<テーマ3>用語に関して
本項では、このサイトで頻繁に使用する言葉について簡単に説明しておくことにします。
(1)カウンセラー
これは相談を受けつける側の立場の人を指して用います。
これを「治療者」「臨床家」「セラピスト」「ヘルパー」「コンサルタント」などと、どのように表記しても構わないのでありますが、私は「カウンセラー」という言葉を好んで用います。というのは、この言葉がもっとも中立的なニュアンスを含んでいるように思われるからであります。
また、カウンセラーに限らず、治療者や研究家なども総称して「臨床家」という場合もあ
ります。
(2)クライアント
これは(1)に対応する言葉であり、相談をする側の立場の人を指して用います。やはり同じように、「患者」「ヘルピー」「被援助者」「顧客」などなどと別の表現をとることも可能であります。私は上述したのと同じ理由で「クライアント」という言葉を好んで使用します。
クライアントとは「依頼者」を意味する単語であります。従って、どのような問題であろうと、どのような立場の人であろうと、カウンセリングを依頼してきた人はみな「クライアント」であります。
また、「依頼者」というのはとても適切な言葉であります。カウンセリングはクライアントからの依頼があって始めて成立するからであり、「依頼」がなければカウンセラーはいかなる動きも取れないからであります。
(3)カウンセリング
カウンセラーとクライアントとで行われる営みであり、並びに、その場面を指してこの言葉を用います。特に使い分けるわけではないのですが、場面の方を強調したい場合は「面接」という言葉を用いることもあります。
やはり、これも「治療」「援助」「相談」など、他にいくつもの呼び方が可能であります。同じく明確に使い分けるわけではありませんが、強調したい場合はそれらを用います。例えば、カウンセリングであっても、「治療」の側面を強調したいと欲すれば「治療」という言葉を使うこともあります。援助ということを前面に打ち出したい場合は「援助」という言葉を使うこともあります。
それでも基本的にはカウンセリング並びに面接という言葉を使用していくでしょう。
(4)「 」が付される言葉
私の書くものにはやたらと「 」が付くというのが特徴的であるそうです。私が「 」を付すのは主に以下の4つの場合であります。
(A)カウンセラー並びにクライアントの発言
(B)書物等からの引用
(C)「心の~」といった場合。不明瞭な内容を含む表現
(D)病名、診断名
このうちAとBに関しては慣用と同じであるので割愛して、説明を要するのはCとDのものであります。
(C)に関しては、私たちは日常においても「心の〇〇」といった表現に接することがあります。「心の健康」「心の病」「心の問題」「心の教育」「心の闇」などといった具合にです。これらの言葉に「 」を付すのは、それらが明確ではないからであります。よく分からない表現であるので「 」を付けておきます。
例えば、「心の教育」などという言葉を耳にして、それがどういうことを指しているかをすぐに理解できる人がいるでしょうか。おそらく、「なんとなくこういう意味ではないか」というような、漠然としたイメージで理解しているのではないかと思います。「心の教育」とは何でありましょう。そもそも「心」とは「教育」されなければならないものなのでしょうか。そして、それは可能なのでしょうか。そういうことを考えていくと、「心の教育」というこの言葉が実に不鮮明であり、不明瞭であることが見えてくるのであります。
同じように、「心の闇」というような言葉に接してそれがどういうことを指しているのか理解できるでしょうか。そもそも「心」とは人間の中の、それも目に見えない部分、視覚的に確認することができない部分を指しているのではないでしょうか。従って、「心」そのものが「闇」であるはずです。「心の闇」といった場合、「闇の中の闇の部分」を指しているように、同語反復しているように私には聞こえてしまうのですが、表現としては背理であります。
なぜこういうことが起きてしまうのかと言いますと、「心」というものがそもそもはっきり分からないからであります。「心の病」であるとか、「心の健康(メンタルヘルス)」というような言葉を私たちは自明のことのように使用しているのですが、本当はよく分かっていないのであります。「心」は本当に「病気」とか「健康」といった概念を受け付けるものなのでしょうか。私には疑問に思う時があります。
できることなら「心の〇〇」といった言葉は用いないようにしたいのですが、こういう言葉が便利な時もあるのです。例えば、クライアントがカウンセリングに持ち込む「もの」を私はどう表現していいか分からないのですが、「それ」を指す適切な言葉を私は知らないので、便宜上、それを「心の病」であるとか「心の問題」などと表記しているに過ぎないのであります。
従って、「 」を付しているのは、適切な言葉が他に見当たらなくて、よく分からないまま使用している言葉であるとお考えになっていただいてけっこうであります。
(D)に関しても事情は同じであります。私たちは精神的な病気の病名を知っています。専門家でなくても名称を知っているのです。「うつ病」とか「統合失調症」とか、「不安性障害」だの「強迫性障害」だの「人格障害」だのといった言葉を知っており、日常生活の中で普通に使用していたりします。しかし、それらの名称がどういうものを指しているのかを本当に理解して使っているのではないでしょう。本当はよく理解していないのに、そういう言葉を普通に使用しているという場面もきっとあることでしょう。
先述のように、「心」とは非常に曖昧で漠然とした概念でありますので、それの「病気」と言われているものも必然的に曖昧で漠然としたものになってしまうのであります。(C)の場合と同じように、ハッキリしない概念であるという意味合いを込めて、病名等にも「 」を付しているのであります。
(5)退行
退行というのは後ろに下がる、後戻りするという意味であります。ここでは精神的な意味での後戻りを指しています。
精神的に退行するということは、年齢的・時間的・発達的に以前の段階、子供時代に戻るということであります。どうして人間が退行するのかと言いますと、その人がそれ以上先へ進むことができなくなっているからであります。
クライアントの多くはカウンセリングを受けに来る時点で、何らかの形で退行を示していることがあり、それだけにこの概念はとても重要なものになるのです。
ある人が退行していると述べる場合、その人は実際の年齢よりも以前のような心的状態にあるという程度に理解していただければけっこうであります。
(6)神経症
「神経症」というのは、かつてはれっきとした診断名として使われていました。ところがアメリカでは1980年代に、この言葉が診断項目から姿を消しました。日本ではそれより多少遅れましたが、現在ではこの診断名を付される人は見かけなくなりました。私が一昨年(平成22年)お会いしたクライアントで、お医者さんから「~神経症」という診断をもらった人はわずかに一人だけでした。少しびっくりしましたが、恐らくそのお医者さんの受けた教育が古くて、そうした言葉に馴染みがある医師だったのでしょう。
「神経症」というのは英語でneurosisと言います。Neuroは神経のことであり、-sisというのは病気を表す接尾辞で、日本語の「~病」「~症」に当たります。従って、「神経症」とはneurosisの直訳なのであります。ちなみに、「ノイローゼ」というのは、この単語のドイツ語なのであります。三者は言語が異なるだけで、同じ意味であります。
「神経症」には「神経」という言葉が含まれておりますが、これは特定の神経を指しているのではありません。私たちが「神経を使う」とか「神経に障る」とか言う場合にも特定の神経を指して言っているのではないのと同様でありまして、気持や内面を指しているものであると理解するとよいでしょう。
さて、「神経症」というのはとても便利な言葉でありまして、三つくらいの用法がありました。
一つは病名を指すもので、「強迫神経症」とか「不安神経症」といった診断名として用いられていました。
二つ目の使用法は「病理の深さ」を表すのに用いられていました。その場合「神経症レベル」などというように用いられてきて、「人格障害レベル」「精神病レベル」よりも「健常」に近いものとして捉えられていました。
三つ目の用法は形容詞的に用いるものであって、「神経症的な生き方」などというように用いられてきました。
私がこの言葉を用いるのは、もっぱら最後の形容詞的な使用法としてであります。「病的」と言うよりも「神経症的」と表記する方が、より現実を反映していることが多いように思われるのであります。
その他にも様々な言葉が登場することでしょう。専門用語はあまり使いたくないと思っているのですが、それでも使うことになった場合には、その都度説明するようにしていきます。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)