかった」というのは、援助者と被援助者という関係の愛情ではあったかもしれませんが、夫婦としての愛情ではなかったという意味であります。Aさんは、自分が救われるために妻を必要としたのであり、必要としたのにはそれ相応の理由があるにしても、基本的に自分本位の関係なのであります。妻の方も、おそらくAさんを助けることで自分の存在理由を確認していたのでしょうから、こちらも自分本位だったのであります。妻にとって、自分の存在価値を保つためには、Aさんが永遠に援助が必要な人間でなければならなかっただろうと思います。
これを読んでいるあなたは、自分が救われるために妻を必要としたというのなら、Aさんはなんて自分勝手な人なんだろうと憤りを覚えるかもしれません。確かにその通りです。彼はかつては「助けが必要な人」でした。妻は彼を「助ける人」でした。彼が妻に嫌悪するようになったのは、彼が妻に「助けられて」成長したからであります。
Aさんは確かに妻に助けられたのです。妻に助けてもらえたからこそ、今の彼があるわけなのです。それがAさんには理解できるようになっていました。だから、妻を煩わしく思えても、妻を恨んだりはしてこなかったのであります。
それと、もう一点、重要なことは、Aさんが苦しんでいたのは、実際には妻のことではなかったのであります。彼が震災で最初の職場を失ったということは述べましたが、彼はその時の生活、その時の生き方を取り戻したいと願っていたのでした。このことはカウンセリングを通して、次第に彼に明らかになってきたことなのですが、最初の頃はそれに気づいていませんでした(もしくは、それが見えていなかったのです)。結婚以前の生き方において、彼はやり残したことがあるように思えてならなかったようです。妻よりもそちらを優先したくてならなかったのです。妻と一緒にいる限り、彼は、自分がそれを取り戻せるとは思えなかったのでした。
そうして、彼は離婚の決意を固めたのでした。
(45―2)カウンセリングは常に不完全に終わる
彼が決意を固めたことで、彼はカウンセリングから離れていきました。離婚を成立させて、新生活の準備に取り組みたいと言うのです。私は、彼が下した選択であり、判断であるので、反対はしませんでした。
カウンセリングというのは、完全な形で終わるということはありません。常に何らかの問題を残したまま終わるものなのです。その理由は、一つは人間というのは常に変容していくからです。ある時点での解決は、次の時点での問題を形成するものです。すべてを解決するということは人間には起こり得ないことなのです。もう一つの理由として、クライアントの多くは当面の問題にめどがつけばそれで十分であると考えるからなのです。そこから先を追及していこうとはしないものでありますし、また、追及する必要がない人もたくさんいます。
では、Aさんの場合、何が不完全に終わったのでしょうか。それは、彼の掲げる「理想」の問題です。
彼の言う「理想」に関しては、それほど述べてこなかったので、少し説明する必要があります。彼が最初の会社で掲げた理想は、出世して自分の支店を持つということでした。それは就職難を経験したことから生まれた考え方であると、彼自身も捉えていました。最初の会社で、彼がそのような「理想」を熱く語ると、上司や同僚は彼のことをとても頼もしいと感じたようでした。誰も、彼の「理想」に異議を唱える人はありませんでした。
ところが、二度目の会社で、尚且つ、彼自身が三十代になっていて、以前と同じように「理想」を熱く語っていると、周囲の同僚や上司は彼を疎ましく感じ始めたようです。時には、「理想を語る前に現実の仕事をしてくれ」などと注意されたり、「君は理想論者だ」と批判されることも増えてきたようです。ある時、彼は私に言いました。「理想を語ることは、そんなにいけないことなんでしょうか」と。
理想を抱くことは何も悪いことではないのです。問題はその抱き方にあると言えるかと思います。私は一度、彼の理想話に付き合いました。それはとても熱心に語り、一生懸命なのであります。私は感じました。彼がそれだけ熱心に「理想」を語り、その「理想」を追及しなければならないということは、彼が自分自身に欠乏を感じているからではないかと。
自分の内面に欠乏があるからこそ、それを埋め合わせるために、外部にあるものを追及しなければいられなくなるわけです。彼もそうなのではないかと感じました。
そして、この欠乏は、彼が震災に遭うよりも以前から存在していた欠乏だったと思われるのです。震災を経験したことは、彼が内面に漠然とでも感じていた欠乏を、現実のものとして体験してしまう契機となったのでした。従って、その時に始まった欠乏ではないはずです。
欠乏が現実のものになったがために、彼はより一層その埋め合わせをしなければならなくなったのです。しかし、職場を失った彼には、それまで彼を埋めていた「理想」を追求することができなくなったのです。彼は欠乏を埋める手段を失ったのであり、罹災の痛手よりもこちらの方が大きかったかもしれません。
そこで、彼は「理想」で内面に欠けているものを埋め合わせることを放棄して、別の形で、別の手段を取ることになったのだと私は考えています。彼は「妻」にそれを求めたのです。そして、既述のように、初めのうちはそれが成功していました。
しかし、やがて「妻」は彼の欠乏を埋め合わせることができなくなります。そうなると再び「理想」が求められるようになったのです。
こうなるとAさんの問題とは、離婚でも妻のことでもないということになります。問題は彼がその内面で感じている欠損にあるということになります。しかし、彼自身には、自分がそういう問題を抱えているとは認識できませんでした。もし、今後、その「理想」が彼を埋め合わせることができなくなったということが起きた時、彼は再び苦しい思いを体験されるかもしれませんし、その時に彼は自分の本当の問題に向き合わざるを得なくなるかもしれません。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)