<テーマ27>「守り」としての時間~G婦人の事例(続)
(27―4)終結まで
18回目の時、彼女がカウンセリングを受けることになった動機、つまり抑うつ感や不安感について再度取り上げてみました。精神科医の方にも週に一回通われていたG婦人でしたが、医師には何も話す気がしなくなったと言います。父を憎んできたことは医師には言えないでいるということでした。そして、毎回、少しの時間とは言え、嘘を話すことに疲れたらしく、ただ薬を受け取りに行くだけの場になっていたそうです。それも、その二週ほど前から、薬も服用する気になれず、医師には会わなくなっていたそうです。気分的には本調子というわけではないけれど、薬なしでも今はやっていけていると彼女は話しました。
父の前では自慢の娘を演じていたように、彼女は医師の前でも演じなければならなかったようです。その医師は父親を思わせるような人だったのかもしれません。私の方はG婦人よりも20歳以上年下で、彼女から見れば本心を言いやすかったのかもしれません。
述べてきたように、9回目の頃から彼女はそれを打ち明けるようになっていました。18回目まで、徐々に打ち明ける範囲が広がっていったのですが、15回目が一つのピークだったように思います。彼女は本当は最初からそれを語りたかったのではなかっただろうかと私は思います。父親の死を手を叩いて喜びたかったという秘密の感情と、それにまつわる罪責感が彼女を苦しめていたのだと思います。
初めからそのことを彼女は表現したかったというふうに仮定しても、彼女はそれをできるまでにおよそ10回の面接を要したわけです。では、最初の10回は無駄だったのかと言いますと、決してそうではなかったと思います。彼女にとって、それを打ち明けても大丈夫だという安心を得るために必要な時間だったと私は考えています。それを打ち明けても大丈夫だという確信、つまり「守られている」と彼女が実感できるまでの時間だったと思います。
21回目、つまり、G婦人との最後の面接でしたが、彼女は何かひとこと言って欲しいと頼んできます。私は「あなたはお父さんをそのまま憎み続けてもいいのですよ」と伝えました。この言葉に彼女はすごく驚いたようでした。彼女は「父親を許しなさい」と言われると思っていたと述べました。私はただ「許してもいいし、許さなくてもいい。それはあなたが決めていいことではないでしょうか」と答えました。すると彼女は、恐らく初めてのことですが、笑顔を見せ、「分かりました」と言いました。
誤解されないように少し説明する必要があるでしょう。私の考えでは、彼女が父親を憎んできたことよりも、父親が憎しみの対象として常に彼女の心の中にあったということに価値を置いているのです。彼女はそうして喪失を防いでいたのだと思います。それは父親の喪失という意味だけではなく、彼女自身の存在感の喪失からも守ってくれていたのだと思うのです。
(27―5)補足
本項では時間や場に「守られている」という体験を事例を通して見ていくことが主題でした。「守り」を経験するに従って、人は秘密を打ち明けられるようになっていきますし、自分を偽らなくなっていくのです。G婦人は、自分が経験したことをそのまま表現する自由を得ています。その時、G婦人はもはや何の演技もせず、ただ彼女自身であるという在り方をしているのです。その点を見ていただければ本項の目的は十分に果たせたものと考えています。
目的を果たしたとは言え、少し補足しておくことも意味があるかと思います。
まず、彼女が最初に受診した医師についてですが、この医師は決して間違ったことはしていないのです。彼女はこの医師には本当のことを打ち明けられなかったのですが、それは彼女と医師との関係、守られているという実感の違いのためだと思います。彼女がそこでも同じように守りを経験していたら、彼女はこの医師に打ち明けていただろうと思います。決して、その医師よりも私の方が優れているなどと言うつもりはありません。
また、以前、この事例を読まれた方から「あの結末は正しくない」と指摘されたことがあります。その人曰く、G婦人は彼女の内的な父親と和解するべきだということです。確かにそれは正しい見解だと思います。でも、それはG婦人の今後の人生のテーマとなっていくものであり、早急に仕上げる類の問題ではないとも私は考えています。
そもそもG婦人は父親との関係を変えたいとは訴えていませんでした。いずれ彼女がそれを訴える日がくるとしても、今回のカウンセリングはその礎になったと思います。
もう一度、彼女の経験を振り返ってみましょう。彼女は父親と死別しました。その葬儀の日を境に、彼女は調子が悪くなっています。抑うつ感や不安感に襲われるようになっています。本当は手を叩いて喜びたいくらいの望ましい出来事なのに、なぜ彼女はそんなふうに調子を崩さなければならなかったのか、そこに今回の問題の本質があったように思います。
私の見解では、彼女は憎んできた父親を失ったことではなく、父を憎んで生きてきた自分が許されない人間ではないかと感じてしまったことに彼女の苦悩があったと思います。つまり、それは彼女の歴史とか存在などの根幹を揺るがす観念だったのです。父親との関係というのは、少なくともこのカウンセリングにおいては、二次的な意味合いしかなかったと私は考えているのです。従って、必要なことは、父親を憎んできた娘がそのまま生きることを許されるという体験をすることだったと思うのです。
私がG婦人に伝えたことは、父親を一生憎み続けなさいという意味ではないということに注目していただきたく思います。許すことができるならそれにこしたことはないのですが、自然に許せるようになるまで恨んだままでもいいという意味が含まれています。G婦人にとって、父親に対しては憎しみの感情だけではなかったと思います。父親を憎いと語りながらも、彼女はとても生き生きしていました。まるで、そういう父親のことを話すことが自慢だとか、誇りであるとかいった印象さえ受けています。
憎しみ以外の感情もそこにある限り、今は憎しみの感情しか見えていなくても、いつかその他の感情が出てくるようになるかもしれません。その辺りは臨床家によって考え方が異なってくると思うのですが、それを表面化するように働きかけなければいけないと考える人もあるように思います。私はむしろそれはその人の自然にある程度は任せるべきだと考えるのです。そこを無理に変えようとか、そういうことはしない方がいいと私は考えています。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)