<テーマ18> 時間(1)~1回の面接時間
(18-1)時間の三つの側面
(18-2)カウンセリングの時間に決まりはない
(18-3)なぜ60分なのか
(18-4)面接時間の短縮を求めてきた男性の例
(18-5)60分が一つの単位であること
(18―1)時間の三つの側面
カウンセリングにおいては、時間に関して、三つの側面を認めることができます。
一つ目は、一回の「面接時間」ということです。
二つ目は、面接と面接との間の時間、つまり「間隔」という側面があります。
最後に、全体を通じてのカウンセリング期間、つまり初回面接から最終の面接までの「期間」という側面があります。
これら三つの側面について、私の考えているところのものを順に綴っていくことにします。本項では一つ目の一回の面接時間について述べ、残りの二つは次項から述べることにします。
(18-2)カウンセリングの時間に決まりはない
一回のカウンセリングの時間について、一般的には50分というところが多いのですが、臨床家によっては40分くらいがちょうどいいと言う人もありますし、90分くらいかけるという人もあります。また、特に時間を決めないという考え方の臨床家もいるようです。
また、ワークショップやグループセラピーを実践されている臨床家もおられるわけで、そこでは面接時間よりもワークの時間として90分なり120分といった時間設定で行われていたりしますし、2,3日間で集中して行われたりもします。
それぞれの時間は、その臨床家の方法や実施する機関の事情などによって異なってくるものだと思います。
要は、一回のカウンセリングの時間に特定の決まりというものはないということであります。決まりがないからと言って好き勝手に時間を決めていいというわけでもなく、それぞれの臨床家の視点に基づく時間設定がなされているものです。
私のカウンセリングは一回の面接時間を60分に設定しています。この60分の面接時間に対して、クライアントの方々には6000円支払ってもらっております。料金に関しては、料金の項で詳述することにします。
次に、この60分という時間について、私なりの考え方や方法論なども論じることにします。
(18‐3)なぜ60分なのか
先述したように、私は基本的に一回のカウンセリングを60分という時間設定で行っています。人間が集中して何かをする際の時間の限度は大体40分くらいだと思うからです。でも、人はいきなり集中状態に入れるわけではなく、そこには準備時間も必要であり、また終了後にも少し時間を置いていただく必要もあり(このことは別項にて取り上げる予定でおります)、その前後の時間を合わせると60分くらいになるということなのです。
どのクライアントであれ、また初回の方であれ継続されている方であれ、カウンセリング開始から内的な事柄に目を向けるようになるまでには多少の時間を要するものです。大体、10分とか15分くらいの時間を要することが多いように個人的には感じています。
少しでもクライアントに得るところのある面接にしようと思えば、そこからさらに40分程度はかける必要があるのです。そのため、50分だとギリギリすぎると感じられたので、60分にしようと決めた次第なのです。
次に、面接時間に関して一つの事例を挙げることにします。
(18―4)面接時間の短縮を求めてきた男性の例
ある男性が問い合わせをしてきました。彼は面接を40分にして、その分、料金を4000円に割り引いてほしいと求めてきました。
なるほど、60分で6000円だから、10分で1000円というように彼は換算したのでしょう。カウンセリングの面接時間というのはそのようなものではないのですが、そのことについては後で述べることになるでしょう。
彼がそのように要求してきた時、私は彼にどうして40分にしてほしいのかを尋ねてみました。と言うのは、60分では長すぎるように感じているのか、それだけの時間をカウンセラーと対面することに負担を感じているのか、彼なりの事情があるだろうと思うからです。そして、理由や状況によっては応じても構わないとも思うのです。だから、彼のその要求の背景を明確化する必要があったのです。
私に問いかけられて、彼の答えは「いや、そんなにはかからないでしょう」というものでした。つまり、彼は自分の抱えている問題に対して、60分も要らない、40分の話し合いで十分だと考えているのです。この理由は、彼が彼自身と彼の問題とを過小評価しすぎていることを表しており、価値下げを自分にも私にもされているのです。
それよりも、彼はどうしてカウンセラーとの対面時間を短縮しなければならなかったのでしょう。具体的にそれを述べることは、彼に関する情報がほとんど何もない状態なので、不可能なのです。でも、いくつか推測してみることにします。
簡潔に述べれば、彼はそれが恐ろしかったのだと思うのです。不安や恐れが強すぎるので、面接時間、つまりカウンセラーと対面する時間を少しでも短くしたかったのだということなのです。これはあくまでも一つの仮説であり、前提でしかありません。
この前提に立つなら、彼がカウンセラーをどういう種類の人間であると考えているのかについての手がかりを与えてくれます。彼は専門家を求めると同時に、その専門家を遠ざけたいのであり、恐らく、その他の人間関係においても彼は深刻な障害を体験している可能性があります。つまり、恐れを感じる相手とは極力接しないようにしているかもしれないからです。
もし、そうであるなら、決して一回の40分だけの話し合いでケリがつくようなものではないはずであります。
別の考え方もできるでしょう。彼は単に面接料金を節約したかっただけだと。
それもまた正しいのかもしれません。でも、こちらの方が問題はより深刻なのです。彼はカウンセリングを割り引こうとしています。自分のために必要と感じられている事柄に対して、割引を求めているのです。彼は何か「問題」を抱えていながら、それに取り組むためのカウンセリングや「治療」に対しては不誠実な態度で臨もうとされているのです。
彼のこの不誠実さは、却って、「治療」を難航させ、数倍の時間と料金と労力を彼にもたらすことになるでしょう。
さて、彼が「そんなに時間はかからないでしょう」と答えた後、私は彼の要求を断ったのです。そして、40分だけするよりも、60分かけた方が実際には実りが多いということも彼に伝えました。
すると、彼は怒って「どうして自分で時間を決めることができないのですか」と問いかけるのでした。この発言から察するに、どうやら料金よりも時間の方が彼にとってより大きな負担となっていることが窺われます。
彼の言い分にも一理あることは認めます。クライアントが自分で時間を設定して、その設定時間に該当する金額を支払うというのは、とても合理的で、いわば苦情の来ないやり方です。ただ、ここには一つの陥穽があります。クライアントの多くは、それまでに自分のやり方でやってきて、それが上手くいかなかったという経験を積んでいるからです。だから、クライアント流のやり方にこちらが従いすぎると、却って上手くいかない経験を重ねるだけになると私は考えています。
何よりも気がかりなのは、彼がカウンセラー側の設定している枠組みに従うことができないでいるという側面です。彼はその枠組みに反発しているのです。そして、彼は自分のルールに従うように私に求めているのであります。さらに、それが拒まれた時の彼の反応というのが、上述のような、怒りであったわけです。
こうした一連の行為が何を意味しているのかを考えてみましょう。彼は自分のルールに従うよう私に求めてきました。カウンセリング場面、関係を彼はコントロールしようとしているのです。いわば彼は私に対して支配権を持とうとされているわけです。それが達成されなかった時、彼の怒りと傷つきがあのような反発となって表れているのだと考えられるのです。
彼が外側の枠に従うことに対して、いかにそれが困難であるか、そして思い通りにいかないことに対しての傷つきやすさから察すると、私には彼がとても脆い、非常に壊れやすい心の持ち主のように思われるのです。つまり、外側の事柄をコントロールできないとなると、彼は惨めな自分を体験してしまい、それまでの彼にあった望ましい傾向もすべてがそのことで台無しになってしまうのだろうと思います。
もちろん、このことは私の推測の域を出ないことであり、実際の彼がこのような人物であったとは証明できないことであります。私は彼のことを知らない、もっと知りたいと願っても叶わぬまま縁が切れた人となったのでした。
(18―5)60分が一つの単位であるということ
先述したように、「どうして自分で時間を決めてはいけないのか」という彼の訴えには一理あることは認めましょう。ただ、これは多くの場合、やはり通用しない訴えではないかと思います。授業時間が長いので短縮して欲しいと訴えて、そのようにしてくれる学校があるわけでもなく、就労時間の短縮にあっさりと応じる企業もないことでしょう。多少、融通が利く部分もあるとは言え、現実には外側の時間に自分を適合させることの方が私たちには多いものだと思います。
もし、私が彼の要求に応じたとすれば、それは社会状況に背反する状況を積極的に受け入れたことになるでしょう。通常の社会的状況をクライアントの要請に応じて安易に変更する臨床家は、クライアントに正しいことを教えることもできず、また、クライアントからの信頼や尊敬もいつかは失うものだと思います。同じことは教師にも会社の経営者にも言えることであると私は考えております。
私は一回の面接時間を60分に設定しています。クライアントの方々はその設定に無条件に従わなければならないことになります。私はこの60分という時間を、いわばクライアントに押し付け、クライアントには当然のようにそれに従うことを求めているわけであります。だから、確かに受ける側からすれば理不尽で不条理なことのように思われるかもしれません。それでも、世の中の多くの事柄がそうであるように、クライアントにはこの時間に従ってもらいたいのです。
最後に、カウンセリングの時間は、60分で一つの単位であり、それは小分けすることのできないものであるということを述べておきたいと思います。上述の男性は面接を10分単位で考えられたのかもしれませんが、開始直後の10分、中盤の10分、最終の10分では、クライアントは全く別の事柄を話、別の事柄を体験しているものであります。それは話し合いや関係といったものが時間の経過によって、そのプロセスが進展していくためなのです。詳細は別項にて述べていくことにしますが、この60分が一つの単位であり、小分けすることができないものであり、小分けすることに意味がないという点をご理解していただければと思います。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)