<T010-16>夢の旅(16) 

 

(夢67)「鎖を跨ぎ越せない女の子の夢」 

(夢68)「顔見知りの女性が見知らぬ女性になっていた夢」 

(夢69)「床下の白アリ駆除業者の夢」 

(夢70)「原稿を読まれる夢」 

(夢71)「女の子と疎通できている夢」 

 

 

 

3月22日(21日~22日) 

(夢67)「鎖を跨ぎ越せない女の子の夢」 

 集団で歩いている。遠足のよう。二列に並んで歩いている。私は先頭を歩いており、私の左側に、背の低い女性が歩いている。私と彼女が先頭で、私たちの後ろにみんながついて歩いている。 

 その女性と話をしてみようとするが、どうも彼女はそっけない。私たちはほとんど会話らしいことをせず、黙々と歩く。そのうち、中学校に到着する。入口の所に鎖が張られており、校庭に入るには、その鎖を跨がなければならなかった。それほど高くもなく、私は難なく跨ぎ越したが、その背の低い女性には難しそうだった。私は鎖を下に引っ張って、彼女が跨ぎ越せるようにしたが、それでも彼女は跨ごうとはしなかった。その時、校庭の側から一人の男性が来た。彼は彼女を抱きかかえて、彼女を校庭に入れた。 

 その後、校庭で私は数人の男友達と雑談している。一人が、「最近、太った」と語るので、私は「太るということは、本当は悪いことばかりではないはずだよ。少々太ってるくらいの方が、我々くらいの年齢では当たり前じゃないかな」と、自分の見解を話した。 

 

(連想と感想) 

 この女性は以前の夢に出て来た調査をしていた時に車を運転していた女性と同じ雰囲気を感じる。ただし、今回の夢では中学校時代のクラスの女子のようだった。実際、その子も近づきがたい感じがあった。私の中学時代のクラスの女子と、今受け持っている女性クライアントと、私は両者を結び付けることはできなかったのだけど、夢を通して、確かに同じような空気というか雰囲気があるなと気付いた。そのクライアントと会っている時に感じる気まずさと、中学時代にその子と一緒になった時に気まずさとは、私の中では確かに共通している感じがある。その両者が同じように感じられているということは、私はもしかしたら、両者をしっかり区別していないでクライアントと会っていたのかもしれない。 

 事実、夢では、その後、彼女が鎖を跨ぎ越せるようにと私が鎖を下に引っ張っているのだけど、彼女は私の提供する援助は受け入れていないのである。別の男性が与えた援助、それは抱きかかえて鎖を超えさせるというものだったが、そちらは受け入れているのである。私は、私が提供しているものが彼女には受け入れられないものかもしれないということを考えてみるべきで、それはそのクライアント個人と見ずに、過去に知り合った別人と混同してしまっているためにそういうことが起きているという可能性を考えてみなければいけない。そして、何よりも、雰囲気や空気が似ているとは言っても、中学時代のクラスの女の子と、そのクライアントとは別であること、違っているということに気づく必要があったのだと思った。 

 太ったという部分は、結局、私の自己弁護なのである。私は援助がうまくいかなかったので、自分を弁護したくなったのかもしれない。 

 

  

3月23日 

(夢68)「顔見知りの女性が見知らぬ女性になっていた夢」 

 小さな居酒屋。私はカウンター席で飲んでいる。店長と話をしている。その店で働いているバイトの女性のことを話していて、私は「この前、ここで会った髪の毛の短い女の子がいたけど、あの子はいい子だね」と言った。店長は、「あの子なら今日も来ていますよ」と言うので、「それなら、ちょっと挨拶くらいしたいから呼んでほしい」と私は頼んだ。しばらくして現われたのは、確かに髪の毛が短い女の子だったけれど、全然、私が知らない人だった。 

 

(連想と感想) 

 今回の夢は前回の夢の延長のようである。しっかりその女性を見なければいけないということである。夢では、単に「髪の毛が短い」という一特徴しかつかんでいないために、再会したときに別人のように思われている。一回目の時に正確に把握していないということではないだろうか。大雑把に捉えすぎているということではないだろうか。印象で捉えるのではなく、相手のありのままの姿を正確に見るということが要求されているように思われる。 

 

 

3月24日 

(夢69)「床下の白アリ駆除業者の夢」 

 町内の人たちと話している。私の隣家に白アリ駆除の業者が訪れたらしい。隣家と私の家とは、塀で区切られているけれども、床下はつながっているから、他人事とは思えなかった。次にその業者が来た時には、私も立ち会おうと考えた。 

 

(連想と感想) 

 この夢を補足しておくと、その白アリ駆除業者は悪質な連中であるということと、隣家には女性が一人で住んでいるようだということが感じられた。 

 隣家と私との関係は示唆的で、しっかりと塀で区切られているが、床下ではつながっているということである。数日前から私は一人の女性クライアントのことを気にしているのだが、それはこの家の関係のようなのかもしれない。彼女とは疎通性がなくて、壁に遮られているように感じられるのだが、深いところでは通じている部分があるのかもしれない。 

 その深い部分において、危機が発生しているのである。夢では、その部分をしっかり守りなさいと教えてくれているようだ。 

 

 

3月25日 

 この日は夢を忘れる。朝起きて、すぐに仕事にとりかかったためだろう。 

  

 

3月26日 

(夢70)「原稿を読まれる夢」 

 どこかの教室のような場所。私はパソコンで原稿を書きたいと思っていた。パソコン画面が自動的に黒板に映し出されてしまうので、できれば私は一人になりたかった。そこにはどうしても帰ろうとしない一人の男性がいた。その人は私の仲のいい友人なので、帰れとも言えなかった。そのうち帰るだろうと思っていても、なかなか帰らないので、私は彼がいてもお構いなしで、原稿を打ち始める。文章が黒板に映し出される。彼はそれを読んでいたが、「いいじゃない」と言ってくれた。 

 

(連想と感想) 

 前回の洞察によって、少し自信が回復したのか、夢でもそうした傾向が見られるように思う。私は自分の書いたものを読まれるのは本当は好きではないのである。特に誰かが見ている前で書くことには抵抗がある。一人で書いて、私のいない所で読んでもらえるというのが、私の好むパターンである。 

 夢では仲のいい友人とはいえ、彼の眼を気にして書けないでいる。しかし、書いていくと、彼が「いい」と評価してくれている。もう少し自分の書くものに自信を持ってもいいのかもしれない。 

 私自身は文章が下手で嫌になる。書くのは好きだし、考え事をしていると頭の中で文章が渦巻いていくのである。このホームページの文章は大部分がそれを書き起こしたものである。完成してから、校正したり、順序を入れ替えたりといった加工をするが、基本的には考えたことをそのまま文章に書いているだけである。大雑把にテーマだけ決めて、考えながら行き当たりばったりに書いていることが多い。 

 私の文章は恐らく、一貫性がなく、表現が貧弱で、語彙も豊富ではない。だらだら書き綴る癖があって、もっと簡潔に書くことができればいいのにと思うのである。そんな私の書いた文章でも、クライアントの方々は読んでくれる、時には、この夢の友人がしたように、肯定的な評価をしてくれることもある。最近も、実はあるクライアントから、私の書いたものに関して、このように評価してもらえたのだ。それは、私にとって純粋にうれしいことだったので、夢で再体験できたような感じである。 

 

 

3月27日 

(夢71)「女の子と疎通できている夢」 

 父が家を処分すると急に言いだした。家の中が騒がしくて、嫌になったと言うのだ。私は家を売らないで欲しいと頼んだのだが、ダメだった。両親は、今の家を売って、遠くへ行くつもりだと話した。私は今の仕事もあるので、こちらに残ると言い、私は自分の住む所を探さなければならなくなった。探さなければならなくなったとは言っても、私はある程度まで自分の住む場所を既に決めていた。 

 場面が変わって、私は中学生くらいの女の子と一緒に歩いている。仲のいい友達のようで、歩きながら一緒に音楽をしている。私は何かの楽器を持って演奏し、彼女が歌っているようだ。川沿いの道を歩く。何かを踏んで、私は足を怪我した。彼女はそれを見て、「だからもっと厚底の丈夫な靴をはくべきだって言ったでしょう」と言う。私は「君はいつも正しい」と答えた。 

 私たちは彼女の家に向かっている。途中、お菓子を売っている屋台を見かけた。家に入ると、使用人たちが彼女にいろいろ指示を仰ぎに来た。彼女はそれをてきぱきと処理した。私は、それを見て、その手際のよさに感心した。 

 彼女が使用人の一人からお金をもらおうとしている。私はそれを見て、少ないながらも、ちょっとは持ち合わせがあるから、私が工面すると彼女に言った。私たちは再び外に出て、先ほど見かけた屋台に行った。 

 その屋台は、同じように中学生くらいの男の子たちが運営しており、私はその若さで店を切り盛りするなんて立派だと、彼らに語った。小さなお菓子を売っている店だった。 

 私たちは、また彼女の家に戻る。彼女は部屋が覗かれて仕方がないということを言うので、私たちは部屋を見に行った。それは二階にあり、旅館の一室のような部屋だった。向かい側に、マンションが建っていて、三階とか四階辺りの上から数人が既に覗いていた。右側の建物からは、階段の踊り場のような所から三人の女性が覗いている。左側は、部屋のベランダから四人くらいの男性が覗いている。彼女は、彼らに覗かれるので、部屋の中の、衝立で遮ったわずかの空間の中で生活しているようだった。 

 私は彼女の部屋のベランダに三脚を立て、テレビカメラ(もしくは望遠鏡だったかもしれない)を設置した。それで、まず右側の三人の女性をカメラ(望遠鏡)で覗いた。三人のうち一人はすぐに逃げた。後の二人は、最初は笑ってこちらを見ていたが、私がじーっと見ているのにさすがに気まずさを覚えたのか、そそくさとその場を去って行った。今度はカメラ(望遠鏡)を左側の男性の方に向けたが、男性たちは既に姿を消していた。「このカメラ(望遠鏡)はこのままにしておくよ」と私は彼女に言った。そして、「向こうが覗いてくるのだから、こちらも覗き返してやればいい。私はいつでもあなたたちを除き返す準備ができていますよという意味で、これはこのまま置いておく方がいい」と彼女に伝えた。 

 私たちは再び外に出た。人通りの多い賑やかな街並みだった。私は、これから私が住むことになるかもしれない家を案内した。 

 

(連想と感想) 

 随分、内容の豊富な夢だが、注目したい所は、夢に登場する女の子とは完全に疎通できているということである。私は、彼女は「いつも正しい」と認めているし、彼女の部屋を除く連中を除き返すということで、彼女の苦難を取り除いている。ここしばらく、女の子や女性が登場する夢が多かったが、今回は良好な関係を築いている。それだけによく記憶に残ったのかもしれない。 

  

 

3月28日 

 夢を失う。最近は土日が忙しくて、この土曜日の晩から日曜日の朝にかけての夢を忘れることが多い。外側の仕事のことに注意や関心が向き過ぎてしまうのだ。自分の内面を疎かにしてしまいがちになっている。 

 

 

<週を終えて> 

 女の子との関係が変わってきたというのが印象的な週だった。(夢67)では、女の子が鎖を跨ぎ越せるように私は鎖を下に引っ張るのだが、それは彼女には受け入れてもらえなかった。それは次の(夢68)において、もっとありのままにその女性を見る必要があるという洞察を得ることで変わっていったのだと思う。続く、(夢69)では、もう一つ重要な洞察を得ることができた。それは表面的には壁で遮られているとしても、深い所(床下)ではつながっているのだということ、そこを守らなければいけないという洞察である。 

 こうした洞察を得ることが、私に中で自信の回復につながったのだと思う。(夢70)では、人が見ている前で書きものをするという、私がもっとも苦手とする状況をこなし、しかも評価を得ている。(夢71)では、(夢68)では女の子を助けることに失敗したが、ここでは成功している。それに加えて、ここに至って、女の子との関係はすごく良くなっている。隔てるものもなく、気まずさもなかった。 

 夢の中の女の子は、時には中学時代のクラスの女の子として現れたりするが、その雰囲気や感じから、現在カウンセリングを受けている一人の女性クライアントを彷彿させることは既に述べた。今、とても気になっているクライアントである。彼女との面接において、私は疎通できない感じがあるし、壁で隔てられているという感覚に襲われる。なんとかお互いの距離を縮めようと試みるが、相手は私を寄せ付けないようなところがあり、どうしても一定の距離以上には近づけない。夢の示唆するところに従って、彼女が素っ気なく私の介入をやり過ごしたり、私の言葉に無関心に応じたとしても、深い所ではつながっているはずだという信念をもって面接すると、不思議と彼女との面接がすごく楽になった。私が楽になれた分、それだけありのままの彼女の姿を見ることに、私の解釈や憶測で歪めてしまわないで見るということに専念できるような感じがした。そして、おそらく、カウンセリングにおける私たちの関係が変わってくる、それも良好な方に変わってくるだろうという予感がするのである。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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